「早くしなさい。その書類はきちんとお届けして」
甲高い女の物と思われるその声に、惟子は襖をあけるのを躊躇すると、聞き耳を立てる。
「しかし、雪女様、サトリ様がいない今、印鑑はいただけないのでは……」
「そんなことわかっているわ!」
怒りに満ちた女の声がしたと思うと、襖と壁を隔ていてもわかるほどの冷気が、惟子のいる和室にも流れ込んできた。

(寒っ!)

「申し訳ありません!雪女様、ただいま」
「早くしなさい」
その声だけを残して、冷気と共に雪女と思われる足音が廊下を歩いて行くのがわかった。

「ああ、恐ろしいな、寒い寒い。サトリ様がいなくなって、ましてやお嫁様までいるとわかって、雪女様のご機嫌は最悪だ。寒い寒い」

雪女だのなんだのという言葉からして、うまく隔世に来れたことがわかる。
ということは、もうこの襖の向こうは今までの世界ではない。
見えるものへの覚悟を決めると、惟子は襖をゆっくりと開ける。

「わあ!」
その惟子の行為に驚いたのは、どうやら相手で大きな声をだして後ろに転がったのがわかった。

「か……える?」
惟子の目の前には、人間同様2足歩行をする蛙がいた。
身長は160㎝の惟子の3分の2程度で、小学校の低学年ぐらいの体型をしていた。
顔は確実に蛙なのだが、体は人間と同じ。それはとても不思議な感じで、惟子はまじまじとそれをみた。

「お前は誰だ!怪しいやつめ!」
見かけは蛙でもさすがあやかしだ。惟子の姿を確認するな否や、纏う空気が変わり、緑色だった体の色が怪しい紫へと変化する。

「違うの。違うのよ!」
惟子は慌てて否定しながら、少しずつ後ずさりをする。
長い舌を出して今にも惟子に襲いかかりそうな蛙に、惟子は無抵抗を示すように手を上げた。

「お願い、食べないで。とりあえず話を聞いて。私はサトリ様を助けにきたの」

その言葉に、蛙は舌の動きを止めると、ジッと惟子をみた。

「お前……その恰好。人間か?」
やはりこの恰好がまずかったのだろう、すぐに見破られ惟子の心臓はドクンと音を立てる。
いくらサトリを助けるために来たと言っても、人間は物珍しいもので、人間を食べるあやかしだっているだろう。