空しく天井を見上げていると、そこへ「うい」と言いながら桑原が入ってきた。
 桑原は、同時期に入居した一階の反対側の端の部屋の住人で、工学部の変人である。何を着る、などを考えるのが面倒くさいとかで、いつも実験用の白衣を着ている。カジ谷君に遭遇した時に頭に浮かんだ友人とは、こいつのことなのである。
 着ている白衣は、実験室の備品を「自主的に」レンタルしている物で、歴戦の証のようなまだらのシミが不思議なアート模様になっていた。ただでさえ小柄でずんぐりした体形で、胴と足の比率がやや残念なところに、サイズの合っていない白衣の裾がぞろ長いのが妙にアンバランスだ。一方向から強風に当たったような寝ぐせの頭で、たまにフラスコを持っている姿は、漫画の中のマッド・サイエンティストそのものである。僕が布団をかぶって歌の練習をしていると、「ギターは上手いが、歌はどうなんだ?」などと、通りすがりにわざわざ嫌みを言ってくるようなやつでもある。
「昨日、見たぞ。縁日のついでに、だがな」と、開口一番に言う。寝転んでいる僕を足で押しのけ、部屋の隅に寄せていた座卓テーブルを真ん中に引っ張り出すと、もう勝手に座っている。
「見た目が全然釣り合ってないな。美女と、野獣――じゃなくてただの貧乏学生」
「前に居たベースの人、あの殺し屋みたいなカッコイイ人は、雰囲気あって、様になってたのにな」と、立て続けにまくしたてる。
「うるさいなあ。自覚はしてるんだよ」
「ギターはいいけど、お前の歌、コーラスとかは、別になくてもいいんじゃないか?」
 毎度、辛辣な感想を容赦なく言ってくれる。ありがたい存在でもある。
「やっぱり、そう思ったか」
 言いたい放題を言われても、事実なので言い返せないのが悔しい。すると、悠然と横になった桑原が「うむ。やはりこの部屋は落ち着くな」と、北山と同じようなことを言い出す。
「お前の部屋も、作りは一緒だろうが?」
「いや、入れ物はそうなんだが、中身の問題で、な」
 確かに、桑原の部屋は全く様相が違う。去年の夏頃までは「孤独を癒すため」とか言って、非観葉の樹木や雑草を含む大量の植物を次々と室内に持ち込んでいたのだが、それが不思議と無駄にすくすく育ち、夏場には小さな爬虫類さえ闊歩する四畳半ジャングルと化したのである。訪れた友人が「密林に迷い込んだ!」と、青ざめて僕の部屋に逃げ込んできたほどだ。室内改造可の通達が出ると、ジャングルはきれいに撤去されて、今度は壁一面に棚を作りつけ、みるみるうちに本が増え始めた。「特許を取るため」とのことだが、専門書の類は少なく、何故か推理小説や恋愛テクニック指南本、果ては十八禁指定本まで、無駄に幅広いジャンルが網羅されていた。古本屋の親父と交渉して、倉庫として部屋を提供する替わりに自由に読んでよい、という密約を結んだとのことである。それがついに棚からあふれ、床に積み上げられるようになった挙句、「何だか、床が怪しいんだ」と言って、僕に助けを求めて来た時には、あと少しで床が抜ける寸前のたわみ具合になっていた。その後、持ち込む量は制限したそうだが、今も、知らぬ間に入口に新たな蔵書が置かれていて、本をいちいち除けないと部屋に入れないことが多々あるらしい。どうにも極端な男である。