俺の教育係と名乗るその女は、チビだが巨乳だ。

この狭くて古くさい、おっさんだらけの職場に、たった一人の女性の存在は、唯一の癒やし効果といってもよい。

解析に280時間かかるという、衝突惑星発見のための画像診断プログラムは、1日20時間をかけて14台のパソコンを駆使することで解決しているということを、後で知った。

「どうしてそういう嫌らしい新人イジメをするんですかね」

「説明しましたけど」

女はそう言って、初日に渡した研修日程の資料を突きつける。

確かに、その資料には、『全体の仕事の流れと、各部署との連携に関する説明』という記述があるが、実際に行われた内容に関する詳細な記録がない。

「証拠がありません」

「は?」

「ちゃんと説明が行われたという、証拠がありませんよね、それでどうしてそんなに自信満々でいられるのか、そっちの方が不思議です」

女の小さな顔が、じっと俺を見上げる。まぁ、確かに悪い顔のつくりではない。

「僕の記憶に残ってないってことは、僕が聞いてないってことなんじゃないんですか? そもそも、説明するにあたって、大切なことを、きちんと相手の印象に残るように説明がなされていないのも、教育係を自負するわりには、不手際だと思いますけど」

もしかしたら、聞いてるかもしれないけど、俺の記憶にないということは、聞いていないのと同じこと。

それは、説明の仕方が悪いのであって、俺の記憶が悪いのではない。

だって、俺は頭がいいんだから。

「私、この仕事を始めてから、初めて泣きそうな気分なんだけど」

「俺は、女性のそういうところが嫌いです」

言うべきことは、はっきり言っておかないとな。

大体、すぐに泣き落としで何とかしようとするから、女は嫌いなんだ。

それくらいで、なんでも男が言うこときくと思うなよ。

そもそも、この俺を教育できるとか、ハナからタカくくってんじゃねーぞ、逆にお前が教育されろ。

「おいおい、どうした?」

たまたま通りかかった、男の先輩が声をかけてきた。

「栗原さん! 聞いてください! こいつの頭が悪すぎて、ついていけません!」

そう言って女は、彼の胸に飛び込んだ。

飛び込んで来られた方は、すっごいびっくりして、激しく動揺していたけれども、そんなことを女に悟られないよう、彼は瞬時にその感情をねじ伏せた。

「頭悪すぎって、彼は優秀な人材じゃなかったの?」

女の肩に男の手が乗って、そっと体を引き離す。

だけどその手は乗せられたままだ。

職場恋愛ってやつか、うっとうしい。

「頭も悪いけど、根性と性格が最悪なんです!」

「根性と性格ね」

彼の、俺よりワンランク下の顔が、こっちを向いて、俺を笑っている。

だけど、この女のそっけなさと、男の慌てっぷりからいうと、まだそこまでの深い関係には至っていないようだ。

「そうやってすぐに泣き落としにかかる女性っていうのも、どうなんですかね」

この女自身に興味はないが、俺以外の男に目がいってるってのは、なんとなくシャクにサワる。

「女の涙が最強なんて、もう都市伝説もいいとこですよ?」

彼女の左足が、ガツンと俺の真横にあった机の引き出しにメガヒットした。

とにかく、その地雷スイッチの入り方が、俺には全く予想が出来ない。なぜだ?

「おい、私の顔が泣いてるように見えるか、杉山、どうだよ、ちゃんとこっちを見て答えろ」

ネクタイをつかんでぐいっと引き寄せられた、俺の顔の真ん前に、彼女の顔が並ぶ。

「はい、泣いてません、怒っています」

彼女の両目には、美しい涙ではなく、灼熱の炎が宿っているようだ。

「だろ? このクソボケ新人」

「あの、僕の名前はクソボケ新人ではありません、ちゃんと名前で呼んでください」

「はぁ?」

「そう思いますよね、常識じゃないですか、えっと、えー……、そこの男の先輩」

ネクタイで締められている首が、さらにきつく絞まった。

「おい、杉山」

「はい」

「杉山康平」

「聞こえてますけど」

近すぎる彼女の髪からは、なんだかとてもいいにおいがする。

これがシャンプーの香りってやつか。

「もしかしてお前、あたしの名前も覚えてないんじゃないだろーな」

「そんなことありませんよ」

俺の視線が探し当てるよりも先に、彼女の手が胸の名札を覆い隠した。

「だよな、真っ先に覚えなきゃいけない名前だよな、フツー」

「教えてもらう先輩なんだから、そんなの当然じゃないですか」

「おい、答えろや、杉山」

「はい」

「私の名前は、なんだ?」

えーっと、俺の教育係の女の名前だろ? 確か、く、とか、か、とか……。

「ちゃんと教えたよなぁ!」

「はい」

「知ってて、常識だよなぁ!」

「はい」

彼女の顔が、ぐっと近づいて、額と額がぶつかった。

「おい、さっさと答えろや、杉山」

「えっと、聞いてませんでした」

脳天に、強烈な痛みが走る。

普通、社会人にもなって、後輩に強烈な頭突きをかます教育係が、この世に存在する??

「三島香奈だ、ちゃんと覚えとけ!」

「はい、三島先輩」

今回の俺の行為は、確かに迂闊だったかもしれないが、このパワハラ行為は糾弾に値する。

「まぁまぁ、香奈ちゃんもそんなに怒らないで」

男の苗字は『栗原』だ。

名札にそう書いてある。今のうちに覚えておこう。

「ね、コイツ、最悪でしょ!」

「はは、本当だね」

そう言って彼は、両腕を広げた。

もう一度彼女に、胸に飛び込んでこいという合図のつもりだったのだろう。

だが彼女は、それに気づいたのか、気づかなかったのか、わざとなのか、天然なのか、それを軽く無視した。

彼は行き場をなくした自分の両腕を、体操しているフリをしてぶんぶん振り回している。

「香奈ちゃんと栗原さんって、お付き合いされてるんですか?」

彼女の足が、思いっきり俺の足を踏んだ。

「『先輩』をつけろよ、デコ助野郎!」

「香奈『先輩』」

「今度また余計な口を開いたら、お前を13次元の果てまで送り込んでやるからな!」

「はい」

栗原さんが、香奈先輩のご機嫌取りに走っている。

彼女のために椅子を用意し、お茶とお茶菓子を取りに走るとは、この二人、どうもつき合っているわけではなさそうだな。

だったら、俺にもチャンスはあるはず。

生意気な女は、嫌いじゃない。

確か、最新の量子力学、超弦理論、いわゆる超ひも理論によると、この世界は13次元ではなく、11次元だったはずだ。

そこは後で、きちんと訂正と確認をしておこう。