まずい、とどこかで思った。しかしそう思った時にはすでに〝その行為〟を止めるほどの理性は残っていなかったらしい。なかば虚ろな意識のまま、操られるように紋の最後の文字を描き上げた…………その瞬間。
「うわあっ」
地面に描いた紋から突如、信じられないくらいの爆風が吹き出した。
思わず我に返り、手に持っていた式神黙示録を宙に放り出しながら、その場にどしんと尻もちをつく。髪も服も強い風に煽られて激しく波打ち、まるで竜巻の中に放り出されたように、気づけば目まぐるしい風が私の周りを回っていた。
とにもかくにも落としてしまった黙示録を拾いあげようと手を伸ばす。
「う、届かない……っ」
少しでも体勢を崩せばあっという間に体が飛ばされてしまいかねない。顔を腕で覆って懸命に身体おまえに進めようと奮闘するけれど、届くどころかどんどん引き離されていく。
しかし、こんなにも風が吹き荒れているのに、私が地面に描いた紋の上に落ちた式神黙示録は微動だにしない。そこに縫いとめられているように、ぴたりと静止していた。
それはまるで、そこだけ時空が違うかのようで。
だからといって、このままじゃまずい。本能的に生命危機を感じながらも、どうするのが正解なのか分からなくて、私は泣きそうになりながらぎゅっと目をつむった。
───神さま……!
困った時の神頼み、は私のような人間でも変わらない。なにかに引っ張られるようにそう願った瞬間、不意にキーンと高い耳鳴りのような音がした。え、なに、と目を見開いた直後、空気を律するような圧と共に、森の木々の間を抜けて凛とした声が響いた。
「――まったく、仕方がないな。手がかかるのもお愛嬌、か?」
「え……っ」
誰、と思う暇もなく、ふわりと身体がなにかに温かいものに包まれる。気づいた時には足先が地面から離れ、同時に耳元にやたら低トーンの甘い声が落とされた。
「多少強引な呼び出しだが、他でもない真澄のためならば出ないわけにはいくまい」
「ひ……っ!」
一瞬、食べられるのかと思った。比喩ではなく、そのままの意味で。
けれどすぐに違うと判断出来たのは、私を背中から抱き上げている『何者か』から敵意や悪意といった嫌なものをまったく感じなかったから。そして何より──。
「あ、あの、誰……っ」
──『何者か』が、人の形をしていたから。
お腹にまわる、やや骨ばみながらも白く美しい手。視界の端に揺れる黄金の髪。私の体がすっぽり包まれてしまう体格から、ひとまず相手は男性だろう。
しかし相手が人の形をしているからといって落ち着けるわけではない。宙に浮いている、という如何ともしがたい状況に混乱を極めながらバタバタと手足を動かすと、耳元で「こら、」と焦ったような声が落とされた。