「おっかねぇねぇちゃんだな」

 少し日を置いて、重実は町に出た。大場なる同心の声を確かめるためだ。横を歩く彦佐は、緊張感なくずっとぶつぶつ言っている。

「折角別嬪だってのに、格好は男の(なり)だし勿体ねぇ」

「そういやお前、初めっから伊勢を女だと見抜いていたな」

「へ。声は高いからな。おれはこう見えて、耳がいいんだ。大場って同心の声だって、ばっちり覚えてるぜ」

 自慢げに胸を張る。二人がいるのは大場の巡回経路にある大きな呉服屋の斜向かいだ。呉服屋のあるじは、よく北山に袖の下を贈っているという。それを見越して、大場もしょっちゅう立ち寄るのだ。同心は特徴のある髷に羽織なので、見ればわかる。大場の風貌の特徴は、子細に伊勢に聞いてきた。

「あんたは、あのねぇちゃんの用心棒か何かかい?」

「そう……なのかな? 用心棒ってわけでもねぇけど」

 艶姫には用心棒が必要だろうが、伊勢には必要ないような気がする。だが初めは斬られていたのだし、伊勢を助けることにならなければ、このようなことに手を貸すこともなかっただろう。

『おぬしの今の原動力は、伊勢のほうではあるがな』

 重実の肩の上で、狐が言う。

『おぬしは強い者のほうが好きじゃしの』

「そらそうだ」

 あはは、と笑う。ちょっと彦佐が驚いた顔を向けた。

「ま、雇い主ってところかな」

「向こうのほうが立場が上か。下手に手出しできねぇな」

 にやにやと笑いながら、彦佐が言った。

「それ以前に、お前なんざ手出ししようとした途端に、首と胴が離れてるぜ」

 重実が言うと、う、と彦佐が固まった。いくら伊勢が綺麗でも、あの腕前では並みの男では敵うまい。自分よりも弱い男に靡くとも思えない。町人など論外だろう。

「あ、あんたはどうなんだ。それなりに遣えるんだろ? あいつをどうこうしようとは思わねぇのか?」

「思わないねぇ」

「もしかして、あの姫さんのほうか」

 彦佐は若いからか、それなりに綺麗な女子がいれば、すぐにそういう欲が湧くらしい。いや、と重実は小さく首を振った。おそらく男であればそうなのだ。何とも思わないのは重実だけ。

「あの姫さんも可愛いよな。どこの姫さんかは知らんけど、変に気取ったところもない。あのねぇちゃんよりも気安いぜ」

  彦佐の前で身分を明かすのはよろしくなかったのに、あのとき散々『姫様』と呼んでしまった。が、彦佐は特にそこについて聞きたがることはなかった。彼曰く、物事は変に深く知るものではないらしい。小悪党らしい考えである。小悪党が上手く立ち回るには賢い方法だ。知りすぎれば消されるのがオチの世界で生きて来た故の考え方だろう。お陰で艶姫のことは『姫さん』と呼ぶが、事情は何も知らないままだ。