「それでは、行って参ります」
「……頑張って」
私を安心させるように微笑んで、コハクは自らの身体に御札を一枚貼り、空気を斬るように結界を飛び出していく。どこか懐かしい霊力を身体に纏ったコハクの背中を見ながら、私は堪え切れず頬を伝った涙を拭った。その『予感』に、気づきたくはなかった。
──枝垂れ村は名前の通り、かつて枝垂れ桜が村中に咲き誇る村だったらしい。瘴気にあてられて今はもうその原形はない。木々は朽ち果て干からびて、畑はどす黒く腐った野菜が転がり、見るも無惨に崩壊した家があちこちに破片を転がしている。
しかし、村に棲んでいたあやかしたちは、こんなに酷い環境でも断固として村を捨てたがらなかったという。退避勧告が出るまでしぶとく留まっていたあやかしもいるらしい。
村全体を包んでいた枝垂れ桜が、いつかまた花を咲かせることを信じて。
……いつかきっと、元の美しい村になると願って。
かつてあやかしを嫌っていた私が、こんな都合の良いことを思うのは実に勝手なことだと分かっているけれど。それでもどうか、この村のあやかしたちに笑顔が戻ってほしい。瘴気に苦しめられてきたあやかし全てに、もう一度平穏な日々が戻ってきてほしい。
今は心からそう思う。そう思うことが出来る。この世界で出逢ったみんなのおかげで。
「絶対に祓ってみせる」
みんなが頑張っているのに、私が泣いているわけにはいかない。
コハクが華麗な身のこなしで風の刃を斬り裂き、邪気の塊をかわしながら、どんどんふたりの元へ近づいていく。笹波様と浅葱さんはコハクが突っ込んできたことに驚きながらも、すぐにその意図を察して動きを変えた。さすが判断が早い。
コハクが言っていた通り、ふたりの顔にはだんだん余裕がなくなってきていた。纏わりつく邪気に生命力を奪われ、瘴気の影響を完全に妖力で防げなくなっているのだ。風の刃を受けてしまったのか、服のあちこちが裂けて血が滲んでいる箇所もある。
それでも、ふたりは諦めない。
コハクがようやくふたりの身体に御札を貼ることが出来た時、遠くから「真澄!」という声が聞こえた。はっとして顔を向ければ、強い神力のベールで包まれていた翡翠が、こちらに向かってきていた。封印石を破壊し終わったのだと気づくや否や、私は中指と人差し指を立てて構えの体勢をとる。
──しかし、思わぬ事が起きた。
それは、コハクから御札を受け取り、自らの身体が傷つくのも構わず強行突破した笹波様が、なんとか村長に御札を貼り付けた瞬間。
より一層おどろおどろしい雄叫びをあげた村長から悪霊が抜け出るのもつかの間、彼はこれまでとは比べ物にならないほどの瘴気を発した風の刃を放ったのだ。