乃木愛菜、二十三歳、独身、女性、店舗販売員。

PP1375。

この時代、職業というのは、ほぼ無意味なものになってしまった。

生活に困窮することのない現代、普段何をしている人なのか、ということだけを示す事柄だ。

やりたいことをやって、生きていていい。

PPもいたって普通。

犯罪歴があるわけでもなく、本当にごくごく普通の、巷によくいる平々凡々な人物だ。

「こじらせ女子ってやつですかね」

そんなセリフを、今の私が言うのも何だな、とか思いつつも、たけるを抱いたまま、資料に記載された住所に向かう。

「横田さんと気が合いそうですけどね。だから選ばれたのかな」

「女性の相手は苦手だ」

登録された場所にたどり着き、車を降りる。

指定された場所には、軽量鉄骨の二階建てアパートが建っていた。

淡いクリーム色の外壁に、木目の模様がうっすらと描かれている。

「二〇四号室だ」

横田さんが、先に階段を上り始めた。

玄関のベルを鳴らす。

「すみません、パーソナルポイント管理運営事務局の者です」

自身が執拗に脅迫状を送りつけている、その送り先からの電撃訪問に、警戒されるかと思っていたら、あっさりとその扉が開いた。

「なんでしょうか?」

現れたのは、送られてきた資料そのまんま、ストレートの肩までの黒髪に大きめの瞳、顔立ちの整った、美人と言うよりも可愛いタイプの、ごく普通の女の子だった。

「乃木愛菜さんですよね」

横田さんの質問に、愛菜は素直に答えた。

「はい、そうです」

「脅迫状の件でお話が」

「あぁ」

彼女は半分だけ開いていた扉を大きく開けて、私たちを中に招き入れる。

「どうぞ」

横田さんの視線が、一瞬にして入り口全体をくまなく見渡す。

特に危険はないと判断したのか、彼は躊躇することなく中に踏み込んだ。

私も続いて部屋に入る。

こぢんまりとした2LDKだが、女性の一人暮らしには、十分な広さがある。

奥は寝室兼機械室だろうか、簡易ベッドの向こうに、複数台のOA機器が所狭しと並んでいる。

「で? なんでしょうか?」

「わたくし、パーソナルポイント管理運営事務局の横田健一といいます」

愛菜は、その視線を私に向ける。

「同じく、保坂明穂です」

横田さんは取り出したタブレット端末を開くと、話し始めた。

「当局に記録されているデータによりますと、あなたから頻繁に送られてくる爆破予告の脅迫状が、威力業務妨害にあたり……」

「ねぇ、二人ってどういう関係? 上司と部下? オフィスラブとかって、本当にあるの!」

愛菜の言葉に、横田さんと私は思わず顔を上げる。

「ちょっと憧れない? そういうのって! 現実じゃなかなかないって分かってるけどさー、いいよね、オフィスラブ!」

「脅迫状の件で、お話にあがりました」

横田さんは彼女の揺さぶりに、微動だにしない。

「あぁ、あれね、冗談だから、まさか本気にした? だって私、一回も本気で仕掛けたことないし」

愛菜は声を殺したように笑う。

「ごめんごめん、それでここまで押しかけてきたの? いやー悪かったね、ごめんなさい」

「では、もうやめていただけますか」

「えぇ?」

彼女は笑い転げて涙ぐんだ目を、横田さんに向ける。

「それじゃ、私にメリットないじゃん」

「メリット?」

「そう、メリット。やめる代わりに、なにしてくれんの?」

これは、まともに相手をしてはいけないタイプだ。

しかし、こういった相手に対処するスキルは、横田さんもちゃんと身につけている。

禅問答のような、だけど意味のない会話。

むこうの話したいだけしゃべらせて、こちらは聞き役に徹していればいい。

だけど、今回はことごとく話しがかみ合わない。

彼女は何かを求めていて、私たちにはそれが見えない。

同じ所をぐるぐる回り続ける言葉尻りを捕らえた遊びのような会話に、ただ時間だけだ消費されていた。

私は、たけるから自分のタブレットを取り出し、彼女の情報を再確認する。

事前に頭に入れて置いた資料には、特記すべき事案など何もなかったはずだ。

「で、あなたは何を見てるの?」

画面をのぞき込まれそうになるのを、辛うじて避けた。

「もしかして私の情報? PP管理局なら、なんでも知ってるよね」

彼女は笑っているような怒っているような、不思議な表情を浮かべた。

「ねぇ、私を管理局に引き抜いてよ。たまにはそんな特例もよくない? こんな逸材が埋もれていたのを見つけて来ましたーなんつって」

愛菜は興奮しているのか、とても楽しそうにはしゃいでいるけど、聞いているこっちは微塵も楽しくない。

「いえ、そうではありません。当局に対する、悪質な嫌がらせをやめていただきたい」

横田さんはきっぱりと言い切った。

「またまた。わざわざ家にまで押しかけて来といて、なに言ってんの? こういうのって、レアケースなんでしょ?」

彼女はスマホを取り出すと、私たちにそのカメラを向ける。

「横田さんと明穂ちゃんね、覚えておいてあげる。なによその顔、つまんないわね、ちょっとは笑ったら?」

シャッター音。

わざと高めに設定されたその音は、私たちの苛立ちを煽るためのものだ。

「もういいよ、私も疲れたから今日は帰って」

「では、今後一切そういったことのないよう、お願いします」

横田さんが立ち上がった。

私も立ち上がる。

「失礼します」

だらしなく座ったまま手を振る愛菜の姿が、閉じられた扉で視界から消えた。

ようやく吸えた外の空気が、これほどまで胸に心地よいのも珍しい。

「なんなんですかね、あの人」

「今、俺に話しかけるな」

背の高い横田さんの横顔は、高すぎてここからはよく見えなかった。

「局に戻るまでには、機嫌を直しておく」

これで終わりとなるほど、彼女は甘くなかった。

翌日にはさっそく、愛菜は管理局へとやってきた。