愛菜はすぐにスマホを取り出し、カメラを市山くんに向けた。

「あなたが市山くんか!」

愛菜の顔に、今まで見たことのない輝きが宿った。

「ふーん、悪くないじゃない」

彼女は自分のスマホに、何かを書き込んでいる。

そんな愛菜を無視するようにして、市山くんは私を見下ろした。

「面会が終わったんなら、戻っておいでよ」

「うん」

市山くんもきっと、誰かに指示されてここへ来たんだろうな。

私の気分と反比例するように、愛菜のテンションは上がっていく。

「これ、私の働いているケーキ屋さんのクッキーなんです。よかったらみんなでお召し上がりください」

彼女はにっこりと微笑み、キラキラと輝いていた。

とても印象のいい、ステキな女の子だ。

「ありがとう」

市山くんは事務的に、その大きなかごを抱えるようにして受け取る。

そのタイミングを見計らって、愛菜は立ち上がった。

「この近くに来る用事があったので、ついでに立ち寄ってみただけなんです。お邪魔しました」

「今回は、脅迫じゃなかったんだ」

ふいに発せられた市山くんの言葉に、彼女は立ち止まった。

「なんだ、知ってたんだ」

それで動揺するような彼女ではなかった。

「私、凄いでしょ? この施設をハッキングして、侵入するくらいの腕は持ってるの」

彼女はとても楽しそうに、大きく笑う。

「あなたとも、フレンド登録しておくわね」

愛菜はスマホを取り出すと、操作を始めた。

その宣言通り、すぐに市山くんのスマホからフレンド登録の完了を知らせる音声が鳴り響く。

「じゃ、またね」

彼女が局を出て行ったあとに、もらったクッキーは、かごごと分析器にかけられた。

毒物および危険物は含まれないと診断され、そのただ甘いだけのクッキーは、しばらくの間私たちのお茶うけ用として、オフィスの真ん中に陣取っていた。

愛菜がクッキーを置いていったその日の夜は、彼女からの連絡は何も来なくて、久しぶりに静かにぐっすりと眠れた。

ほんの数日間のことだけれども、あんなにやかましかった通知が、全くなくなってしまうのも、不思議な気分だった。

インターネットの向こう側には無限の世界が広がっていて、どこにでも行こうと思えば行けるし、繋がろうと思えば、誰とでも繋がれるんだな。

それがどんな人なのかということは、別として。

私は少し、さみしかったのかもしれない。

鳴り止まない音が急に鳴らなくなると、それが壊れているんじゃないかとか、本当に自分は誰かと繋がっているのかとか、不安になる。

それからしばらくの間は、何事もなく仕事が出来た。

芹奈さんと七海ちゃんはすっかり意気投合したみたいで、いつも一緒にいる。

私は相変わらず、なんとなくこの二人が苦手で、少し距離が出来てしまった。

だけどさくらは、今まで通り普通に話しかけてくれるし、市山くんも変わらない。

横田さんも、理解不能な挙動不審のままだ。

オフィスの真ん中に陣取る巨大なクッキーかごの存在にも、すっかり慣れてしまった。

何となく気になって、ついつい開いてしまう彼女のページ。

誰に向かって話しかけているのか、その対象を上手く誤魔化したような、標準化された挨拶や雑談が続く。

愛菜とフレンド登録している人数は58人。

もちろんこの中には、私と市山くんも含まれている。

本当の彼女の友達は、いったい何人いるんだろう。

「久しぶり、元気にしてた?」

画面の中だけの、二次元な存在になりつつあった彼女が、ふいに目の前に現れた。

仕事帰り、局の敷地を一歩外に踏み出した、初夏の夕暮れどき。