俺は自宅の庭に植えたばかりのアカシアとミモザの若木に、丁寧に水をかけていた。

植える場所も良く選び、肥料もしっかり撒いた。

育て方の本も買ってきたし、きちんと手をかけて大きく育つよう、余計な枝葉も落とす。

こうやって丁寧に育て上げれば、大地に根の張った、立派な大木に育ってくれるだろう。

「あら、おはようございます」

近所を通りかかった、母と顔見知りのおばさんが、俺に声をかけてくる。

「朝早くからお庭のお手入れ? まぁ、新しく木を植えたのね」

「えぇ、大きな木のある庭に、憧れてまして」

おばさんは俺の庭をのぞき込み、二本の若木を交互に見比べた。

アカシアの木は父に、ミモザの木は母を思って植えたものだ。

「最近、お父さんとお母さんを見かけないけど、元気?」

「あぁ、二人とも体調を崩していまして、揃って入院しているんです」

「そうなの? まぁ、それは大変だったわね」

彼女はもじもじとして、何か言いたげな顔をちらちらとこちらに向ける。

「まぁ、病院では、二人とも元気にしているんですけどね」

そろそろ出勤時間も近い。

これ以上無駄なおしゃべりにつき合わされるのも面倒だ。

俺は毎朝の習慣と決めた水やりをたっぷりした後で、買って来たばかりの新品のホースを巻き取り始める。

「じゃあ、ご両親によろしくね」

「はい」

俺が笑顔を向けると、おばさんは自転車にまたがり去って行った。

家の中に戻り、一息つく。

「母さん、うるさいご近所のおばさんを、さっそく追い払ってきたよ」

母は台所のテーブルに座っていて、俺の用意した朝食を食べている。

「父さんも、あんまり自分勝手なことばかり言わないで、大人しくしといてくれよ」

新聞を広げたままの父を尻目に、俺も席についた。

炊きたてのご飯にお味噌汁、今日は焼いたししゃもが二匹と、沢庵に野沢菜のお漬け物。

昨日の残りの肉じゃがも添えた。

「いただきまーす」

俺は湯気を立てているその朝食に、箸をつける。

「今年の俺の担任のクラスさ、ちょっと個性的な子が多いって前にも話したじゃない? だいぶ落ち着いてはきたんだけどさ、まだまだやんちゃ盛りで大変でさ、その……」

仕事の愚痴は、同じ教職員だった両親にしか分かってもらえない。

俺はおしゃべりで弾む楽しい朝の食事を終えてから、片付けまで済ませて家を出る。

毎朝時間に余裕を持って出勤するから、一度も遅刻をしたことがない。

絶対に遅刻をするなという両親のいいつけを、いまだにきちんと守っている。

それは俺にとって、よいことだからだ。

自分からかってでた朝の挨拶当番にも、いつも開門前から立っている。

用務員さんが明けてくれた校門から、一番に外に飛び出す。

「おはようございます!」

「先生、まだ誰も子どもたちは来てないですよ」

「まずは世界中に向かって挨拶するのが、俺の基本なんです」

用務の先生は、そんな俺を見て笑って立ち去って行く。

ぽつりぽつりと登校し始めた子どもたちに、俺は元気な朝の挨拶を始めた。

副校長先生から話があると呼び出されたのは、ちょうど昼休みの時間だった。

校庭で子どもたちとサッカーをしていた俺は、すぐに校長室へと向かう。

「失礼します」

中に入ると、スーツを着込んだ見知らぬ男性が二人、丁寧に起立して俺を迎えた。

「お手数をおかけいたします」

俺を訪ねてきたのは、刑事さんだった。

「先生の担任のクラスの、ある児童についてですが……」

そのベテランと若手のコンビらしき、若手の男性の方が淡々と説明を始める。

俺の受け持つクラス児童の母親が、遺体で発見されたらしい。

「報道規制はかけています。ですが、すぐにこの件は公になるでしょう」

詳細は調査中で、詳しい事件の真相は、まだ何も分かっていないらしい。

「すみませんが、このお子さんについて、特別な配慮をお願いしたいのです」

「当然です」

あまりの出来事に、俺の声は自然と震え、それを抑えようと両手をぐっと握りしめる。

「分かりました。子どもの心のケアに、細心の注意を払います」

事件の真相とか、家庭の事情とか、そういったことは、今の俺には全く関係のないことだ。

俺には担任教師としての、俺のやるべき義務というものがある。

刑事と同じように、丁寧に頭を下げてから、俺は校長室を出た。