「え、でも、ちょっと待って。堕ちたってどういう意味?」
「どうもなにも、おまえに惚れたって意味に決まってるだろう」
「あ、赤ちゃんに……⁉」
思わず感傷に浸っていたことも忘れ、素っ頓狂な声がもれた。翡翠は少し恥ずかしそうな顔で「悪いか」と頬をかく。どうやら照れているらしい。
「長く生きていると、だんだんそういうものに鈍感になる。どんなに気を付けていてもな。だからこそ、俺は真澄の魂そのものに惚れたんだ。この世界の何よりも美しいものだと思ったあの瞬間のことは、きっと何年、何百年経とうが忘れはしない」
たまに、ふとした時にこちらを愛おしそうに見る翡翠の瞳が脳裏によぎる。
恋愛に免疫のない私には、あまりに直球で。それでいて難しい話に思える。
命だとか魂だとか、恐らく人の子には生涯かかってもわからないものに、気が遠くなるほど長い時を生きていた翡翠は心を揺らしたという。それが私だったという偶然すら、またひとつの縁だと、この神さまはきっと本気で思っているんだろう。
「……まあそういうわけだ。弥生の話はもういいだろう?」
「う、うん」
改めて気恥ずかしくなってきたのか、僅かに耳の先を赤らめている翡翠。
旦那、とか呼ばれている翡翠でも、照れるところはしっかり照れるんだよね。
思わず緩みそうになる口元を必死に取り繕っていると、いつの間にか弥生通りの中心辺りまでやってきていた。わいわいがやがや、今日も愉快な声があちこちから聞こえてくる。
「おや、翡翠の旦那に真澄ちゃんじゃないか! 今日は仲良くふたりで買い物かい?」
雑貨屋を営んでいる『化け狸』のおばちゃんが私たちを見かけて、お店の中からひょこりと顔を出した。ふくよかな体系のおばちゃんが笑うと、両頬に可愛いえくぼが出来る。