意を決して足を踏み出すと、私たちをまとっていた霧が真っ直ぐに前へと流れ始めた。まるで吸い込まれるように、いや導かれるように。その流れに乗ってただ前へと歩いていく。
次第に薄くなってきた霧の先に、淡いオレンジの灯りが見えてきた。胸の鼓動が少しずつ早まる。もう少しで出口──引き返すという選択肢はない。
こくりと唾を飲み込んだ刹那、流れていた霧がふわっと空気に溶けるように晴れた。
まず目に映ったのは、大通りを挟むように続く灯篭の優しい橙の灯。立ち並ぶのは江戸時代のような平屋の家屋。いつか幼い頃に見た小さな神社で催されていたお祭りのように、笛の音と混ざり合って明るく楽しそうな声があちこちから聞こえてくる。
「――それでは改めて。都郷へようこそ、真澄」
「都郷……?」
「かくりよの中心部にあたる区域のことをそう呼ぶんだ。都郷では、神や妖怪に関係なく皆が同じ立場で平等に暮らしている。まあここは都郷のなかでも最端部だが、かくりよのなかでもトップクラスで治安が良い場所だ。なにも心配はいらない」
俺の店もここにあるしな、と続けた翡翠は、どこまでも続いているかのように見える長い通りをゆっくりと進み始めた。慌てて追いかけて、はぐれないように翡翠の着物の袖を掴む。
「──不安か?」
可笑しそうに翡翠がこちらを振り向く。
「い、いや、あの……」
つい、とは言えない。
「大丈夫だ。都郷の中でもこの通り──通称、弥生通りは俺の管轄下にある。俺と共にいる限り真澄に手を出せる者はいないさ。そんなことをすれば、あっという間にお縄だからな」
管轄下、という言葉も引っかかったけれど、それよりも突然出てきた祖母の名前に驚いた。
私の反応を予想していたのか、翡翠は「ああ」と少し寂しそうに頷く。
「その通り、ここはかつて弥生がかくりよで過ごしていた時に住んでいた場所だ。ちなみに俺の店──『柳翠堂』も、もとは弥生から引き継いだものだぞ」
「えっ、おばあちゃん、かくりよでお店やってたの……⁉」
そんなことは一度も聞いたことがない。あまりに仰天して、いつぶりかわからないくらいの大声を上げてしまう。その声にがやがやしていた通りがピタッと静かになった。
しまった、と口をおさえるが時すでに遅し。本能的に逃げなきゃと思ってしまうのは、長年の経験上だ。『彼ら』に視えていることが気づかれれば一環の終わり。それで何度危険な目に遭ってきたかわからない。
けれど次の瞬間、思ってもみないことが起きた。