「あなたさえ良ければ、一日や二日と言わずいつまでもここにいて良いのですよ。この弥生通りも柳翠堂も、もとは弥生様のもの。つまり今は真澄さんのものですから」
「え……私のもの?」
「そう、あなたはここの正式な主です。翡翠はあなたが来るまでの間、ただこの地を守っていただけに過ぎません。ここにはあなたの居場所がある。いえ、ここがあなたの本来居るべき場所なんですよ、真澄さん」
すぐには答えられなかった。だって、突然そんなことを言われても困ってしまう。
この世界に私の居場所なんて、ずっとなかったのだから。
「し、ぐれさん……」
「ふふ、すみません。少し意地悪な言い方をしてしまいました。あなたがかくりよへ来るのを長いことお待ちしていたので、つい。ですが、どうか考えてみてください。真澄さんにとってはなにひとつ悪い話ではありませんからね」
「っ……」
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、時雨さんの中にある黒い部分が見えたような気がした。
私は言葉に詰まりながらじりっと後ずさる。わざわざそんなことを言ってくるということは、恐らく時雨さんは見抜いているのだろう。
いや、時雨さんだけではなく、きっと翡翠も。
だからこそ、彼は私をかくりよへ誘ったのだろうから。
「そう、ですね。せっかく、ここまで足を運んだわけですし」
私の『弱み』。その脆弱な部分を的確についてくる彼らは、もしかしたら一番惑わされてはいけない相手なのかもしれない。もう手遅れになっているような気もするけれど。
「あの、じゃあ私、翡翠を起こしてくるので」
借りていたエプロンをそそくさと外して、私は逃げるように台所を後にした。早足で翡翠の部屋へ向かいがてら、ぎゅっと両手を握りしめて浅い呼吸を繰り返す。
大丈夫、べつに何ともない。悲しくなんて、辛くなんて、ない。
昨日簡単に案内をしてもらったけれど、それでも迷いそうになるくらいには広い屋敷の廊下を進みながら自分に言い聞かせる。しかし角を曲がったところで、ゆっくりと足が止まってしまった。じわり、と視界が歪む。
「……なんで、今さら」
もしもそれが本当なら、本当にここが私の居場所であったのなら、もっと早く迎えに来てほしかった。あの時──両親と祖母が亡くなった十年前に。
たしかに私を引き取ってくれたおじさんもおばさんも良い人だった。生活面に困ったことは何一つないし、保護者を失った身としては十分すぎるくらい恵まれていたと思う。
でも、それでも、孤独だった。力のことを誰にも話せず日々恐怖と戦っていた。
こんな力なければ良いのにと、何度思ったか、何度願ったかわからない。
顔を俯けてきゅっと唇を噛みしめたその時、「真澄?」と低トーンのアルトが鼓膜を揺らした。自分で顔をあげる前に、つい、と顎を掬いとられる。