「ユイ」

 一歩分の距離を空けて、俺は彼女の真ん前に立った。俺からは見下ろすかたちになる。彼女は顔を上げて俺と視線を交わらせると背筋を正した。そしておもむろに唇を動かす。

結崎(ゆいさき)奈月です」

 それが彼女の本名だと認識して目を見開く。

『私はユイさ……気になってたんでしょ、名前? よろしくね!』

 ああ、それでか。と納得していると、彼女の顔がくしゃりと歪んだ。

「いっぱい嘘ついてごめんね。まるでアルブレヒトだ、私」

「ユイはアルブレヒトじゃない」

 すぐさま否定して片膝をつくと、俺はユイの手を取り(ひざまず)いた。普段なら恥ずかしくてとてもできないが、今はちょうど舞台でもした後だった。

 ヒラリオンに正体を暴かれ、そこに婚約者が現れたアルブレヒトは、ジゼルの見ている前で婚約者の令嬢に跪き、手の甲に口づけを落とす。それを見たジゼルは取り乱してしまう。

 ユイはアルブレヒトじゃない、けれどジゼルでもない。

 そっとそのままの姿勢で視線を上にやると、顔を赤らめて固まっているユイの姿があった。俺はそっと手を離して立ち上がる。

 そして再び少し屈むと、ユイを包み込むようにゆっくりと上半身を抱きしめた。

「戻ってきたってことは、約束どおりこれからは俺と一緒にいてくれるのか?」

 腕の中で硬直したユイは、少しだけ怒気を含ませ返してくる。

「逆に、シュウくんこそ本当に私のそばにいてくれるの? 私、まだリハビリもあってこれから大変なことばかりで、それでも」

「そばにいる」

 言い終わらないうちに、俺は力強く言い切りユイを抱きしめている腕の力も強める。

「ユイ、戻ってきてくれてありがとう」

 しばらく沈黙がふたろを包み、やがてかすかな嗚咽(おえつ)が聞こえてきた。