「なんでよ……。悔しい。私バカみたいじゃんっ!」
誰にともなく叫んで涙を流しても、ここに人の気配などない。大通りから外れた小さな道に、三十段ほどの石段。そこを上っていくと、寂れた赤い色の鳥居が見えてくる。
ずっと昔。どれくらいだろう。母と父が生まれて間もない私にお包みを着せ、写真を撮ったこの神社は、気がついた時には身近な場所になっていた。共働きの両親に構ってもらえず寂しい思いをしている私を、祖母がこの神社へとよく連れてきてくれていた。神主さん。(確か三上さんといっただろうか)の社務所は、少しばかり離れた場所にあるから気兼ねなくいられて、私は幼い頃からこの場所が大好きだった。
時折通る車の音が聞こえては来ても、ここはとても静かな場所だ。風に揺れる木々の音と、囀る鳥の鳴き声。時に強く吹く風が音を立てることはあるけれど、この場所は護られている。
「見てごらん、紗耶香。とても大きな木だろう」
祖母は、大人二人が手を繋いで広げたとしても、囲いきれないほどに太い幹を持つ木に優しく触れ、語り掛けるようにしながら小学五年生になったばかりの私に話して聞かせてくれた。
「ご神木様だよ」
「ごしんぼくさま?」
「そう。ここに住む私たちの生活を、ずっとずっと見守り続けてきてくれた、神様の木だ」
「神様の木」
祖母は穏やかに頷くと、いつもありがとうございます。と言って優しくその木を撫でるのだ。私は祖母のその仕種が好きで、今受け継ぐように木を撫でる。
「ねぇ。私フラれちゃったよ。知ってるでしょ。高校の時から付き合ってた彼。好きな子ができたって」
グズグズと鼻を鳴らし、ご神木様の根元に座り込む。頭をそっともたせ掛け、木の呼吸を感じる。
この木は生きている。ずっとずっと長い時間を生きてきている。今まで何十人何百人の話をこの木は聞いてきたことだろう。きっと計り知れないほどの辛い悩みを、この大きな体で黙って受け止めてきたに違いない。たかだか男にフラれたくらいで、この世の終わりみたいに泣きじゃくる私の話など、呆れた気持ちで聞いているかもしれないな。
「でも、辛いんだよ。だって、まだ好きなんだもん。こんなに急にフラれちゃったら、心の準備なんて、少しもできてないんだもん」
誰もいないのをいいことに、大学生にもなって子供みたいな口ぶりで泣き言を言っていた。
「ご神木様も、こんなこと聞かされて呆れてるよね」
そうは言っても、私が思い切り泣けるのはこの場所だけだ。共働きの両親はいつも忙しくしているから、高校になり祖母が亡くなってしまってからは家に一人でいることが多い。だから、一人きりの家で泣いて叫べばいいのだろうけれど。どうしてかな。ここにきて話をすると、心の中にある黒いものが少しずつ消えていく気がする。神様の木だから、私のどうしようもない感傷的な気持ちを浄化してくれているのかもしれない。
「いつも情けなくて、ごめんね」
祖母がしていたように、再びご神木様にそっと触れて撫でる。
「生きている」
ほっと息を漏らし、確認するようにして呟いたあと手を離す。
「また愚痴りに来るね」
苦笑いを残して立ち去ると、秋の香りをほんの少しだけさせた風が私の髪の毛を躍らせた。
誰にともなく叫んで涙を流しても、ここに人の気配などない。大通りから外れた小さな道に、三十段ほどの石段。そこを上っていくと、寂れた赤い色の鳥居が見えてくる。
ずっと昔。どれくらいだろう。母と父が生まれて間もない私にお包みを着せ、写真を撮ったこの神社は、気がついた時には身近な場所になっていた。共働きの両親に構ってもらえず寂しい思いをしている私を、祖母がこの神社へとよく連れてきてくれていた。神主さん。(確か三上さんといっただろうか)の社務所は、少しばかり離れた場所にあるから気兼ねなくいられて、私は幼い頃からこの場所が大好きだった。
時折通る車の音が聞こえては来ても、ここはとても静かな場所だ。風に揺れる木々の音と、囀る鳥の鳴き声。時に強く吹く風が音を立てることはあるけれど、この場所は護られている。
「見てごらん、紗耶香。とても大きな木だろう」
祖母は、大人二人が手を繋いで広げたとしても、囲いきれないほどに太い幹を持つ木に優しく触れ、語り掛けるようにしながら小学五年生になったばかりの私に話して聞かせてくれた。
「ご神木様だよ」
「ごしんぼくさま?」
「そう。ここに住む私たちの生活を、ずっとずっと見守り続けてきてくれた、神様の木だ」
「神様の木」
祖母は穏やかに頷くと、いつもありがとうございます。と言って優しくその木を撫でるのだ。私は祖母のその仕種が好きで、今受け継ぐように木を撫でる。
「ねぇ。私フラれちゃったよ。知ってるでしょ。高校の時から付き合ってた彼。好きな子ができたって」
グズグズと鼻を鳴らし、ご神木様の根元に座り込む。頭をそっともたせ掛け、木の呼吸を感じる。
この木は生きている。ずっとずっと長い時間を生きてきている。今まで何十人何百人の話をこの木は聞いてきたことだろう。きっと計り知れないほどの辛い悩みを、この大きな体で黙って受け止めてきたに違いない。たかだか男にフラれたくらいで、この世の終わりみたいに泣きじゃくる私の話など、呆れた気持ちで聞いているかもしれないな。
「でも、辛いんだよ。だって、まだ好きなんだもん。こんなに急にフラれちゃったら、心の準備なんて、少しもできてないんだもん」
誰もいないのをいいことに、大学生にもなって子供みたいな口ぶりで泣き言を言っていた。
「ご神木様も、こんなこと聞かされて呆れてるよね」
そうは言っても、私が思い切り泣けるのはこの場所だけだ。共働きの両親はいつも忙しくしているから、高校になり祖母が亡くなってしまってからは家に一人でいることが多い。だから、一人きりの家で泣いて叫べばいいのだろうけれど。どうしてかな。ここにきて話をすると、心の中にある黒いものが少しずつ消えていく気がする。神様の木だから、私のどうしようもない感傷的な気持ちを浄化してくれているのかもしれない。
「いつも情けなくて、ごめんね」
祖母がしていたように、再びご神木様にそっと触れて撫でる。
「生きている」
ほっと息を漏らし、確認するようにして呟いたあと手を離す。
「また愚痴りに来るね」
苦笑いを残して立ち去ると、秋の香りをほんの少しだけさせた風が私の髪の毛を躍らせた。