湯葉の専門店で、ランチコースを食べてみることにした。刺身湯葉と汲み上げ湯葉という料理を食べていたけれど、私も征規も無言になった。
春那が「美味しい」と微笑んでいるけれど、首を傾げてしまう。
「なんていうか、やっぱり豆腐だな」
快晴がボソッと呟いた。
「私には大人の味すぎて美味しさがよくわからない……」
私は正直に感想を言った。征規も頷いている。
「味覚がガキなんだねー。私は美味しいと思うけどねー」
春那はパクパクと食べている。
「お前の味覚がオバサンなんだよ」
征規が言うと、「はあ?」と睨んでいる。
春那以外はあまり食が進まなかったけれど、
なんとか全員完食をして店を出た。
「私には大人の味すぎて敷居が高かったなー」
私がため息をついていると、快晴が言った。
「オッサンとオバサンになったらまた食いに来ようぜ。その時は激ウマだぞ」
「なんかガッツリしたものが食いたいな!夜飯は焼肉にしない?そして俺はハンバーガーが今すごく食いたい」
ほとんどがあっさりした味付けだから征規にはかなり物足りなかったみたいだ。
オッサンとオバサンか……。
何十年後になるかわからないけれど、その時はみんなで「美味しい」と言いながら食べるのかな?
私は中年か初老になった自分たちを想像しようとしたけれど全然浮かばなかった。
電車に乗って春日大社に着いた頃には夕方近くになっていて、春那は「私、真剣に祈願したいから別行動するから!」と走って行ってしまった。
「アイツどんだけ必死なんだよ」
快晴が呆れながら言った。
「理想が高いだけで、春那みたいな可愛い子はすぐに彼氏出来そうなんだけれどね」
私は走って行く春那を見ながら言う。
「まあ顔が可愛いのだけは認めるけど、性格に難ありだから彼氏出来ないんだと思うけどな。神様も『あなたの願いは叶えられません』って言いそう」
征規がそう言って快晴も頷いている。
私たちもそれぞれ別行動で見て回ることにした。
のんびりと散策していた私は、大きな桜の木の下で足を止めた。桜は満開で綺麗だ。
突然、強い風が吹いて風に思わず目を閉じてしまったけれど、風が弱まって目を開けると、風に揺られた桜の木から大量の花びらが降り注ぐように落ちてくる。
舞い落ちる桜の花びらは綺麗だけれど、それを見て、なぜか私は不安になった。不安というよりも少し怖くなった、という気持ちが正解かもしれない。胸の奥にチクリと不安と怖さが刺さる感じがした。
「雫、ここにいたのか」
快晴の声が聞こえて振り返る。風は弱まったけれど、そよそよと吹いていて花びらは舞い落ち続けていた。
「おー、すげーな。『桜の雨』って感じだな」
舞い落ちる花びらを見ながら快晴は言った。
「桜の雨……?」
私は改めて落ちてくる花びらを見た。
「雨は水だけじゃねーってことだな。こういう雨も悪くないな」
笑いかけてくる快晴が私を見て不思議そうな顔に変わった。
「どうした?そんな泣きそうな顔して」
「え……?私、そんな顔してる?」
「ここは『快晴って意外にロマンチストなこと言うんだね』って笑うところなんだけど」
花びらを眺めながら私は呟いた。
「なんか……、この情景怖い。たくさんの花びらが舞い落ちるのはすごく綺麗なんだけれど、綺麗すぎて怖いって言うのか……不安になる。なぜそう思うのかはわからないけれど」
私は思っていた気持ちをそのまま言った。
それを聞いて快晴が笑う。
「お前、清水で俺が早死にするとか言うからビビってるんじゃねーの?」
「は?なんでよ」
「雫は脆いところがあるから、あの時ふざけた俺の姿がまだ怖いとか思っていそう。そして怒って言った言葉を未だに気にしていそうだな」
「そんなことないよ。もう怒ってないし、気にしてないよ」
私が反論すると、私の背中を叩きながら快晴は笑っている。
「俺は早死になんかしないから安心しろよ。まだまだやりたいこともあるし、そう簡単には死なねーから。気にすんなよ」
「だから気にしてないってば」
私もつられて笑ってしまう。
この『桜の雨』が怖いと思ったのは、今が幸せすぎるからかもしれない。
夢も希望もなかった私がみんなのお陰で前を向いて歩こうと思えるようになったから。
生きている実感が沸いて、それが幸せだから。幸せすぎて怖くなったんだ。
花びらが顔に落ちてきて我に返る。
なぜ、あの旅行のことを今思い出すのか。
大阪のテーマパークも楽しかったはずなのに京都と奈良のことだけこんなにも鮮明に覚えている。
旅行帰りにみんなで受験が終わったらまたどこかへ卒業旅行しようと約束した。
本当は卒業旅行をするはずだった。杏奈に会いたいから九州に行こうとみんな言ってくれていた。
顔についた花びらを取ると、頬が濡れている。気づかないうちに私は泣いていたようだ。
バッグから小さめのポーチを出した。その中には清水でみんながくれたお守りが入っている。私が受験前に太宰府天満宮のお守りの他に手作りしたのは、このお守りをみんながくれた感謝の意味もあった。杏奈もお父さんも快晴からのお守りを今でも大事にしている。
お母さんにも送ったけれど返事はなかった。
でも、快晴が亡くなった時にくれた手紙に感謝の気持ちを込めていたのかもしれない。
ポーチの中にハンカチにくるんだお守りがもう一つある。私が快晴にあげた手作りのお守り。快晴のご家族が遺品としてくれたものだ。あの時、血で真っ赤になってしまったお守りは少し変色して黒に近い色になっている。
快晴にあげたものが私に戻ってきてしまった。
「早死になんかしないって言ったのに、次の年には死んじゃったじゃん、嘘つき」
ポーチを見ながら呟いた。
快晴は嘘なんかつかないのに。
なんでいなくなったの?
やっぱり今、私がいる世界は嘘か夢の世界で快晴はどこか遠くで元気に過ごしているかもしれない。
嫌だ。こんな思いばっかり。
思い出す記憶の快晴は元気で笑ったり皮肉な冗談を言って喧嘩したり、でもすぐに仲直りした。春那も征規も一緒に笑っていた。
辛い、苦しい、痛い。
やっぱり快晴との思い出は心の奥にしまわなきゃ。
快晴はどこかで元気に生きている。そう思えば辛くない。
私の世界では快晴は生きている。それでいいんだよ。
桜の花びらが舞い落ちるのをもう一度見て、そう思うことに決めた。
どのくらいここでぼんやりしていたのだろう。
腕時計を見ると、入学式の始まる時間はとっくに過ぎていて、私は行くのをやめて引き返した。お父さんも仕事で来られないのだから別に参加しなくてもいいだろう。
早く家に帰って安心したい。
外の風景は快晴との思い出をたくさん思い出してしまうから。
引き返す私は早歩きになっていた。
時間が経つのって本当に早い。
快晴の死からもう2年が経とうとしている。
あんなにずっと一緒にいた、征規や春那ともたまにしか連絡を取らない。特に征規とは。
春那とは一か月に一度くらいのペースで会っているけれど、私の雰囲気がそうさせるのか、春那は快晴の話はあまりしない。
私は希望通りの大学へ進学して、春那は専門学校に在学中の今、ネット販売でオリジナルブランドを立ち上げている。
この間電話で話した時は、軌道に乗るのはずっと先だから忙しいと笑っていた。忙しくても充実しているのだろうと思う。
征規も希望の大学へ合格した。征規もきっと忙しいのだろう。
時々、快晴の夢を見て、泣きながら目が覚めることがある。一人暮らしの家だから、泣いても誰にも心配や迷惑をかけることはないけれど、何年経とうが私はこの苦しみを永遠に繰り返すのだろう。
いつになったら救われるのだろうか?と考えたこともあったけれど、快晴のことを忘れたくない気持ちが勝っているのだから、永遠に続く。
そして辛くて痛い気持ちに蓋をする。
快晴の話は大学でできた友人にも一切話したことはない。友人と言っても、私の中では「友達」には昇格しない。友達は征規や春那だけでいい。そして、「親友」はこれから永遠に快晴だけいいと思っている。
「お疲れ様でーす」
『ルームA』と書いた部屋へ入る。
受験の日、試験の1時間間半前に到着した私が当時副部長だった武原さんに案内された部屋。
合格した私はあの時言った通りに、ここのサークルに入った。『半夏雨(はんかう)』という名前が正式なサークル名。
農作物、主に田んぼの神様が天に昇る神々しい雨。という意味らしい。
依頼された作品のクレジットに使うためにある名前。農作物は作品を作るという意味も含めてこの名前らしい。普段は「ルームA」と呼んでいる。雨なんてつく名前のサークルに少し胸が痛んだり、本当に快晴の時から雨に縁があるんだな、と思う。
「雫ちゃん、ちょうどよかった」
サークルの女性の先輩が手招きをする。なんだろう?と思いながら近づくと、机にポスターを広げている。
『○○社 広告大賞』とデカデカと書いてある。○○社は大手の化粧品の会社。
「へー、こんな大きな会社なのに広告大賞とか公募するんですねー」
荷物を置きながら、募集要項を見た。
「今回は夏前に発売する制汗剤の広告を募集しているみたいなんだ。ほら概要に中高生をモデルとした作品の広告を募集って書いてあるでしょ?」
「中高生ねー、制汗剤だから部活の子とか、女子がターゲットなのかなぁ」
「部長が、武原がね、個人ずつ応募してみようって言って、雫ちゃんも応募しない?武原は結構、雫ちゃんを評価しているんだよ?」
「は……?」
私が会った時には副部長だった武原さんは三年になった時に部長になった。今は四年生、間もなく卒業するから、そろそろ次期部長が決まるだろう。
就職も三年の終わりには大手の広告会社にライターとして決まっている。
私が初めて会った時に見たシャンプーの広告は『半夏雨』として出してはいるけれど、武原さんの作品らしい。才能があるっていうのは羨ましいものだ。
私はまだ二年生だし、興味はあっても知識があまりないから、文字起こしや備品の調達やその管理などの雑用をしている。
「うちのサークルは面談してからじゃないと入れないじゃない?でも、雫ちゃんは武原が絶対入れるって面談なしで入ったんだから。二年生は雫ちゃんだけだし。雫ちゃんに武原は期待しているんだよ。もちろん一年生にいいチャンスだけど」
先輩が髪をかきあげながら笑顔で言う。
「いや、そもそも広告作るっていう知識もないし、センスもないですよ?」
私も笑いながら言った。
「これを機会に応募してみようよ。雑用するためにうちに来たわけじゃないんだから」
先輩はそう言うけれど、私に広告を作るセンスなんかあるわけがない。
サークルのみんなが集まると、部長の武原さんがさっきの広告の話をした。
「今回は『半夏雨』としての応募ではなく、全員個人で応募してほしい。採用されたら、『半夏雨』のクレジットの前に個人名を入れてもらうつもりだ。これは全員参加してもらいたい。無論、デザインをやっていない雫にも応募してもらう」
マジかよ……。
企業の広告もたまにやっているけれど、主だったものは学園祭のポスターだったりするのがこのサークル。学園祭なら応募してもいいかな?くらいには思っているけれど、まさか大企業の公募に出すなんて……。
将来的には広告のライターになりたい先輩も後輩もいるから、みんな気合が入っているけれど、私はサークルが好きでもライターになりたいなんて思っていない。専攻している心理学の道へ行けたらと思っている。
「へー‼広告に応募するんだ」
二か月ぶりに会った春那とカフェでお茶をしている。春那は長かった髪をバッサリと切ってボブになった。どんな髪形でも美人だから似合う。
彼氏が出来なかったから髪を切りたいと高校卒業間近の時に言っていたけれど、快晴の葬儀のあと間もなく切った。春那の中で快晴に対する何か、決別なのかを意味して切ったのかもしれない。それから髪を伸ばす気配もない。
もうすぐ冬になろうとしている。
ホットのカフェオレを飲みながら、私はため息をついた。
「広告なんか私に作れるわけないよ」
「でも、広告メインのサークルにいるんだから、いくらなんでも作り方くらい覚えただろうよ」
相変わらず口の悪さは変わらない春那。それでも、専門学校へ行ってから少しはマシになったらしい。そもそも春那は私と快晴と征規にしか素を見せていないから、きっと学校でも昔と変わらず『可愛い春那ちゃん』なのだと思う。
「作り方を覚えただけで、あんな大企業に応募するって無謀すぎるよ」
「そんなもんなのかねー?やれることやった方が経験値積めるからいいと思うけどね」
そう言いながら、春那はケーキを口に運んだ。
「あ、雫」
ケーキをすっかり食べ終わった頃に春那が言った。
「ん?」
「年が明けたら快晴の三回忌だよ?この間、征規と会って話したけど、一周忌の時みたいにまた来ないつもり?」
「ああ……」
私は快晴の葬儀の日から今まで、お墓参りすら行っていない。一周忌も快晴のご両親が誘ってくれたけれど行かなかった。お盆もお彼岸も月命日でもそんな理由がなくても快晴のお墓参りに行く機会はたくさんあるのに行っていない。
行きたくない。現実を突きつけられるのが。怖いから。
もう二度とあんな気持ちになりたくないから。だから蓋をして快晴との出来事は心の奥にしまっている。
「征規、少し怒ってたよ?悲しい気持ちはみんな一緒なのに雫は逃げているって」
「逃げている……、うん。逃げているんだろうね」
私が素直に認めたのを見て春那は困ったような笑顔を向けてくる。
「辛いけど、雫は快晴が亡くなった時から会いにも行ってないじゃん。気を悪くしないでほしいし、雫が辛いのは理解しているつもりだけど、私も征規も雫は快晴に失礼なことをしているって思ってるよ?大事な親友が会いにも来てくれないって快晴かわいそうだよ」
「うん……わかってるよ」
下を向いて呟いた。
わかっている。知ってもいる。
『親友だ』って笑ってくれた快晴に会いにも行かないなんて酷いヤツだって。
きっと快晴も『ふざけんな』って怒っているだろうってことも。
征規が怒るのも当たり前だ。
いつだって私を助けてくれた快晴に酷いことをしているのだから。春那は私の気持ちをくみ取って話してくれているけれど、内心はいい気分ではないだろう。それもよくわかっている。
でも行くのが怖い。
快晴の大学の合格発表を見に行った時、辛くて悲しくて、それより心が痛すぎて、人目なんか気にしないで大声を上げて泣いた私。
もうあんな思いをしたくない。臆病なんだってわかっている。快晴とのことに蓋をすることで私が唯一、前に進める方法だって思っているけれど、実際あの時から私の何が変わったのか?ただ臆病になっただけだ。嫌なこと、辛いことに蓋をするすべだけを身に着けた臆病な私が現実の私なのだ。