扇子専門店を営むさとりのおっちゃんは、店のなかに私を誘ってひとつひとつ丁寧に説明しはじめた。上手く乗せられたような気もしなくはないが、おっちゃんの言うことも一理ある。たまには私も、日ごろの感謝をこめて翡翠になにか贈り物をしたい。

 種類の豊富な扇子に悩みつつも店内を物色し、おっちゃんが得意げにひと通り説明し終わる頃には、私はもうどの商品にするか決めていた。一目見て翡翠にぴったりだと思った扇子を買い、ほくほくしながら店を出ると、どこからか甘い香りが漂ってくる。


「……はわぁ、良い匂い……」


 誘われるがまま、これまた数軒隣の甘味処までやってきた私は、ふんわりと香る甘い小豆の匂いに思わず頬を覆った。『かごや』と書かれた暖簾の横には、甘味のメニューがずらりと並んでいる。クリーム白玉あんみつ、冷ぜんざい、生わらび餅、抹茶シフォン──。

 いつもこの辺りへ買い物にきた時は、このどうしようもない誘惑に負けないように早足で前を通り過ぎていた。だから、こんな風にじっくりと香りを嗅いだのも初めてで。

 ついよだれが落ちそうになって、慌てて口元をぬぐう。

 ああでも、この匂いたまらない。優しくて温かくて、とても懐かしい。

 日々働いてくれている脳を優しく満たし癒すような甘い香りにどっぷり浸っていると、突然すぐ後ろから「真澄」と声をかけられた。飛び上がりながら振り向けば、


「ひ、翡翠……!」


 いつの間に追いついていたのか、腕を組み苦笑しながら立っていた翡翠。

 咄嗟に私は買ったばかりの扇子が入った袋を背中に隠す。


「どこに行ったのか思えば、こんなところでなにしてる? 見てるだけじゃ腹は満たされんだろう。ちょうど三時頃だし、なにか甘いものでも食べていくか」

「えっ、いいよ、全然……っ」

「食べたいと顔に書いてあるが」

「うっ、そ、そんなに?」

「そんなに。……まったく、上手いものの前で遠慮なんてするもんじゃないぞ。それにせっかくの初デートなんだ。ひとつくらいそれらしいことをさせてくれ」


 心の中で、身がよじれるほど唸った。

 そこまで言われてしまったら、私はなにも言い返せなくなる。

 翡翠のなかでこれが『デート』扱いだったことにも驚いたけれど、なにより私の心の中をすぐに見透かしてしまうのはやめてほしい。さとりのおっちゃんはひとりで十分だ。