「その辺にしておきましょう。とにもかくにも今日はふたりとも疲れているはずですから。気になるのは分かりますが、皆さんも無意味に怯えられたくはないですよね?」

 しばしシンとした空気が流れる。しかしややあって「そりゃそうだ」と誰かが呟き、皆も各自ばらばらながら頷いた。一様に『怯えられたくない』というのは共通しているらしい。

 そのまま時雨さんに促されて渋々自分の家へと戻っていく彼らを見ながら、私はホッと胸を撫で下ろす。なんとか難は逃れたみたいだ。


「すみません、あやかしにとって人の子は珍しいのです。彼らに悪気はないので、どうか許してやってくださいね」

「あ、いえ……その、ありがとうございました。助かりました」


 本当に、心の底から。

 そんな思いが伝わったのか、時雨さんは翡翠を横目で見ながらくすっと笑った。


「それでは改めて──自分は時雨と申します。一応『雨の神』ということになっていますが、現在は柳翠堂の店番が本業です。以後お見知りおきを」


 ああ、やっぱり柳翠堂の人なんだ。

 翡翠のさっきの言葉でなんとなく予想はついていたけれど、どうやら神さまは副業の時代らしい。見た目も物腰も柔らかくて、いかにも真面目そうに見える時雨さんまでもが『一応』なんて言ってしまっている。

 よろしくお願いします、と頭を下げかけた時、不意に時雨さんの後ろに目がとまった。


「あれ?」


 すぐそばにある石垣の後ろ。そこに隠れて、こっそりとこちらの様子を窺っている子どもの姿が見えた。私の視線を追って、翡翠と時雨さんもその子の存在に気づいたらしい。ふたりは驚いたようにそろって「六花」と声をあげた。

 背丈からして四歳くらいだろうか。女の子はまさか気づかれるとは思っていなかったらしく、名前を呼ばれてビクッと肩を揺らした。「ぴゃっ!」と可愛らしい悲鳴をあげて、彼女はわたわたと慌てながら踵を返す。

 ……が、足がもつれたのか、すぐにドテンと派手にすっ転んでしまう。


「わわ、大丈夫っ?」


 体が反射的に動いてしまった。あわてて駆け寄って抱き起こし、可愛らしい花柄の朱色の着物についた土をはらってやる。良かった、幸い怪我はしていないみたいだ。

 女の子は恥ずかしそうに小さな声で「ありがと」と言うと、胸の前で指を絡ませる。

 陶器のように真っ白な肌に際立つ、くっきりと大きな瞳が印象的なとても可愛らしい顔立ち。見た目は完全に人の子であることにホッとして、私は彼女に微笑みかける。