思ったより大がかりな組織のようである。だとすると、職業として会を維持していた代は、実際の活動はしていなかったんだろうか。その疑問に奈緒さんはこう答えた。
「それがですね、けっこう真面目な方が多かったのか、報酬に見合う仕事はしようと思ったのか、お笑いの『研究』ということで学術的な資料、そういう類の物をきちんと作っていたんです。過去の活動記録を紐解いてみますと、プラトン、カント、ベルクソン、ショーペンハウアーなど、笑いについて言及したとされる有名な哲学者達についても研究していたみたいです。今挙げた学者さん達の著作については、私もちょっとだけ図書館で読んでみたんですけれど、完全に哲学書でしたよ。あと、 最初は職業として携わっても、興味が出て本格的に活動した代もあります」
 よく、そこまで調べる気になったね、と感想を述べると「私は記録係ですから」とさらっと言う。
 ただ、過去のスカウトの実績としては、そもそも適材が見つかることは少なく、形式的な代が続くことも多かったとのことである。もう近年では惰性で会が維持されているような感じであったらしい。
「それで、兄の代が久しぶりに『当たり』だったんです」
 それは、一人勧誘できれば御の字の所を、二名も入ったからだと言う。
「おまけに兄と木島さんはとても気が合ったんです。自身のかかえていた『モヤモヤ』みたいなものが、会のおかげで見事に解決したらしく、兄は嬉々として活動に勤しみました。当時私は高校生だったんですけど、私から見ても兄は良い方向に変わったと思いました」
 会の歴史を紐解き、新たな理論を研究し、木島副代表と切磋琢磨して会は新たな境地に向かうかと思われたそうだ。しかも、会員のスカウトにもかなりの自信を持っていたらしい。
「歴代のスカウト事情はともかく、兄に関しては、人の『弱い部分』を見つけるのが天才的に上手いのです」と奈緒さんは言う。それは――お笑い以外の分野で何かしら暗躍できそうな才能である。
 ところが、運悪く翌年は会員が集まらなかった。秘伝の「一言」も、絶妙の殺し文句も不発だったと。そして、そのことが会の活動に影を落とし始めたという。
「兄は会の存在に依存し過ぎていたんです」
 このままでは会の存続が危うい、せっかく活性化したのに、また名ばかりの組織に戻ってしまう――と。そして、
「兄は、昨年スカウト成果がゼロだったことに危機感を覚え、今年は、とある策略を使いました。妹の私を広告塔というか、囮に使ったんです」
 ターゲットと会う時に、さりげなく奈緒さんも何度か同席させて顔なじみになり、例の「決め」の時には奈緒さんもすでに入会していることも告げたのだそう。それは――弱点を攻めるという点で卑怯ではあるが、孤独属性のいたいけな若者に対しては、ある意味最も効果的な作戦ではないか!