何だ、今のは――
 僕は叫んだ体制のまま呆然(ぼうぜん)としていた。たった今起きた出来事を理解しきれずに。謎の男に襲われたことではなく、その後に発した自分自身の声に衝撃を受けたのだった。
 静かな場所ではあるが、確かに、ちゃんと通る声だった。今までこんな声を出せたことはない。でも――大声を発した手応えがまるでなかった。いつもなら一発で喉が潰れるはず。するっと、口の手前にある空気砲を鋭く発射したかのように、声はそこから出たのだった。何とも不思議な感触だった。
 ただ、音程が高い。一般男性の音域ではない。もうちょっと音程が低ければ使えるのに。

 やや暫くの静寂の後、浴衣姿の女子二人組がクスクスと笑いながら、ここに誰も見えていないかのように何事もなく通り過ぎて行く。
 「新手のパフォーマンス――」「演劇の稽古――」やがて遠ざかる足音に混ざってそんな声がかすかに届いてきた。
 演劇? ああ、そうか。これはまるで出来の悪い学園祭の劇の一場面のようだ。そんなふうに見られたことに逆に安心した。変に騒がれたり心配でもされたら面倒なことになる。そう、自分でもまだ何一つ理解ができていないのだ。だいたい、原因は――
 我に返る。すっかり忘れていた。ここまで思い巡ってやっと、元凶と言うべき男の存在に意識が至った。
 見ると、ケムール人男も尻餅をついたまま、天を仰いでいた。前身頃が半分はだけてパンツ一丁のあられなき姿。相当に間抜けである。この男、少なくとも「危険」という意味での恐い存在ではなさそうだ。むしろ違う意味での底知れぬ恐さというか、興味が湧いてきそうになる。
 つかつかと歩み寄ると、尻餅をついたままの男が、気の抜けた車内アナウンスのような声を発した。
「こ、腰が抜けた――」と男は首を左右に伸ばしながら腰をさすっている。
「受けるどころか、怒鳴られるとは」
「受ける?」と僕は思わず聞き返す。どういうことだ。
「実証実験、というか、喜んでもらおうと」
 釈明にならない釈明をした男はうなだれながら、続けて消え入るようにつぶやいた。
「絶対、面白いと思ったんだけどなぁ」
「……」
 何だか、言っていることもよくわからないけれど、一つだけはっきりしている。全く、まったく(×100)面白くなかった! どこがどう面白いと考えて、この一連の行為に及んだのか! 最初の目撃以来、腹の底に積もりに積もっていた一連の「腑に落ちなさ」みたいなものと、不条理さが合わさったものが、怒りの感情になって込み上げてきた。