「俺にバレエを習わせたのを後悔してる?」

「どうしたの、急に?」

「いや……なんかプロになるって意気込んで、いろいろと金も時間もかけさせたのに、結局はなんも残せなかったから」

 尻すぼみな俺の声とは裏腹に、心臓の音が大きくなっていく。思えばバレエを辞めてから、こんなふうにちゃんと母親と話すのは初めてだった。

「そうねぇ、正直バレエにかけたお金の一割でも残っていれば、って思うときは多々あるわねぇ」

 母親はわざとらしく頬杖をついておどけてみせた。分かっていたこととはいえ、少しだけ胸が痛む。それを吹き飛ばすかのように母親は明るい声で続ける。

「でも、そんなこと言ったってどうしようもないしね。過去は変えられないもの。むしろあんたこそ、あたしとお父さんが『高一までに』って言ったせいで、無理矢理バレエを辞めることになって後悔してるんじゃない?」

 まさか逆に聞き返されるとは思ってなかったので、俺は反応に困った。母親はドアをさらに開けて、部屋の中に入ってくる。

 そして、ふうっと息を吐いた。その顔は笑顔だが、どこか悲しそうな色も含んでいる。いつもの茶目っ気などなく母親はゆるゆると言葉を紡いでいく。

「本当はね、気が済むまでやらせてあげたかったし、応援もしてあげたいのよ。この気持ちはお父さんも一緒。ただ、なにかあっても、うちは金銭的に援助するのも難しいし、そうなるとついつい『無難な道を』『苦労しなくて済む道を』って思っちゃってね。親の勝手なエゴだけど」

「俺は」

 世界が揺れている中、俺は握りこぶしをぎゅっと作る。

「俺はプロにはなれなかったけど、バレエを習ってよかった。本当によかったよ」

 そして、まるで自分に言い聞かせるように、するりと言葉が出てきた。それは、ずっと心の奥底につかえていたものだった。

「あんたが、そう言うならバレエを習わせてよかったわ」

 いつものからかい混じりの笑みではなく、母親は本当に嬉しそうに優しく笑った。そして、そこでなにかを思い出したらしい。エプロンのポケットに手を入れる。

「忘れるところだった。昨日、教室に行ったときに章吾くんが、『あんたに渡してくれ』てって」

 そう言って手渡してきたのは、よくある見慣れた茶封筒だった。