「真澄、昨夜はよく眠れたか?」
「えっ、う、うん。眠れたけど……」
「夢見はなかっただろう?」
「夢……? あ、言われてみれば」
確かに昨夜はなんの夢も見なかったかもしれない。
久しぶりにぐっすり眠れたおかげで頭がすっきりしているし、身体の気怠さもなくなっているからか四人分の朝ごはんを作る気力もあった。
「そういうことだ。かくりよでは気の循環がはやい。そのぶん力をコントロールしやすくなるし、かくりよそのものの気が強いから先のように力が暴走することはまずなくなる。真澄のような強い霊力を持つ人間からしたら、ここは単純に〝生きやすい〟環境なのさ」
翡翠は一拍置いて私に背を向けると、重々しい口を開いて「だが」と続ける。
「かくりよはあやかしたちの世界だ。いくらあやかしを視る目を持っていても人の子は正直歓迎されない。この世界で生きていくとならば、それなりの〝理由〟が必要になる」
「……それが、嫁入り?」
「ああ。俺はこれでも、かくりよではそれなりの地位と権利を得ているからな。いくら人の子とはいえ俺の『嫁』とあらば、そうそう手出しは出来なくなる。身の上の安全を考えたらそうするほかない。……まあ、真澄にとっては不本意な話だろうが」
つまり、この世界で生きていくという選択をするためには、翡翠のお嫁さんにならなければならないというわけだ。時雨さんの「交換条件ですね」という言葉が頭に浮かぶ。
そりゃ、そんなに上手い話があるわけないと思ってはいたけど、まさか嫁だなんて……。
「そんなの、無理だよ」
人と神さま。なんの力も持たない無力な人間と、そんな人が崇め奉る神さまが結婚するだなんて、考えるだけでも恐れ多い。しかもそれが私のためだと言うのなら尚更だ。
顔をあげると、翡翠はこちらを振り返りふたたび私を見つめていた。けれどその瞳はどこか傷ついたように陰り、まるで痛みを堪えるような表情に思える。
なんでそんな、泣きそうな顔をするんだろう。