「ねえ、あの陸上部の、ほら、今、単距離走ってる人、カッコよくない?」
帰り道、グラウンドの陸上部の練習場で走っている人を指さした。
「あ?あれ確か1年だろ?期待されてて話題になったから顔くらい知ってるわ。お前ってああいうの好みなんだ?告白すれば?絶対フラれるけどな」
快晴が隣で欠伸をしながら言った。
「なんなの、あんた。ただカッコイイって言っただけじゃん」
そう言って鞄を快晴の背中にぶつけた。
「痛ってーな。俺は事実を言ってるだけだよ。全く知らない1個上の女からカッコイイとか言われたり、告白されたら怖っ‼ってなるだろ?普通。可愛かったらオッケーだけど」
「快晴もそういう経験あるの?」
私の問いに不適な笑みを浮かべている。
「教えねーよ。彼氏すらできたことないヤツになんか」
なんだか快晴に言われるとムカつく。ほっぺたをギューってつねってやりたくなる。
見事に学級委員長にさせられた征規は帰りが遅いことが多い。
春那は他校生との放課後デートに忙しいらしい。いい加減彼氏が欲しいと気合が入っている。
だから、快晴と二人で帰ることが増えてきている。
最初は二人で帰っているのを見た同級生が「あの二人付き合っているらしい」と妙な噂を立てていたけれど、私と快晴の雰囲気を見て、カップルではなさそうだ、と勝手に盛り上がり、勝手に判断したらしい。別に人にどう思われようと私と快晴はあれ以来すっかり打ち解けて仲良くしているのだから関係ないのだけれど。
制服は夏服が解禁されて、段々と夏が近づいてきている。太陽がいつもより眩しく感じるほどに近くなっているようだ。
夏服になったからと言っても、寒い日は寒い。だから私はセーターを腰に巻いたり、ベストを着たりしている。快晴は寒がりなのか、まだセーターを着ていてネクタイを緩めている。夏になるとベージュのベストに変わるのだ。女子はタイだから、している人はあまりいない。イベント事にだけ登場する存在。
駅まで二人でダラダラと歩きながら私は言った。
「快晴って彼女いないの?」
「いたらお前となんか一緒に帰るかよ」
「ですよねー」
それを聞いて私はニカっと笑った。
「お前、バカにしてんだろ。一年の時はいたんだよ。他校だけどな」
「おー、性格が悪魔な快晴と付き合えるなんて天使のような子だったんだろうね」
「バーカ。普通の子だったし、束縛されるのが嫌で別れたんだよ。どこにでもある話だろ?」
「へー……」
どこにでもある話なのだろうけれど、年齢と彼氏いない歴が同じな私にはよくわからない。
「お前も死ぬまでに彼氏できたらいいな」
完全に見下した顔で言ってくる。
「うるさいなー!」
私がむくれるとケラケラと笑った。
「お前って超長生きしそうじゃね?60歳初めて彼氏ができました、とかなったらウケるんだけど。彼氏いない歴六十年とかもう伝説じゃね?」
「快晴は早死にしそうだよね‼性格の悪さを逆恨みされて刺されるんだよ。いやー可哀想、お気の毒」
「俺がそんなに早く死ぬかよ、バカ」
頭をゲンコツで軽く叩かれる。
「痛いなー!女に暴力振るうから絶対早死にするから!絶対にね!」
私がブーブーと文句を言っても「死なねーわ、アホ」と聞き流している。
空はさっきよりも少し茜色が混ざったグラデーションになってきている。
私たちは真っすぐに駅に向かえば十五分ほどで着くのに、毎日こうしてダラダラ話したり、公園に寄り道して話し込んだりしながら下校する。
お母さんの厳しい目があるから、夜まで遊ぶってことはほとんどないけれど。
そろそろ駅に着きそうだから鞄から定期券を出していると快晴が言った。
「お前さ、実はこんなにお喋りでバカでよく笑うヤツだってこと、征規や春那には見せないの?」
「え……?」
快晴もポケットから定期券を出しながら言う。
「多分、俺にはかなり心を開いてくれてると思う。でも征規や春那だって大事な友達だろ?お前が悩んでいることも打明けてもいいんじゃないか?」
それは私とお母さんの問題を言っている。
快晴はたまに気が向いたら、水曜日に一緒に妹の学校に行ってくれる。
悪魔のような性格の快晴が信じられないくらい妹には優しい。実は子どもが大好きらしい。
「快晴くんイケメンだし、優しくて大好き」
妹がそう言っていて、驚いたくらいだ。
征規は妹の身体が丈夫ではないことはなんとなくだろうけれど知っている。でも、院内学級に通うほどとは知らないはずだ。うちの中でも妹が院内学級に通っていることは極力触れない、外ではもちろん口にすらしてはいけない。牧村家のトップシークレットだ。
私は妹が院内学級へ通っていることを別に隠す必要もないし、もしかしたら同情をされたりするのかもしれないけれど、それは決して恥ずべきことでも、隠すことでもないと思っている。妹だって好き好んで身体を悪くしたわけではない。そして、それを恨むようなことも言わないし、むしろワガママで明るい性格だ。
うちの両親、特にお母さんは何をそんなに恐れているのか?
「出来るなら代わってあげたい」
これは親なら当然思うだろう。
でも、お母さんが当時中学生だった私に言った言葉があり、私はそれ以来、お母さんが怖い。
感情を抑えることが出来なくなって発した言葉だと後から申し訳なさそうに言われたけれど、そんなお母さんの一言で私は簡単に地獄へ叩き落される。
快晴が偶然聞いたという「役に立たない」という言葉なんかよりずっと傷ついた。自分が生きている意味すらわからなくなるほどの言葉を言われたのだ。
それはまだ快晴にも言っていない。
自分で言葉に出してしまったら、また傷ついて立ち直れなくなりそうで怖いから。
とにかく、お母さんの感情が爆発しないように息をひそめて過ごしている。後で「言い過ぎた」と謝られたとしても、吐き出した言葉は私の心をえぐる破壊力を十分持っている。お母さんはそのことに気が付いていない。
私は快晴を悪魔のような性格だとからかうけれど、あの日から色々と話をしてみて、本当は優しくて困っている人を放っておけないことはわかっている。だから、私と仲良くしていてくれていることも。
そんな優しい快晴に私は一体何ができているのだろうか?
私ばかり救われていて、快晴を友達として救えていないと思う。
それは快晴だけに限らず、征規や春那に対してもそうだ。
みんな優しくて楽しくて、正直なのに私は誰にも心の底を見せていない。
快晴が指摘しているのはこのことだと思う。
「おい、電車くるぞ」
快晴に言われてハッとなる。
「あ、ごめん。じゃあ、また明日ね」
私と快晴の家は逆方向だから乗る電車が違う。
電車に乗ろうとする私に快晴が声をかけた。
「正直に話してくれても、俺達はお前を見る目が変わることはないからな」
言った方がいいのだろうな……。
春那に一度だけ言われたことがある。
「雫って毎日本当に楽しい?」
きっとみんな、私の底にある恐怖や不安を見抜いているのかもしれない。
「うん……、近いうちに話すから」
曖昧な笑顔を快晴に向けた瞬間に電車のドアが閉まった。