「どうした? ……なぜ泣いてる」


 私の顔を見た瞬間、翡翠は戸惑ったように大きく瞳を揺らした。かと思えばなぜか自分の方が泣きそうな顔をして、私の目じりにたまった涙をそっと指先で拭ってくれる。


「もう帰りたくなったか。なら今すぐ──」

「違っ……待って、そうじゃなくて」


 私の手を引いてつかつかと歩きだそうとした翡翠の着物の袖を慌てて掴み、なんとか引き止める。意外にせっかちなのかもしれない。早とちりな上にやたらと行動が早い。

 思わず小さく吹き出すと、翡翠はわけがわからないといったように口をへの字に曲げた。


「もう起きてたんだね、翡翠」

「え? あ、ああ、まあな。それより真澄……」

「大丈夫。帰りたくなったとか、そういうわけじゃないの」


 ならなぜ、となおのこと困惑したように私を見つめてくる翡翠。私はどう答えるか言い淀んでから、先日かけられた言葉を思い出して瞳を伏せた。


「翡翠は、然るべき時に私を迎えに行くつもりだったって言ってたよね」

「……言ったな」

「それは、いつだったの?」


 もしもあのとき──私が誤って式神黙示録の封印を解いてしまったとき、咄嗟に神さまに助けを乞わなければ、きっと今も翡翠は私を迎えには来ていないのだろう。

 その〝然るべき時〟が来ない限りは、私と翡翠が出逢うことはきっとなかった。かくりよに来ることも、時雨さんから『ここがあなたの居場所です』なんて言われることもなかった。


「あの、言えなかったらいいんだけど……どうしても気になって」


 翡翠はこちらの真意を読み取るようにじっと私を見て、答えるべきか悩んでいるようだった。端正な顔に曇りがさしており、なにか後ろめたい理由があるのだと察する。


「……明確に、いつと言えるものじゃない」


 しかしやがて、そんな声と共に小さなため息がこぼれ落ちる。


「もしかしたら、一生迎えにいくことはなかったかもしれん。いや、それが理想だった。俺が真澄を迎えにいくときは、〝生きる力をなくしたとき〟だからな」

「……どういう、こと?」

「おまえの力が制御出来なくなって暴走し、うつしよで生きていくことを諦めざるを得なくなった時に帰れる場所を作ること。──もとい、俺の『嫁』として、かくりよへ迎え入れること。それが、弥生と交わした契約だったんだ」


 思わず耳を疑った。あまりに聞き捨てならない言葉が頭を回る。


 ──〝嫁〟?