コンサートの開演まではまだ時間があった。
 僕は、深川先輩が話しかけて来るのを、心地良く聞いている。
「ちゃんと言えて良かったわ」
 ――それは、僕を誘った理由だろうか?
「実は、ずっと気にしていたのよ。真堂君を『Re:Person』に誘ったこと。負担になってるんじゃないかな、って。傍から見て、歯を食いしばって無理に耐えてる感じがしたの」
 ――必死だったのは確かですけど。
「よそよそしい感じだったし」
 ――ドキドキして、まともに顔を見れなかったんです。そして、勝手に、心に防御壁を築いてガードしていたのは、僕の方だった。
「ずっと敬語だし。私、そんなに怖い先輩かなあ」
 ――いや、敬語は、先輩ですから当然。でも、親しい人にはざっくばらん、それは親しい相手にも求めているということなのかな。よくわかりました。ということは、僕も親しい人のうちに入れてもらえたのだろうか。だからと言って、過大な期待は絶対禁物であるが。
「でも、見る見るうちにギターの腕は上達したわね」
 ――とりあえず、僕は、音楽仲間として認められている。嬉しいです。
 ここまで黙っていた僕は、先ほどから気になっていたことを聞いてみる。
「もしかして、僕の歌声って、マスターのとちょっと似てるんですかね?」
「似てると言えば――あの眼鏡と髭の変装、マスターに似てたわよ」
 お、それはまた意外な指摘だ。
「新しい歌い方は、同じ系統の質感だわね。心地よい、中毒系」
 でも明らかに、表情も音色も、マスターには及ばない
「修行すれば、あのくらいまでなれるのかな」
「伸びしろでは真堂君は無限大よね。楽しみだわ。その感じで、私のハモリもお願いね」
 そう言われるだけで、何だか涙が出そうになる。
 本当に桑原の言った通りだ。僕は最初から致命傷を負っていたのである。でも、それでいい。

 コンサートが始まる――

 やっと、ちゃんと歩き出せた。
 行き止まりの袋小路の悪夢はもう見なくなったけれど、そのかわり――
 いつかまた袋小路の、開かない扉が開いた時、あの木洩れ日の道を、木洩れ日の道の先へ。 もしかしてその時、深川先輩と並んで歩けたなら、それは最高なのだろうと思ったりする。
 今は、そんな夢を見るくらいは、かまわないだろうか?


─完─