「マジかよ……。このタイミングで……」
颯は苦虫を嚙み潰したような渋い表情になり、ガシガシと銀髪を掻いた。
「どうしたの?」
「山にガキが迷い込んでる。いち、に、さん……。全部で4人だな。ハイキングコースからだいぶ離れてる」
颯はチッと舌打ちした。
夕霧山の標高は約八百メートル。夕霧山を含めた山域一帯の面積は二千ヘクタールにも及ぶ。その広大な地域はすべて夕霧神社が管理する私有地である。
御神山である夕霧山に異変があれば、龍神たる颯には手に取るようにわかる。
「大変っ!!」
春や秋には、遠方からもハイキング目当ての客が訪れるため、夕霧山の一部は山道が整備されているが、そのほとんどは手付かずのままである。
時刻は既に夜の九時を過ぎている。
昼間は暖かくても陽が落ちたら山の気温はぐっと下がる。小さい子供がハイキングコースを外れ、山の奥深いところにまで迷い込んでしまったら命にかかかわる。
「凛は消防に連絡しとけ」
「颯は?」
「だるいけど助けに行かないわけには行かないだろ?」
だるいは余計だと、嗜める間もなかった。
Tシャツを脱ぎ捨てた颯が裸足のまま縁側から庭に駆け下るやいなや、眩い閃光が辺りを包んだ。
閃光が収まった時には、颯はもういなかった。
目は血を垂らしたような赤。鱗は銀。鬣は金。鰐のような大きな口に、蛇に似た流線形の肢体には五本爪の前脚がついている。
……体長二十メートルはあろうかという龍がそこにいた。
龍に変化した颯の肢体がぶるんと波打つ。私は今にも飛び立とうとしている颯の前脚に慌ててぎゅっとしがみ付いた。
「待って!!」
『離せよ、このバカ!!』
颯のものとは思えぬ低い声が頭の中にこだまする。不思議なことに龍に変化した颯と会話が出来るのは龍神の巫女である私だけなのだ。うなじの後ろの龍鱗が関係しているのかもしれないが、詳しいことはよく分かっていない。
「私も行く!!」
『はあ?』
「バカはそっちよ。あんたのその姿を見たら、子供たちがびっくりするに決まってるでしょ?だいいち、その姿じゃ普通の人とは会話できないし、スマホも使えない。元の姿に戻っても全裸じゃない」
人智を超えた力をもってしても、伸縮自在の衣服を作ることは難しい。
変化するたびに着ていた衣類を、台無しにするのはもはやお約束になっている。揶揄するようにクスクスと笑うと、颯は憮然として言い返した。
『落っこちても知らないからな』
「上等よ」
脅すように言う颯に負けじと言い返す。
(一度も落としたことないくせに、よく言うわよ)
これまで何百回と颯に騎乗したが、私を落としたことは一度としてない。