「だが弥生が移り住んでから一年ほど経った頃、突然うつしよへ帰ると言い出したんだ」
「突然?」
「何の前触れもなかった。当時、統隠局の上層部から弥生の監視を命じられていた俺は、嫌々ながら関わる機会が多かったから話を聞くことになってな。……そのときはじめて、俺は弥生がうつしよでどんな目に遭ってきたかを知ったんだ」
ああ、と思った。胸の奥がちりちりと痛んで、つい唇を引き結ぶ。
それがどんな『目』なのか、私は聞くまでもなくわかる。それを先に経験した祖母は、私も同じ思いをするかもしれないと危惧したんだろう。身を守るための術、心構え、その他にも生きていくための多くの術を私に授けてくれた。
でも、その教えを守りながらでも──『生きる』ことは辛かった。
きっと祖母は、生まれてからずっとひとりでそういうものと戦っていたんだろう。
高校生で霊力を完璧に扱えるくらいには、防衛手段を身に着けざるを得なかったのだ。
──ただ、どこに行っても現実から逃げて生きていた私とは違う。
「しかし、それでも弥生はうつしよへ帰るという選択をした。何故かは未だにわからん。結局、最後の最後まで教えてはもらえなかった。それがあやつの矜持だったのかもな」
……いや、きっと、違う。
祖母は自分の弱いところを見せたくなかったんだ。かくりよで過ごしていた時の祖母の姿と、うつしよで生きる祖母は、恐らく別人だったんだろうから。
「その後、弥生と再会したのは真澄が生まれる少し前のことだ。例によってなんの前触れもなくかくりよにやってきた弥生は、騒ぎ立てるあやかしたちを一蹴して黙らせ、面食らう俺に会うなり唐突に言った。──霊力を宿した孫が生まれる、とな」
「え、じゃあ私のこと、生まれる前から霊力持ちだって分かってたの?」
「ああ。──弥生は、また自分と同じ目に遭わなければならない子が生まれてしまうと自分を責めて泣いていた。その時初めて、本当の意味で、弥生が柔く儚い人の子だったのだと実感したんだ。まあ実際、その時には弥生はずいぶん歳をとっていたから子でもないが」
それまではまるで怪獣か何かだと思っていた、とでも言いたそうな口振りで翡翠は小さく息を吐く。繋いだ手が少しだけ強く握られたような気がした。
「そしてもうひとつ。弥生は、遠くない未来で自分が死ぬことを知っていた」
「っ、え?」
「夢見の力だ。夢見は夢の中で過去や未来を視る。弥生はそれで自分の未来を視たらしい」
夢見。うつしよにいた頃、さんざん悩まされた力。
力を使いこなしていた祖母は、もしかしたら自らその夢見を行ったのかもしれない。