……正直、行く気はなかった。

 あんな得体の知れない神さまの言葉を鵜呑みにしたら、間違いなく本物の「神隠し」に遭う。それが明らかにわかっていてノコノコとついていくほど、私も子供ではない。

 しかし、なぜか次の日の夕刻、私は昨日と同じ場所──安房響神社にいた。

 肩に下げた少し大きめのショルダーバッグには、数泊程度の着替えやメイク道具の他に、なんとなく必要になりそうなものを入れてきた。誰もいない部屋に放置しておくのも怖かったので、昨日ひと騒ぎ起こした式神黙示録も一応持ってきている。

 現在進行形で時が止まったかのように硬直しながら私を見下ろしている美丈夫は、自分が誘ったにも関わらず、どうやら私が現れたことに相当驚いたらしい。

 銀色の特徴的な瞳を大きく見開いて、今一度本人か確認するように私を凝視したかと思ったら「本当に真澄か?」と怪訝そうに眉をひそめられる。ずいぶんな反応だが、その気持ちもわからなくはないので、すんでのところで文句は飲み下した。

 私だって自分がこんなにも簡単に乗せられるなんて、思ってもみなかったから。

 それでも私がかくりよへ行くという選択をしたのには理由がある。

 ──昨夜の夢だ。


「……桜の木、ありますよね。かくりよに」

「ん? ああ、あるぞ。うつしよとかくりよを繋ぐ、門の役目を持った永遠桜のことだろう。でも、何故それを? 弥生に聞いたのか?」


 不思議そうに瞬きを増やす翡翠さまに、私は話して良いものか少し迷いながらも首を盾に振って、おずおずと口を開いた。


「昨日、とても大きな……桜の老樹と話したんです。夢の中で」

「夢見か?」

「夢見って、たしか未来とかを予知するものでしょう? そういう神秘的な感じじゃなくて……ただその老樹が夢に出てきて、私をかくりよに誘ってくれたんです。遊びにおいでって」

「……ほう。それはまた、興味深いことだな」


 いつものように、起きてからも鮮明に思い出せるような〝夢〟じゃない。

 私は夢の中で、たしかに桜の老樹に誘われた。けれど、いったいそこがどういう場所だったのか、起きた時にはだいぶ薄れて曖昧になっていた。

 いわゆる、そう、普通の夢。最近はめったに普通の夢を見ないから、あの感覚は久々だった。けれど、あれは決してただの夢ではない。彼はきっと、迷っていた私をかくりよへ呼んでくれたのだ。珍しくすっきりと目覚めた瞬間、自然とそう思った。

 だって──手の中に、桜の花びらをしっかりと握りしめていたから。


「しかし真澄、最初におまえをかくりよへ誘ったのは俺……」

「だからというわけじゃないけど、少しだけ気が変わったんです。見てみるくらいなら良いかなって。……一応確認ですけど、いつでもこっちに帰れるんですよね?」


 言葉の途中で遮られた彼は、しょぼんと眉尻を垂らしながら所在なさげに頬をかいた。


「まあ、通行許可証なら俺が発行できるしな。真澄ほどの力があれば大丈夫だろう。さすがにひとりで行き来するのはまだ難しいだろうが、誰かしらの補佐があれば問題ない。……俺は、いつまでいてもらっても構わないのだが」


 どこか年季を感じる言葉遣いであるのに、たまに本気で落ち込んだような顔をする神さまだ。なんだか人よりも人くさくて調子が狂ってしまう。