「ここにいたんだ、翡翠」


 夜の帳がおり、澄んだ空気が夏のからりとした風を運んでくる。庭の池には、ふわふわと淡い光を放った蛍が飛び、時折落ちるししおどしのカロンと軽やかな音が耳に心地よい。

 先日の戦いが夢であったかのような静けさが漂う縁側で、物憂げに腰をかけていた翡翠の姿を見つけ、私は声をかけた。ほんの少し、緊張を滲ませながら。


「……ああ、真澄か」

「なにしてるの?」


 そっと隣に腰をおらした私を横目で見て、翡翠はなんでもないように首を振る。


「なんとなく、夜闇に浸りたくなっただけだ。ようやく統隠局の件も落ち着いたしな」

「一ヶ月の謹慎処分なのに?」


 くすっと笑うと、翡翠はやりきれんとばかりに肩をすくめた。


「ま、謹慎と言いながら事務仕事は山のように回ってくる。明日からはいつも通り仕事だ」

「柳翠堂の依頼もいくつか溜まってるしね。でも……なんだかあんまり平和すぎて、この間のことが嘘みたいに思えてきちゃわない?」


 あの後の数日間は怒涛の一言だった。

 私が悪霊を祓い瘴気を浄化してしまったことで、焼き討ち決行を翌日に控えていた統隠局は大騒ぎ。翡翠と笹波様は決定に従わず、勝手な行動をしたと謹慎処分を受けた。

 私や浅葱さんに関しては、主犯格ではあるけれど結果的には誰ひとり被害を受けることなく枝垂れ村も周辺地域も救った──わけなので、罪に問われることはなく、有難いことに簡単な取り調べだけで済んだ。まあその裏で、翡翠と笹波様が色々手引きしてくれていたのは知っているけれど、あえて触れない。


「なにはともあれ、やっぱり平和がいちばんだよね」


 んー、と夜空に向かって大きく伸びをして、私はそのまま後ろに倒れる。ひんやりとした板の間が気持ちがいい。そろそろ本格的な夏が到来しそうな予感だ。


「間違いないな」

「ねー……」


 仰向けに寝っ転がりながら、目覚めた時のことを思い出す。

 あのとき翡翠の縁結びの力で魂を共有した私とコハクは、一時的に意識を失った。

 翡翠の宣言通り、無事に成功したと知ったのは目覚めてから数秒後。ぼうっとする頭で隣を見て、穏やかな寝息を立てて眠るコハクに気づいた私は、その場でまた泣いてしまった。

 魂が結ばれた、といっても私自身の身体になにか変化が起きたわけじゃない。それはもちろんコハクに関しても同様で、幸いにも記憶や意思がなくなることもなかった。

 そう、それは至って自然に──元からそうだったのではないかと思うほどすんなりと、私とコハクの魂は重なったのだ。翡翠いわく、運命や縁は侮れないらしい。

 おかげで、誰ひとり欠けていない元の平穏な生活が戻ってきた。

 もちろん背負っていくものはある。

 これから先、私たちはいつだって一心同体。

 私はコハクで、コハクは私。

 主従を超えて繋がってしまったのだから、私たちがこれから共有していかなければならないものは以前と非にはならないだろう。

 それでも、やっぱり私は自分の選択が間違っていたとは思わない。

 あのとき──もしも翡翠が、私に手を差し伸べてくれなければ。

 縁を繋ぐ力を貸してくれなければ、きっと私はもう二度と、このかくりよに足を踏み入れなかっただろうから。

 どんな形であれ、大切な存在を失わずに済んだという事実は、なによりも私の心を支えてくれている。

 きっとこれ以上、幸せなことはない。