雨上がり虹のある空を眺めて

 
 その現実が本当に悲しくて、辛い。

 成人したんだから、征規や春那と四人でお酒を飲んで、高校生から何も変わってないじゃん。とバカみたいに笑いたい。

 私たちはいつでも四人でいたのだから、三人は寂しい。快晴がいないと寂しすぎるよ。

 開いてしまった蓋からは、自分が想像しているよりずっと悲しい、苦しい、痛い、辛い、何より寂しい。そんな気持ちがどんどんと出てくる。

『生きていてほしかった』

 これが何よりの心の奥に潜んでいた闇であり、正直な本当に、本当に願っている気持ちだ。自分でも気が付かないほど奥へ追いやってしまっていた。


 何度、私は後悔した?

 何度、快晴の夢を見て泣いた?


 合格発表に無理矢理でもついて行けばよかった。そう何度思っただろう。
 きっと数えきれない。そして永遠に続くのだ。

 私の命が終わるまで何度も何度も後悔をするのだろう。

 開いてしまった蓋から溢れる気持ちをどうしていいかわからずに、私は感情のまま泣き続けた。

 飛び出てきてしまった心の底から湧いてくる気持ちに整理をつけるなんて、まだまだ無理だろう。
 一個ずつ、少しずつ、砂を掴むような感じで、こぼれ落ちそうに手の中から流れてしまいそうなものを、こぼさないようにしながら自分の本当の気持ちを認めて、肯定していくしかないのではないだろうか。

 それが快晴を、自分を救う方法なのかもしれない。


 どのくらい泣き続けただろうか?

 瞼が重い。頭もガンガンする。泣きすぎた証拠だ。

 明日を待たないで私の瞼は腫れあがって、原型を失うだろう。
 こんなに泣いたのは快晴の事故の日以来?いや、それよりも、もっと泣いたかもしれない。

 あの時は快晴の死を認めてはいなかったから。ただただ悲しくて、苦しくて、痛くて泣いていたのだから。

 でも、今は違う。

 快晴の死を認めて、自分の本当の気持ちを認めて泣いた。だから、あの時とは違うはずだ。

 抱きしめていたお墓から離れて、またしゃがんで『大津家』を見る。

 はーっと深いため息が出た。
 さすがに真冬にお墓にしがみついているのは寒い。ストールをしっかりと首に巻きなおした。


「スッキリしたか?」
 後ろから突然声をかけられて驚いて振り返る。

 征規と春那が立っていた。春那は言っていた通りにマフラーを巻いている。

「いつからいたの⁉」
 あんなに泣きわめいている姿を見られていたなんて恥ずかしすぎる。

「いつからだっけ……?」
 春那が首を傾げながら言った。

「結構、車の中で時間を潰していたんだけどな。コンビニ行ったりもしたし。でも、突然泣き叫ぶ声が聞こえてきたのにはビックリしたけど」

「なかなか泣き止む気配がなくて、私少しだけ寝そうになった。泣き声が止まりそうなくらいおさまってきたから戻ってきたけど」

 春那の言葉に腕時計を見る。
 どうやら私は二時間近く泣き続けていたらしい。

 お墓を抱きしめていたのもあるだろうけれど、どうりで寒いわけだ。


 二人に醜態を晒したのが恥ずかしくて何も言えない私に春那が保冷剤とハンカチを渡してきた。

「コンビニでもらった。ハンカチは私のだけど。あんなに泣いたら目が腫れて酷いことになるだろうから、このクソ寒いのにアイス買って保冷剤くださいって言ったわ。車の中でアイスは二人で食べたけどね。ハンカチにくるんで目に当てた方がいいよ。明日、自分の顔見て悲鳴あげるよ」
 クスクス笑いながら春那が言っている。征規も何だかニヤニヤしている。

「で、スッキリしたのか?」
 改めて征規に聞かれえる。

「スッキリっていうか……自分の本当の気持ちがわかったのか、快晴の死を理解した……?理解しようとしてる?つまりはスッキリ?でいいのかな……?よくわかんない」

「ふうん。まあ、今までとは違うってことには変わらんな」
 征規が笑顔で言った。

「うん。それは間違いないのかも」
 私が頷くと、春那も笑顔で私を見ている。

「さて、俺たちも快晴にさっくり挨拶して帰るか。さみーし。アイスがきいてる」

 征規はそう言いながら線香をつけている。
 春那も征規に並んで優しい顔でお墓を見ている。
 手を合わせ終わると、お墓を軽く叩いて
「快晴またな。次は三回忌に会おうな」
 と言った。

 そして私を見て続けた。
「雫も快晴に『ま たな』でいいんだろう?三回忌来るのか?」

 私は目に当てていた保冷剤を取って、少し考えてから言った。
「またなでいいよ。今度から一人でも勝手に来られるし。三回忌も出るから」

「快晴―、春那様にとくと礼を言いなさいよ‼雫を連れてきて、確執を取り除いたのは私なんだからね」
 またお墓をベシベシと叩いている。

「確執ではないよ……そして、快晴に恩売りすぎ。恩着せがましいって怒られるよ」

 私が呆れて言うと、「確かに」と言いながらケタケタと笑った。

 お墓から車までを歩きながら、ふと空を見た。

 ポツポツと降っていた小雨がやんでいる。
 私が泣いている最中は多分降って気がする。記憶は曖昧だけれど。
 お墓の方を振り返ってみたけれど虹は出ていない。あの程度の雨では虹は出ないか。

 でも、お母さんが手紙に書いていた『心の雨はやんで虹が出る』ということは本当かもしれない。

 まだ快晴の死を認めることへのスタートに立ったばっかりだから、何年、何十年かかるのかはわからないけれど、いつか虹が出るのかもしれない。


 ドタドタと廊下を誰かが走ってくる音が聞こえる。

 窓から見える桜の花ぴらが流れる様子をスマホのカメラで撮っていた私は、足音うるせーなと密かに思っていた。

『ルームA』の扉がガラっと開いて、みんな振り向くと、この春に卒業したばかりの武原さんがゼーゼー言いながらドアの前にいる。

「どうしたんすか?」
 二年生の男の子は新部長。

 三年生は私しかいなし、無理と辞退したから彼になったというわけだ。

 ジャケットにノーネクタイで少し丈の短いパンツをオシャレに着ている武原さんは業界人な雰囲気が出てきている。

「うちの『半夏雨』が以前出した制汗剤の広告募集で優秀賞を取った。大賞ではないが、これはすごいことだ‼業界中が注目している」

 それを聞いて、みんなワーっと盛り上がる。
これをキッカケで『半夏雨』に色んな企業からも仕事が入ってくるかもしれないから。

「誰のだろー?」「どんなやつか見れますかー?」
 などなど、武原さんにみんなが寄っている。


「それは来月の半ばから秋の終わりまで半年間、一斉に日本中にポスターが貼られる。大賞や準優勝はCMにはなるが、悔しいが優秀賞はCMにはならない。だけど日本中にポスターが貼られるってことも相当すごいんだよ。業界がその人物に注目しているんだ。そうだろ?牧村雫‼」
 興奮気味の武原さんが指をさしてくる。

「はい……?」

 いきなり名前を振られて困ってしまう。みんなもウソでしょ?って顔で私を見ている。

 武原さんは受賞作一覧の冊子を出してパラパラとめくった。その本はまだ一般人は手に入れなれない冊子。受賞した私は持っているけれど。

 開いたページを机の上に置く。みんなが集まる。

 作品の下には『半夏雨』のクレジットと並んで『S.MAKIMURA&K.OOTSU』と書いている。
 いや、私が頼んで名前の部分はそうしてもらった。

「え…?……牧村さんには失礼だけど、これが制汗剤の広告?」
 ライター希望の部員が言った。
 まあね、やっぱりおかしいでしょうね。
 私だって、どうしてこれが受賞したのかさっぱりわからないから。

「クレジット名が『半夏雨』の他に牧村さんと…オオツさんって方になっているのは共同制作だから?」

「あー……突っ込みたいところがいっぱいあるだろうけれど、説明するには長いし。オオツさんって人は協力者だから入れてほしいって私の勝手な願いで、制作にはオオツさんは一切タッチしてないんだけれど、まだ武原さんが部長の時に応募したから、その辺は部長許可をもらったからなんだけど」

「雫のくせに鬼気迫る勢いで『オオツさん』を入れてくれなきゃ辞退するっていうもんだから、許したんだ。俺はこの広告を見た時に衝撃だったよ。構図、色、全てが今まで持ってきてくれたみんなとは全く違う。絵ずらもそうだけど、キャッチコピーがすごすぎて、これがあるから、この絵柄なんだって納得した。絶対審査委員の目に留まるとは思っていたから、「オオツさん」を入れようが出してみろってなったんだよな」


 この広告を作ろうと思ったのはささいなキッカケで、そもそも快晴のお墓で大泣きしてしばらくは存在時自体忘れていたほどだし。 

 無事に快晴の三回忌を終えた帰り道。
 まだいればいいと言ってくださった快晴のご家族に「来年の命日にきます」と笑顔で返事をして、手土産をいただいて車を走らせていた。

 あても考えずに走らせていると、高校のそばに来てしまった。
 週末に法要は行われたので、今学校にいる子は部活の子なのかもしれない。
 車から出て、よしかかりながらしばらく見つめていた。
 笑い声が聞こえる。
 もしかしたら、イジメられている子や学校に来たくない子もいるかもしれない。
 
 大学に入った時から3年がかりで「一級認定カウンセラー」の資格を取った。
 人の心理を知りたい。杏奈は自分のような子の力になりたらしく、ゆくゆくはその道へ進むのかもしれない。私はお母さんのような人が最後の手段に出る前に助けてあげたい。そう思ってこの学部を選んだ。

 勉強していくうちに事故や事件で家族を失った方々への心のサポートもできる、杏奈のように身体が弱い方や不自由な方の相談を受けることができる。イジメで学校へ来られない子だって。
 私がやりたい、経験をしたからこそ出来るのではないかと思ったのがこの資格だった。

 何社か面接を受けているし、逆に小さな事務所だけれど一緒にやりませんか?と仰ってくださる会社もある。

 蓋が開いたから。心の叫びを自分が一番知っているから。だから私が、あの時の私のようになってしまっている人や子供を救ってあげたい。エゴではなく、救うよりも寄り添いたい。この言葉が正解だと思う。


 そう考えているうちに男女4人組が校門から出てきた。

「あんたのせいで遅れたんだからね‼バカ‼」

「しょうがねーじゃん、呼び出しかかったんだから。先に行けばいいだろ?」

「ふざけんなー‼あそこのパンケーキ屋さん何時間並ぶと思ってる‼ばかやろう‼並んでも食ってやるー‼無論、容赦なくあんたの驕りね」

「俺ばかりじゃん、〇〇―、お前もなんとか言ってくれよー」

「…俺は人の金でパンケーキが食えればいい」

 私は吹き出しそうになるのを口元を押さえて耐えながら4人を見ていた。

 高校生の頃の自分たちのようですごく笑いそうになってしまった。

 懐かしい。私たちもあんな風にギャーギャー言いながら休み時間や下校時間を過ごしていた。

 いい加減、校門の前に車を置いて立っているのは怪しい。ましてや喪服。そろそろ出ようと車に戻る。

 車の中で手帳に挟んだ1枚の写真を見る。
 法要前に春那がくれたものだ。

「雫なら今までのスマホの快晴のデータを削除してそうだからね」

 見る勇気はなかったけれど、消してはいない。どこぞの鬼だと私を思っているんだか。

「はい。これはたぶん私のデータにしかないね。珍しくない?全員が、快晴が笑っているの」

 誰かに撮ってもらったんだろう。
 4人そろって教室で笑ってピースしている。笑顔ではなく爆笑している感じだけれど。

「あはは。快晴が笑っている。これは貴重だわ」
 私が言うと「でしょ?プリントしておいたから。快晴の分は仏壇に飾ってくれるって」
 
 手帳に挟んだそれを見てクスっと笑う。

 次はいつ快晴に会いに行こうか。
 とりあえず資格が取れたことはさっき法要で報告できたから、就職決まったら絶対に報告だし、あとは……。

「って、別に用事がなければ会えないわけじゃないんだよね」
 言葉に出して、今度はアハハハと声を出して笑った。

 蓋は開いた。
 認めるのは時間がかかる。
 だからこそ、理由がなくても快晴にたくさん会いに行こう。


 またあてもなく車を走らせていると見慣れた景色。杏奈の養護学校へ行く道だ。

 養護学校の先生に挨拶も考えたけれど、何度もツッコむ。私の今日の服装は喪服だと。

 せっかくここまで来たんだけどな……。と周りをチラリと見ると、公園がある。

 私と快晴が過ごした公園。
 冬だから人は全然いないけれど。
 たくさん、たくさん思い出がつまった公園。

 パーキングに車をとめて眺めていた。

 たくさんのことを話した。
 私を嫌いだと思っていたのに、人に言えない辛いことは俺が全部聞いてやると言った。
 事実、嫌な顔一つしないで真剣に聞いてくれた。時々辛さに泣いてしまう私の頭を優しく撫でてくれた。

 下らないこともどれだけ話しただろう。さっき校門で見かけた子たちのように「バカだ」「バカだ」とお互い何百回と言っただろうか。
 そして、卒業間近、『原点回帰』と言いながら、私を親友だといい、私も親友だと思っていると言った。
 この友情は永遠に、快晴の優しさは永遠に続くと信じていた。

 思い出しただけで涙がポロっと出てくる。
 蓋があいた私はさらに泣き虫になってしまって、ちょっとしたことで快晴を想いだすだけで涙が出てしまう。
 今はそれでもいい。快晴の死を認めてスタートラインに立ったばかりなのだから。

 でも、いつかは快晴のことで笑える私になりたい。


 パーキングからぼんやり見ていると、私たちがいつも座っていた屋根付きのベンチに男女2人が座った。学生なのだろう。恋人同士って雰囲気でもないから友達かな?

 入って自販機に飲み物を買いに行った男の子は全力疾走だったのか、腕で汗を拭っている。それを見ているだろう女の子が笑いながらタオルハンカチを渡している。男の子は微笑んだから「ありがとう」とでも言ったのだろうか?借りたタオルハンカチで汗を拭きながら隣に座った。

 その様子を途中まで黙って微笑ましく見ていたけれど、ふと浮かんで、手帳の裏に構図を走り書きする。

 「これは……」とブツブツ言いながら雑な絵コンテを書き殴る。

 もし、私が応募するのであれば絶対使いたいキャッチコピーがある。
 それが今回の広告に合っているのかはわからないけれど。

 快晴へ向けた言葉。
 永遠に変わらない快晴への思い。

「言葉」としてこのたくさんの快晴への感謝の気持ちを表現するなら絶対にこれだと思っていること。

 ある程度構図や案が浮かんでから、手帳とめくる。締め切りまであと一か月もない。

 私はスマホを掴むと征規と春那に電話をかけた。