「明穂、昨日の夜勤、大丈夫だった?」

「うん、普通だったよ」

「横山さん、結局泊まり込んだみたいですよ」

市山くんの言葉に、さくらは真剣な表情でうなずいた。

「あぁ、やっぱりそうなさったんですね」

さくらは知っていたってこと? 

聞いてみようかと思った瞬間、横田さんが私に言った。

「お前はもういい。家に帰って、ゆっくり休め」

休めって言われたって、さっきまで爆睡してたんですけど。

出局してきた芹奈さんが、パソコンを立ち上げた。

「あら、横田さんはやっぱり泊まりこんだのね」

「あぁ、それでこの後のことなんだが……」

さくらも市山くんも仕事を始めているし、芹奈さんと横田さんは、二人ともシンクロしたみたいに、同じ格好で腕組みして話し合っている。

なんだか私だけが、取り残された気分だ。

「じゃ、帰ります」

オフィスを出ようとしたら、芹奈さんだけが「お疲れさま」と言った。

妙に気分が悪い。

気分、というか、自分で自分の機嫌が悪化しているのを肌身で感じる。

どうしてこんなにも、イライラするのだろう。

局のロビーに出たら、出局してきたばかりの愛菜と、ばったり会った。

「あら、夜勤あけ?」

彼女は言った。

「そう、今から帰る」

「ふーん」

彼女の真横を通り抜けようとしたとき、その顔はにっこりと微笑んだ。

「ねぇ、私もやっぱり、帰る」

彼女は手にしていたスマホを、床の上にぽろりとこぼした。

わざと落としたそれは大きな音をたてて跳ね上がり、また落ちてはね返る。

「行こっか」

久しぶりに、彼女の腕が私に絡みつく。

だけど今は不思議と、それを不快には思わなかった。

私は彼女と一緒に、そのまま局の外へ出た。

夏の日差しが、肌を照りつける。

愛菜は一緒に遊園地に行った時のような機嫌のよさで、私と歩いていた。

私も彼女と二人だけになって、気分がぐんと上がった。

二人で仕事をサボり、入るカフェ。

冷たいフローズンのデザートアイスを分け合って、意味もなく笑い転げる。

手にしたスプーンの長さに笑って、器の形が可愛いと笑った。

私がスマホで画像を撮ろうとした時、彼女の手はそれを止めた。

そうだ。

愛菜はスマホを捨ててきたんだった。

私もそうしよう。

「ねぇ、たけるも止めて」

「たける、更新するから、機能停止」

「そうだね明穂、たけるは機能停止するよ」

たけるの目から、光りが消えた。

「見て、このストロー、なんで黒なの? おかしくない?」

愛菜の言葉に、私はおかしくもないのに笑った。

彼女も笑って、私たちはずっと笑っていた。

「海が見たい」

ふいに彼女がそう言って、私たちは店を出た。

車を止めようとしたら、久しぶりに電車に乗りたいと彼女が言ったので、ガラガラの構内に降り立つ。

私たちは、西に向かう電車に乗った。

ガタンゴトンという音に揺られて、私の体も小さく揺れる。

隣に座った愛菜が、その額を私の肩先に乗せた。

頬を寄せると、彼女の指先が私の指に絡みつく。

目を閉じて、そのまま眠った。

手を繋いだままでたどり着いた海岸は、夏だというのに人気はまばらだった。

「人、そんなにいないね」

「海水浴場に指定された海じゃないからだよ」

「ふーん、そっか」

真夏の海の、選ばれなかったその場所は、それでも同じようにキラキラと輝いていた。

「ほら、あっちを見て」

愛菜の指した方角には、たくさんの人達が水着姿で海を楽しんでいた。

「同じ海なのに、全然違うんだね」

「何が違うのかな」

「そんなことに、意味なんてないのよ、きっと」

海はずっと、どこまでも一つに繋がっているのにな。

彼女は、くるりと私を振り返った。

「ねぇ、スマホ忘れて来ちゃった」

「なに言ってんの」

その屈託のないいたずらな微笑みに、私もつられる。

「私のスマホ、鳴らしてみて」

「たける、起きて」

「そうだね明穂、僕はちゃんと起きたよ」

「愛菜のスマホに電話」

背中にいるたけるの体内で、スマホの震えるわずかな振動が体に伝わる。

それが、ふいに途切れた。

「あれ? 電話、繋がった?」

背中のたけるに問いかける。

「そうだね明穂、愛菜ちゃんの電話、繋がらなかったよ」

私は愛菜を見た。

彼女は微笑む。

「だって、私はここにいるんだもん、電話をとれなかったから、切れたんじゃない?」

愛菜の手が、私の手に繋がる。

遠くにいて繋がらないものでも、これだけ近くにいれば、その間に余計なものなんてなにもいらなかった。

手を伸ばせば、いつだって簡単に繋がれる。

夕日が沈んでゆくのを、私たちは最後まで見ていた。

「そろそろ帰ろっか」

私がそう言ったら、彼女は首を横に振った。

「先に帰ってていいよ。私はもうちょっと、ここにいるから」

愛菜は冷たくなった砂の上に、両膝を抱いてうずくまっている。

その目はじっと暗い海を見ていて、私はそっと立ち上がると、すぐそばにあった無人の車を呼び寄せ、中に乗り込んだ。

「うちまでお願い」

「かしこまりました」

自動運転ロボットのAIが答える。

滑らかに動き出したその中で、私はまたいつの間にか眠ってしまった。