「事前に計算して考えたことより、その後とっさに出た財布のくだりがよかった、というのが難しさを物語ってるのではないでしょうか」
「――何ですか? それ」
 え? という顔をして、木島副代表と奈緒さんが僕を見る。そうか、知らないんだ。レポートには記されていないし。
 カジ谷君は「そう言えば、そんなことも――」と、額を叩く。
 僕は、あの夜の去り際のやり取りを説明する。まあ、あれはハプニングとまでも言えない、ただの成り行きの会話だから。
「へえ、そんなことが」と木島副代表は感心する。
「確かにそういうことなんだよね。その難しさの要因を更に分析して、今後に生かさなければ」と、それまで黙って聞いていた西川代表が、言い聞かせるかのように言った。
 ここで突如「ボーン」と、柱時計がくぐもった音で鳴り響いた。びっくりして柱を見あげる。すると、西川代表の「はい、皆さん、笑う時間です」の掛け声のもとに
「はっはっはっはっはっはっ――」と皆が一斉に笑い出したのだ。それはとても不自然な、芝居の稽古のようだった。
「……」
 僕は、急に焦点が定まらない感覚に襲われた。「定期的に笑いを強制摂取するのです」という説明が耳から耳へ直接通り抜けていく。ひたすらに一生懸命な笑い声は、笑いには聴こえないのであった。

 その後も何だかんだと、思い思いの意見で会自体は盛り上がった。生真面目であるが故にピントがずれて、核心からどんどん別方向に突っ走りがちな議論に、だんだん調子に乗ってきた僕がすかさず「ツッコミ」を叩き込む。これがなかなか貴重な体験なのであった。
「そろそろ、おいとましようと思いますが」
 話題も混沌として、収集がつかなくなってきた。頃合いである。
「これも何かの縁ですから、また、いつでもお越しください」と西川代表が言う。
 あいまいにうなずいて立ち上がる。冷静になってみると、本来の目的としては収穫がなかった。ここに来れば鏡が見つかるみたいな話だったのに、と――
 入口を振り向いて驚いた。ドアにかかっているのは、なんとMoonBeamsの鏡ではないか!
「え~っつ!」と思わず出た声は、またもやあの声だ。
「どうしました?」と、皆に驚かれる。
「この鏡って――」
 大きさはこちらがずっと小さい。ただ、額のデザインが瓜二つなのである。
「いつからかわからないけれど、ずっとここにあるものですが」と西川代表が言った。
 鏡は曇っていてぼんやりしている。立ち上がると、急に自分の顔が映った。光の加減か? 驚いて身をよじると、卓上の灯りに照らされて不敵な西川代表の顔が映ったのだった。