「はい、集中」


 十五畳の畳の間、私と向き合った時雨さんが静かに声を落とす。

 互いの息遣いしか聞こえない空間。神経を研ぎ澄まし、意識に潜り込む。

 瞼を伏せて正座の状態で姿勢を正し、どこまでも広がる暗闇の中を泳ぐのだ。

 湖畔の水面に波紋がゆっくりと広がっていくようなイメージで、身体の中心に渦巻く霊力を全身へ満遍なく行き渡らせていく。その状態を意識せずとも保てるようになれば、いざ力を使う時に自然と火力をコントロール出来るようになるらしい。

 毎朝一時間の修行の時間では、こうして意識を研ぎ澄ました状態で霊力の流れを掴み、いかに意識と一体化させるか──というのをひたすらに行っている。

 毎日、朝が早いというのに快く私の修行に付き合ってくれている時雨さんのおかげで、最近ではだいぶ自分の中の霊力がどれほどの量なのか分かるようになってきた。

 この延長線上に自分の霊力と意識を繋げる糸がある、と言われたがまだ掴めない。

 可視化した血液の流れとはまったくもって別物の、掴みきれないなにかの存在。

 これを思うがまま自由自在に操れるようになるのは、言葉でいうほど簡単なことじゃないのだと修行をはじめてすぐに気づいた。

 そう考えると、これを本職にしていた私の先祖はいったいどれほどの修行をしていたのだろう──と、これまで気にしたこともなかったことが気になってくる。


 ──陰陽五行思想。


 いわゆる陰陽道の根底にあるものをそう呼ぶが、その歴史ははるか昔、飛鳥時代にも遡ると言われている。そしてこの陰陽五行思想から生まれた陰陽師という役職が定着し活躍したのは、私の先祖である賀茂家が主に名を残した、後の平安時代だと言っていいだろう。

 その頃、陰陽寮は朝廷の役所のひとつだった。つまり、陰陽師は今でいうところ国家公務員。現在は何かとファンタジーな存在になりがちだが、当時は立派な役職だったのだ。