「今更だけど。葵のこと、ありがとな」
「えっ、なんのことですか……?」
「俺だったら、あそこで葵のこと追いかけるまでできなかった」
「え……、いやそんな私はなにも」
 すぐに否定をすると、草壁さんはまた少しだけ微笑んだ。
 本当によく見ないと分からないほどの微妙な口角の上がり方だ。
 さぁっと流れるような風が吹く。秋を知らせるような、ほんの少し冷たい風。
 草壁さんのさらさらとしたきれいな髪の毛が夜空にふわっと舞い上がって、優しい瞳があらわになる。
 草壁さんは、不器用だけど、底知れず優しい。
 こんな草壁さんを知っている人が、会社にいったい何人いるだろう。
 私はほんの少しの優越感を抱きながら、パッと目を逸らしてピーマンの収穫を再開した。

「お、今日はピザの日なんだ?」
「あ、萼さんお久しぶりですっ」
 お店に戻って、草壁さんがピザ生地を準備している様子を見ていると、萼さんが今日もお疲れな様子でやってきた。
 少し長めで無造作な髪の毛の間からのぞく瞳は相変わらず色っぽい。
 官能小説家と聞いていたけれど、締め切りに追われているせいなのか、あまり顔色がよろしくない。
 そんな萼さんを見て、草壁さんも心配になったのか「ちゃんと食ってんのか」と突っ込んでいた。
 萼さんは私の隣の席に座って、自分で伝票にビールを記入してから、グラスにお酒を注いだ。
 モスグリーンの大きめのシャツはよれよれなのに、なぜか雰囲気のある大人の男性に見えてしまうのは、萼さん自身が持つ空気感のせいなのだろうか。
「萼さん、最近ちゃんと寝られてます? 顔色が……」
「いやー、一般向けの小説と、色々締め切り被っちゃってね。アルコールだけはちゃん摂取してたんだけど」
「健康に悪すぎますよ。ちゃんとご飯も食べてください」
「金曜だけはここでちゃんとした飯食ってるからさ。野菜も沢山出るし」
 そんな会話をしていると、草壁さんが「まずアルコールを控えろ」とまっとうな意見を言ってきた。
 草壁さんは、丸いピザ生地の上にトマトソースを伸ばし、白いハーブソーセージと収穫したピーマンとチーズを乗っけている。
 それをオーブンに入れている間に、キンキンに冷やしたグラスに砕いた氷を入れて、さらにぎゅっとライムを絞ってそのまま落とし入れた。