数日後、内閣府役人の高橋氏から連絡があって、俺と文科省役人の宮下と一緒に呼び出された。
待ち合わせ場所は、東京市ヶ谷、防衛省本部前。
正門の目の前にあるビルの影に身を潜めて、様子をうかがう。
マジか。
「あの、なにやってるんですか?」
「シーッ! 声がでかい!」
物陰からのぞき込む高橋氏の背中を見下ろす。
彼はあくまで真剣だった。
「言っただろう、ここは官庁街の常識が通じない、極々特殊な機関だ」
「難攻不落の要塞ですよね」
宮下は、とにかく高橋氏の言うことなら、なんでも従う。
誰よりも早くやって来て、彼のために飲み物まで用意していた。
そういうところに、抜かりはない。
しかし、防衛省はデカい、とにかくデカい。
正門前に立ち並ぶバリケードと警備員の数、そよぐ植え込みの木々が、この先の困難をあざ笑うかのようだ。
「あの、まさか忍び込もうっていうワケじゃないですよね」
「お前は気でも狂ってるのか?」
高橋氏は、信じられないといった体で、信じられないような顔を、俺に向ける。
「そんなことをしてみろ、一族郎党、皆殺しだ」
ため息が出る。で、どうするつもりだ。
てゆーか、さっきからずっと、防衛省の警備員に睨まれてるような気もする。
絶対バレてるよな。
「やはりここは、人脈を辿るのが、常套手段ではないでしょうか!」
文科省宮下が、上官高橋氏に進言する。
「ツテは、最大の武器でございます!」
「おぉ、そうだったな」
彼はスマホを取り出すと、電話帳をスライドさせ始めた。
「しかし、防衛省幹部となると、防衛大学校出身者でないと、話しにならないな」
「さすがに、僕は防衛大の出身ではありません。すいません」
宮下も、スマホの電話帳を探る。
どうも、この二人に防大出身者の知り合いはいないらしい。
俺だっていねーよ。
仕方なく、俺もスマホを取りだして、友達を探すフリをする。
「だけど、防大出身者だけが防衛省に入ってるわけじゃないですよね」
俺がそう言うと、高橋氏が答えた。
「それはそうだが、かと言って、自衛隊の関係者で知り合いもいないし……」
「基本、警察官と同様、あんまり自分の職業を積極的に言いたがりませんよね、彼らって」
宮下の言葉に、ふと俺の手が止まった。
「そうだ、別に大学じゃなくても、高校の同級生とか、知り合いで防衛省関係って、いないのかな」
「それだ!」
高橋氏のテンションが跳ね上がった。
「俺は泣く子も黙る超有名男子校K高の出身だ。そこの同窓生の知り合いなら、知り合いの知り合いで防衛省関係の人間がいるかもしれない」
「さすがです、高橋さん!」
残念なお知らせだが、この世はやっぱり学歴社会で出来ている。
賢い人が賢い大学に入り、賢い人達とお友達になって、お友達同士で世界を回している。
知らない人より知ってる人。
全く知らない他人同士で、信頼関係を築くのは、非常に難しい。
俺は中卒で会社を立ち上げ、億を稼いでるって?
すばらしい。
そういう人は、並の人間ではないので、また別の才能をお持ちの方々だ。
ツテというのは別に有名大学出身でなくても、結局は地元の高校や、大学出身者で同人会があるってゆう、アレだ。
会話の糸口として、入りやすい。
そんなものに関係なく、仕事も生活も、何の不自由もなく生きてるって?
それならそれで、とても幸せな人だと思う。すばらしい。
俺だって、本当はそれが本来あるべき姿だと思うよ。
だけどさ、出身の学校や地元が一緒って聞くと、それだけでちょっとうれしくなっちゃうもんだろ?
どんなに嫌いな奴でもさ、人間って、やっぱそういうもんだと思うんだよね。
この俺でも、自分と似たような共通点のある人に、親近感を覚えるのは、不可抗力だ。
自分の好きなアーティストやスポーツチーム、漫画アニメのキャラが、同じように好きな奴に、悪い奴はいない! って、つい言っちゃうだろ?
よくよく考えてみれば、そんなことは全く関係ないんだけど、そのアーティストやチーム、キャラ名が、出身校の名前に置き換えられただけだ。
『採用昇任等基本方針に基づく任用の状況』というものがあり、国家公務員法(昭和22年法律第120号)第54条第1項に、その規定がある。
平成24年度の資料だが、多様な人材を確保しているということをアピールするために、採用候補者名簿による採用の状況が公開されていて、
それによると、平成24年度の採用者の多かった大学・学部等出身者の採用者全体に占める割合は、やっぱり東大が一位。
毎年毎年、問答無用のナンバーワンだ。
彼らにとって、多様な人材の採用とは、東大内での話しらしい。
まぁ、こんなことを言っても、勉強して総合職試験に受かれば問題ない話しなのだが。
俺みたいに。
しかし、これ見よがしに出身大学限定の身内ネタあるあるなんかで盛り上がられると、イヤミにしか聞こえないな。
これも、僻みってやつか。東大万歳、学歴万歳だ。
庶民は庶民らしくあるべしとは、どっかのエライさんのお言葉。
知らんけど。
そういう意味では、官僚なんかよりも、政治家の方が、バラエティに富んでいる。
元アイドルとかね。
と、いうわけで、例外なく東大出身の高橋氏は、その他組の俺や宮下さんと違って、知り合いやツテが多い。
すばらしい。
「よし! 俺の剣道部の後輩の先輩の知り合いで、財務省にお勤めのお友達が海上保安庁にいて、その親戚の奥さんのお友達の先輩にあたる人が、防衛省の一般職、事務官に、高校の部活の先輩の後輩としているらしい!」
「それのどの辺りが、知り合いって言えるんですか!」
「さすがです、高橋さん! やっぱり東大出身者って、凄いですよね~!」
高橋氏は、得意げに胸を張った。
「まぁな、これが実力ってもんだ」
「さすがです! やっぱり偉い人って、違うなぁ~」
宮下氏は、恐れ入ったように頭をぽりぽり掻いてる。
「さっそく連絡を取った。さすがに俺たちが防衛省の中に入るのは、簡単にはいかな
いらしいが、昼休みに出てきてくれるらしい」
「今流行の、ランチミーティングってやつですね! さっすが、かっこいいです!
俺、そういうのにずっと憧れてました!」
宮下さんは、すかさずこの近辺での空いているランチの店を予約して確保した。
すばらしい。
要するに、会えればいいんだ、俺としては。
なんだっていいし。
大事なのは、そこだ。
防衛省、事務官である野村忠治氏が現れたのは、予告された時間ぴったりの午後12時8分だった。
「仕事がありますので、お話は食事も含めて56分以内でお願いします」
昔ながらの喫茶店ランチ、薄暗い店内と重厚な木のテーブルに肘掛け椅子、宮下氏が、すかさずスマホのタイマーを56分にセットして机上に置くと、高橋氏は腕組みをして野村氏を見下ろした。
「防衛省は時間にも厳しいんですかね、うちはそこまで言われませんけど、仕事での裁量は比較的自由でしてね」
俺は、翔大の資料を取りだす。
「これが、NASAから送られてきた資料です」
「NASA? アースガードセンターといえば、確かNORADと関係が?」
「そうです、正確にはNORADからの連絡ということになります」
「北アメリカ連合防空軍と言えば、コロラド州ですよね、ロッキー山脈、行ったことありますか? 僕はありますけどね、いいところですよ」
「うわ~、本当ですか!? いいなぁ~!」
「アメリカ空軍がなにか」
「空軍が問題なんではないんです。日本でも、ミサイルの発射を検討していただきたい」
「国防として、ですか?」
「おいおい、杉山くん、いきなりそんなお願いは通じないよ、いくら彼が防衛省の事
務官とはいえ、文民統制、やっぱり内閣府の許可がないと。最高指揮官は内閣総理大臣であって、最終決定権はやっぱり内閣府にあるんだよ」
「ですよねぇ~」
「最悪、アメリカの協力は得られると思っています。ですが、最大の被害を被るであろう、日本の政府が動かないことには、アメリカの支持も得られません」
「外交問題は外務省の権限であって、防衛省にはないんだよ、もちろん、内閣府から外務省に指示することは可能だと思うけどね、内閣府だから」
「やっぱり、そういう仕組みですよね!」
「高橋さんのおっしゃる通りです。私たちは、命令されれば動くだけですから」
「そうだよ、内閣府総理大臣が、最高指揮官なんだから」
「いよっ! 総理大臣!」
「その指示は、高橋さんが取ってくれます」
俺が高橋氏を振り返ると、彼は眉をしかめた。
「そんなに簡単にお願いされても、そう単純に返事はできるもんじゃないよ」
「ですよねぇ」
「防衛省としては、内閣府の指示がないと動けません」
「まぁ、国民の安全のためになら、全力で働くつもりですけどね!」
高橋氏が高らかに笑い声を上げると、宮下氏も一緒に笑った。
「ですので、私からは、これ以上なにもお返事することが出来ません。私は一介の事務官ですから」
「まぁ、そんなにご自分を卑下なさることはございませんよ、十分立派なお立場ですから、防衛省の事務官と言えば! ま、俺は内閣府詰めですけどね!」
「そうですよねぇ、やっぱすごいなぁ!」
本日の日替わりランチが運ばれてきた。全く同じものが4人分。
スマホのタイマーは、残り42分。
「僕が、防衛省の幹部と会って、お話することはできませんか? この資料を野村さんに本日全てお渡しするとして、上の説得は可能ですか?」
「説得も何も、内閣府を説得すれば、いくらでも防衛省は動きますよ。そういう組織図なんだから」
野村氏は、翔大の資料を手に取った。
「私はこれを受け取り、中の人間にお話するだけです。それだけです」
「僕が、直接お話することは?」
俺は、みそ汁をすする野村氏を見上げた。彼は何一つ動じなかった。
「必要があれば、連絡します」
「あぁ、僕の連絡先は分かりますよね、そう言えば名刺の交換もまだでした」
高橋氏が名刺を取り出そうとするのを、野村氏は手の平で制した。
「必要があれば、こちらから連絡します」
「あ、僕、高橋さんの名刺、もう一枚いただきたいと思ってたんですよ、よろしかったら、いただいちゃっても、いいですかぁ?」
「はは、仕方ないな、あんまり、あちこち配るなよ」
宮下氏は、行き場のなくなった高橋氏の名刺をありがたく受け取った。
「翔大の詳細なデータは、こちらからお送りします。ミサイルの発射のタイミングと、その計算を、ぜひアースガードセンターと連携していきたいんです」
「あなたのお気持ちはお預かりいたしました。報告はしておきます」
「日本の総人口の、約45%の命がかかっています。国民の財産と生命を守るのが、防衛省の勤めでは?」
「あなたのお気持ちはお預かりいたしました。報告はしておきます」
皿に盛られたナポリタンスパゲティの、半分が既に無くなっていた。
残り23分。
「我々は、ロケットの打ち上げは出来ても、ミサイルは撃てません。ぎりぎりになっ
てから、やっぱり協力は出来ないと言われるのが、一番困ります。
ミサイル発射技術と、ロケット発射技術と、どちらで翔大の粉砕が可能とお考えで
すか?」
野村氏の、サラダを口に運ぶ箸の動きが止まった。
「おいおい、いくらなんでもそれは言いすぎじゃないのかな? 君たちの所属は、あくまで内閣府、文科省、なのであって、内閣府、防衛省、の、防衛省を刺激するもんじゃないよ、あくまで、内閣府の指示がないと、君たちは結局、何にも出来ないんだからね」
「ですよねぇ」
「だから俺がここに来て、わざわざ橋渡しをしてやってるんじゃないか」
「恐れ入ります」
俺の代わりに宮下氏が頭を下げた。残り13分。
食後のコーヒーが運ばれてきた。
「地球は自転しています。日本が1発目、ヨーロッパで2発目、アメリカで3発目、もしかしたら、他の国の天文学者が動いてくれれば、もっと協力が得られるかもしれません。これは、人類が初めて世界的に協力して立ち向かう、一大事業になるかもしれないんですよ」
野村氏は、コーヒーにたっぷりの砂糖とミルクを加えると、一気に飲み干した。
「そこに参加するのは、僕たちアースガードセンターの、衛星打ち上げ用小型ロケッ
トですか? それとも、自衛隊の弾道ミサイルですか?」
「だから、自衛隊の最高指揮官は、内閣総理大臣だって言ってるじゃないか、内閣府
の指示があれば、防衛省は動くんだよ」
「分かってないですねぇ、やっぱり彼は」
野村氏は立ち上がって、伝票の金額を確認する。
彼は、財布から額面通りの金額をテーブルの上に置いた。
「あなたのお気持ちはお預かりいたしました。報告はしておきます」
俺が用意した翔大の資料を手に、彼は店の扉を開けた。
扉につけられた鈴が、カラカラと音を鳴らすと同時に、テーブルのスマホが56分を経過したことを知らせるアラームを鳴らす。
俺は、大きく息を吐いて、固い肘掛け椅子に体を沈めた。
「おいおい君たち、何にも口にしていないじゃないか、早く食べなさい」
高橋氏に言われてテーブルを見ると、舐めたようにきれいに食事を済ませてた野村氏のお盆と、ほぼ食事を終えた高橋氏のお盆が並んでた。
「じゃ、俺たちもいただきましょうか」
宮下さんがそう言って、にこっと笑って初めて自分の箸を手に取った。
「そうですね、食べちゃいましょう」
やるべきことはやった。後は、連絡を待つのみ。
ナポリタンスパゲティは、何の味もしなかった。
翔大こと、shortar 2018 NSKは、今も宇宙空間を秒速20kmで地球に向かってやって来ている。
そんなに急いで俺に会いたいのか、かわいい奴だな。
だけど、困った子だ。
緊急国際会議で、打ち落とすことが決定した。
しかし、その手段は未決のままで、各国との国際連携もはっきりしていない。
日本では、俺がなんとか話しをつけようと努力しているけど、これがアメリカとかなら、サクッと話しが進んでたりするのかなぁ。
よそんちの事情は、俺には分からないけど。
もし、現在ある長距離弾道ミサイルで翔大を迎え撃つとしよう。
そもそも、なんでそんな長距離を飛ばせるのかというと、実は目的を持って飛ばしているのではなく、基本的に高く上に飛ばして、そこからの自由落下で飛距離を稼いでいるのだ。
打ち上げる位置と角度だけ計算に入れて、後は物理の慣性の法則。
すごいもんだ、科学って。
大陸間弾道ミサイルだとか、ICBMだとか、もったいぶった名前がつけられているけど、要は、古代の大砲から鉄球を打ち出す仕組みと何も変わっていない。
で、現代のその最高到達地点は、地上から1,000から1,500km程度に達する。
つまり、翔大を迎え撃つ限界が、地上1,000kmってことだ。
1,000kmといえば、東京から九州鹿児島の種子島、
北なら北海道のサマロ湖とか紋別、網走あたりになる。
東京から、その距離で翔大を迎え撃つ。
翔大は秒速20km、1,000kmの距離を、50秒、約1分で移動してくるんだぜ。
ちなみに地球は大気圏という空気の層で守られている。
地上に隕石がめったに落ちてこないのは、この大気圏が地球を覆って、守ってくれているからだ。
地球にやって来た隕石は、地上に落下する前に大気圏内で燃え尽きて消滅する。
その大気圏の厚さは、実は100km程度しかない。
100kmって、東京から富士山、大阪から淡路島の南端、福岡からなら熊本とか長崎、札幌から室蘭、登別あたりの距離だ。
カーマン・ラインという線引きが国際航空連盟によってされていて、海抜高度100 km以上が宇宙空間、それ以下は地球の大気圏内と決められている。
流れ星は、地上約110kmくらいの熱圏と呼ばれる宇宙空間から熱を帯び光り始め、大気圏内の中間圏という80km程度の距離で燃え尽きる。
そう思うと、流れ星って、案外手の届く距離までやって来てるんだよな、
いや、手を伸ばしても絶対届かないけど。
俺たちの作戦はこうだ。
ミサイルの届く、出来るだけ遠い距離で翔大を可能な限り細かく粉砕する。
地上1,000kmから150kmくらいまでの距離が勝負だ。
時間にすると、42.5秒しかないけど。
そこまで考えて、俺はふと疑問に思ったことを口にする。
「あの、翔大が地球に落下する前に、軌道をずらしてお取引願うことって、できない
んですかね。地球の引力で、翔大が引きつけられて落ちてくる前に、あっちにいけ
よっていう」
「それは、『重力圏』のことを言っているのかな?」
栗原さんが言った。
「重力って言うのはね、距離の2乗に比例して、弱くなりながらも、無限に影響する
んだ、無限にね」
「宇宙の端まで?」
「宇宙の端まで」
君と僕は、重力で常に引かれ合っているっていう、アレか。
「ま、君が言いたいことは分かるよ、なぜ月が落ちてこないのかってやつだろ。月までの距離は38万kmで、大体その、いわゆる地球の重力が影響を及ぼす距離は26万kmぐらいまでなんだ」
「じゃあ、月より向こう側で軌道を変えないと、意味がないってことですか」
「そうだね」
月までロケットを飛ばせるのなら、それも不可能でないような気がしないでもないけど、でも、今から約2年後、それまでにそんなロケットを作って飛ばせるかどうか疑問だ。
一時、一世を風靡した探査機はやぶさのイトカワへの着陸だって、当初は4年計画だったのが、7年に延長されている。今回は、それの半分だ。
「軍事用人工衛星みたいなので、レーザービームで破壊、とか?」
「それこそ、国家の軍事機密に関連してくるから、俺たちではどうしようもないよ」
夏の日が沈む。夕暮れの空に、一番星が輝いた。
「しまった。ガンダムとか、AKIRAのSOLみたいなのを、俺が作っておけばよかった」
俺がそう言うと、栗原さんは笑った。
「無理だろうね、基本、人間が作る軍事用衛星って、常に地球に向けて、つまり人間
に向けて作られているものであって、それは外に向かって発射されるようには、出
来ていないからね」
「人間の作ったものは、人間を対象にしてるってことですか」
「気象衛星なんかも、そうじゃないか。衛星を使った道路ナビなんかも、結局は内向
きだからね。もちろん、天文観測用の衛星も打ち上げられているけど、あくまで観
測であっって、今回の件に関しては、残念ながら無力だ」
そう、翔大の一番の問題は、時間がないということ。
「四つ割れ作戦で、なんとかなりますかね」
「今、世界の天文学者が、総力をあげてショウターの成分分析を行っている。大気圏
内で消滅させるためには、ショウターの主成分が、何で出来ているかが問題だ。
それによっては、4つでは不可能かもしれないし、大気圏への、進入角度も計算に
入れなければならない」
夏の夕暮れ、赤い日差しは、太陽光の可視波長が、空気中に散乱しないで赤い色だけが残ったから。
日没の1分前には、実はもうすでに太陽は沈んでいて、人が見ている夕焼けの太陽は、屈折効果による単なる幻なんだって。
「大事なものは、目には見えないんですね」
「そういうこと」
この空に浮かび、地球に向かってきている翔大も、今は見えない。
夕焼けの太陽も、実は存在していない。
人間は、この世で起きている事柄の、ほんのわずかなことしか、見えていないんだ。
今目の前にいる栗原さんも、実は原子の集合体で、たとえ人工培養で脳も臓器も神経も、全て手作りして完璧につなげ合わせたとしても、それが命を持つことはないんだって。
「見えないって、いいことなんですかね」
「でもね、人間は、見えていなくっても、知ることは出来る生き物なんだよ」
そう言って、栗原さんは笑った。
そうだ、翔大は目に見えなくても、俺はそこに翔大がいることを知っている。
この俺自身が、ほぼ炭素原子の集合体であっても、生きていることを実感できる。
知っているって、すばらしい。
そうだ、大事なものは目には見えないって、星の王子さまが言ってたんだ、
サン・テグジュペリだ。
星の王子さま。やっぱり星だった。
そして、さらに数ヶ月が過ぎた。
季節が夏から秋に変わろうとしている。
翔大襲来まで、あと約2年。
俺が頼んだセンターと防衛省の協定案は、普通でない事務関係の仕事だから、後回しにされるのも分かる。
彼らにとっては、他のもっと現実的な、たとえば、今月末が納期の仕事とか、たったいま入ったクレームの処理だとか、来週の接待の店探しだとか、そういったことの方が優先度が高い。
当然なんだと思う。
それを頑張ったからといって、直接的に自分の懐にいくらかの金が転がりこむわけでもない。
経営者ではないから、頑張ってもカネに変わるとは限らない。
いつでも上層部の関心は別にあって、働くことは楽しみでも趣味でも、生きがいなんかでもない、金儲けだ。
それも分かる。
特に役所の仕事なんてのは、営利目的の仕事ではないので、それでカネを生むわけでもない。カネを生まない仕事は仕事じゃないし、プロとは言い難い。
「こんにちはー」
アースガード研究センターに、突然の来訪者があった。
文科省役人の、宮下さんだった。
「うわ、どうしたんですか、突然」
「え? いやぁ、監督官庁として、抜き打ち視察に来てみた」
そう言って恥ずかしそうに笑う彼は、多分そんな口実でも作ってみなければ、ここへ来られなかったのだろうと思う。
「お久しぶりですね、お元気でしたか?」
「なんだよそれ、イヤミ?」
彼は笑った。
アポ無し監督官庁からの急な来局に、香奈さんやセンター長はすっかり慌てふためいている。そんな、気にすることないのにな。
「書類の申請は、進んでいますか?」
「やっぱり、それが気になるよね、俺もそうなんじゃないのかって、気になっちゃってさ」
その後、防衛省の野村氏からの連絡は一切なく、内閣府の高橋氏とも連絡をとれていない。
そもそも、こちらから何かを言える立場ではないのだ。
『どうなっていますか?』
『進んでます?』
立場上、下のものが上に意見や催促をするのは、非常に勇気がいる。
どれだけ社長や上役が、フレンドリーに接してきたって、それは下の連中が、そうやって接しているからだけのことなのに。
それを、さも自分の人柄のように語られるのを、どれだけ苦い思いで聞いているのか、華やかなだけの存在だなんて、そんなものはありえない。
いつだって、顔は笑っていても、誰しもが腹の中では、黒やグレーの渦を抱えて、それでも円滑に事が進むように努力している。そういうもんだ。
「来年度の予算編成が、本格化しているからね、それどころじゃないんだよ」
「まぁ、そうなんでしょうね」
本当は、何よりもそこに、一番に組み込んでほしい内容だったんだけどな、俺たちのような、なんの繋がりも伝統もコネもないような連中には、これ以上手の打ちようがない。
国の予算編成ってのは、昨年度の予算案が通過した時点で、もうすでに始まっている。
5月末には既に来年度の予算請求額を各省庁が決定し、総務課に提出する。
そして8月には、各省庁が財務省に概算要求するのだ。
俺が内閣府の高橋氏にコンタクトをとれたのが6月、
防衛省の野村氏とのランチが7月、
通常の予算編成に、翔大迎撃作戦の費用が組み込まれているとは考えにくい。
同じく8月には、財務省からの予算限度額も発表されているし、何かと緊縮が叫ばれている中での、新たな予算獲得は、難しいのだろう。
国家予算というのは、もちろん財務省で編成するのだが、実は予算編成の基本方針というのは、内閣府が決定し、その方針に従って財務省が予算を組む。
これは、財務省に好き勝手にさせないための一種のチェック機能だ。
そういう意味では、内閣府の高橋さんを味方につけた(?)ことは、大きいんだけど……。
「高橋さん、どうしてるんでしょうねぇ」
「さぁ、今が一番忙しい時期だからねぇ」
12月には、財務原案が発表され、そこから復活折衝が始まり、最終予算が国会に提出される流れだ。
この通常ルートに翔大の予算が入ってないとすると、残る可能性は補正予算ということになる。
そもそも、最初に提出された予算通りに、カネが使われることはほとんどない。
国の借金がーなんて、叫ばれてもう何年も経っている。
それなのに、一向にその解消がされないのは、本気で削減しようという気がない政府と国会議員の怠慢だ。
もう何年も同じことをくり返しているなんて、学習能力もないに等しい。
実はこの補正予算ってやつが、国の借金の正体だ。
緊急の災害復興費用に組まれる補正予算を国債でって言われたら、まぁ仕方ないかと思うけど、景気刺激策に使われる大型補正予算ってどうなの?
どれだけの予算獲得を引っ張ってきたのかを自慢するより、江戸の殿様みたいに、質素倹約を自慢すればいいのになぁ。
生めないカネを生んで、なにがプライマリーバランスだ、赤字半減目標だ、テメーの体脂肪の方を気にしてろ。
それでも、翔大迎撃費用は欲しいんだけどね、しかもたっぷり。
そりゃ誰だって、自分のところにカネは欲しいよな。
キレイなことばかりを言って、自分の保身のために動くことは、反吐がでるほど気持ち悪い。
だけど、自分の身を守るためには、そうやって反吐が出るほど気持ち悪い、気持ちの変革を、どうしてもやりとげなくてはいけないのだ。
それを負けとして見るんじゃない、現状の改善のために、前向きに捕らえてゆくんだなんて、頭では分かっていても、それが一番の良策だと知っていても、気持ち的に複雑になるのは、どうしたって避けようがない。
オカネをください。
翔大を打ち落とすためのオカネなんです。それは、自分のためなんかじゃなくって、日本国民、いえ、強いては全世界人類を守るための、平和的な予算なんです。
決して、天文学発展のためだったり、ましてや軍備増強のための、予算なんかじゃありません。
「とにかく、連絡を待つしかないよね」
宮下さんが立ち上がった。
彼は、それを伝えるためだけに、わざわざ来てくれたのだろうか。
センターの人間が、総出で彼を見送る。
イヤだよ、やりたくないよ。
どうした自分、昔の俺は、そうじゃなかっただろ、
言いたいことは言ってやれ、もっと本音をさらせよ、
本気だせよ、自分を誤魔化してんなよ!
なんて言えるのは、二次元の世界だけでしかないということを、身をもって知るのが、ちょっとはオトナになるっていうか、社会人なんじゃねーのかな。
お前が言うなって? しらねーよ、バーカ。
とにかく、カネをくれ。
さらに2ヶ月が過ぎた。もう11月だ。
内閣府の高橋氏からは、一切なんの連絡もない。
こういう時って、やっぱり接待みたいなことをして、内情を聞き出したり、きっちり予算に組み込まれるよう、頭を下げに行った方がいいんだろうか。
しかし、ここでの一番の問題は、高橋氏はあくまで内閣府の人間であって、財務省の人間ではないし、そもそも彼にそんな権限があるのかどうか、はなはだ疑わしい点だ。
この時期の財務役人なんて、本当にキレッキレだからな、触るもの皆、傷つけるどころか、全員なぎ払いのうえ、即刻打ち首だ。
余計なことをしない方が、いいような気がする。
2008年10月7日の協定世界時2時46分、日本時間11時46分に、人類史上初、大気圏突入前に発見された天体がある。
後に280個、約4kgの破片が回収され、アルマハータ・シッタ隕石と名付けられた2008 TC3だ。
前にもちょっと触れたけど、発見されたのは、大気圏突入の20時間前、その後、スーダン北部の上空で、秒速12.8kmの速さで突入し、爆発、消滅した。
推定された直径は2mから5m、推定質量は約8トンだから、翔大に比べれば、はるかに小さい。
そもそも星って奴は、光っていないと発見出来ない。
有名なハッブル宇宙望遠鏡や、日本のすばるなんかも、対象とする星が光っているから観測出来るのであって、光っていなければ、どんなに近くても見ることが出来ない。
ハッブル宇宙望遠鏡の観測出来た最も遠い銀河が133億光年先の銀河でも、根暗な星なら1光年先でも見えないのだ。
輝いとけ自分、光っとけ、俺。
どんな凄い望遠鏡をもってしても、キラキラしてないと、認識してもらえないのだ。
キラキラしとけ、お前もな。
2011 CQ1というやつは、発見から14時間後に、地上から5480kmの地点を通過していった。地球の半径が6378kmだから、もう本当の大接近だった。
最短接近記録の持ち主だ。
地球に接近しすぎて、その重力による影響で、飛行軌道が60°もカクッと折れ曲がり、軌道が変化した。
そう、隕石って、まっすぐ地球に向かって飛んで来るわけじゃない。
常に地球の周りをぐるぐる回っていて、旋回しながら落ちてくる。
色々と悩んだ末に、巡りめぐって落ちてくるわけだ。
迷ってないで、まっすぐ進んどけ、お前もな。
翔大は幸い、キラキラした輝く星だった。
だから見つけてもらえたし、発見も出来た。
この2008 TC3ってやつは、ダイヤモンドを含む珍しい隕石だった。
どんな星でも、光っていないと観測できない。
つまり、何事も光りが頼りだ。
それは逆に言うと、地球の影に入ってしまえば、観測出来ないということ。
自ら光りを放つ星として有名なのは、太陽。
太陽の光を受けて反射しているのが、翔大たち。
キラキラしてるっていったって、自分一人の力で輝いているわけではない。
誰かがそばにいて、何らかの事象があって、光り輝くものだ。
それは、引き立て役が必要って言ってるわけじゃないからな、自分を引き立てる出来事が必要って話しだ。
照らしてくれるような出来事がないと、どんな立派な奴だって、輝けない。
俺みたいに。
「高橋さ~ん、最近どうですかぁ?」
直接会う勇気はなかったけど、直で電話してみた。
メールだと返事がすぐには返ってこないだろうし、忘れられたり、無視される可能性もあるからだ。
電話して怒られたら、すぐに切ればいい。
「どうですかじゃないよ、もう全ての作業が中断中だ!」
「は? なんで?」
「なんでじゃねー」
聞けば、現国会が大紛糾中だと言う。
「どういうことですか?」
「お前、ニュース見てないのかよ」
「見てますよ、主にエンタメとスポーツですけど」
「せめてトップニュースぐらいは見とけよ、ついでに政治と経済も」
聞けば、現総理大臣のヅラが、国政調査活動費として、経費で落とされているという疑惑が浮上し、大問題となっているらしい。
そのことをキャッチした野党議員が、明確な説明を求めて、議会でのその他の審議を全て拒否しているそうだ。
さらには総理が、『自分はヅラではない。例えそうだとしても、ヅラの費用は私費で購入している』と発言したことによって、事態は一層最悪の様相を呈した。
総理の頭髪はヅラか自毛かで激しい言い争いとなり、総理は審議発言をプライベートな内容として拒否、はたして総理の行動は私人か公人か、ヅラか自毛かで、国会審議が中断、この先の見通しが全く立たないという。
「俺はね、頑張って法律案を出したんだよ、予算つけるための!」
「ありがとうございます」
「それが総理のヅラ問題でな……、まぁ、気になる男にとっては、大切な問題だか
ら、イカンとも言い難い。ましてや身だしなみも問題となる一国の総理大臣外見問
題、国会審議で紛糾するのも仕方が無い」
「ですよねぇ~」
と、言っておく。
「でも、こんな短期間で内閣提出法案をつくって、法制局参事官にオッケーもらえた
んですか? 凄いですね、さすが」
「ま、『こんなのを将来つくるための準備をしましょうや』っていう、法律案だから
な、あくまでも」
そういう彼の声は、電話越しでも得意げだ。
「即席だったけど、極秘なんだろ? そういうのはな、得意なんだよ」
「頼りになります」
思わず口元がほころんで、改めて礼を言ってから電話を切った。
流れが変わったら、向こうから連絡してくれるらしい。
話しが終わってしまうと、俺はまたすることがなくなって、狭いセンターの片隅で、一人デスクにポツンと座っている。
ぼーっとしていたら、ふと香奈先輩の視線が、俺にあることに気がついた。
「なんですか?」
「何でもないよ」
翔大の観測、分析に忙しいセンターの連中に変わって、実験助手的な役割も引き受けている香奈さんが、じっとこっちを見ている。
「俺の顔が男前過ぎて、見とれてました?」
「それだけは違うと、はっきり断言しておきます」
「相変わらず冷たいなぁ、もっと素直になればいいのに」
俺は額を机の上にゴンとのせて、香奈さんを見上げる。
やることのなくなった俺は、また窓ぎわ仕置き部屋社員に逆戻りだ。
「まぁ、意外とよく頑張ったとは思ってるよ」
「惚れ直しました?」
「少なくとも、マイナスからゼロにはなった」
これ以上また何か言うと、首を絞められるか、蹴飛ばされそうだけど、そう言えば最近はそんな暴力も受けてなかったな。
「もう、蹴飛ばしたりしないんですか?」
「ケトバサレタイノカ、コノヘンタイヤロー」
香奈さんが変な言い方をするから、俺が笑って、彼女も笑った。
「俺は分析のお手伝いは出来ないので、行ってあげてください」
「あんたも、国会承認がとれれば忙しくなるんだから、今のうちに関連する法規の、
勉強でもしておきなさい。私、あぁいう細かい文字は、苦手なの」
そう言って目の前に置かれたお茶は、俺専用の湯飲みで、淹れたての温かいお茶だった。立ち去る彼女の背中を見つめながら、ありがたくすする。
相変わらず、優しいにおいがした。
総理のカツラ疑惑に端を発した公費流用問題は、その後も長期にわたり、もめにもめた。
総理行きつけの床屋の主人が、『ついに真相を告白!!』なんて、肯定と否定の様々な記事が週刊誌を賑わせ、業務上知り得た顧客情報の守秘義務違反に当たると主張する与党と、政府主導による検察からの圧力によって、理髪業界全体が被害を被ったうえに、個人の自由な発言を阻害する民主主義への反逆だと、野党は応戦した。
この両陣営は、とにかくもめ事を起こして、混乱させるのがお仕事らしい。
結局、秋の臨時国会は空転を余儀なくされ、無罪を主張する総理の身の潔白を証明するため、やがてそれはヅラ解散へと発展していく。
こんなことをしている間にも、翔大は刻一刻と地球に向かってやって来ているというのに。
連日の国会前でのデモ報道と、カツラ疑惑の追及ぶりには、呆れてため息すら出ない。
この人達は、もし翔大の問題が公表され、明らかになったら、どんな行動に出るのだろう。
そんな場合でも、やっぱり反対運動を起こしたりするのかな、それとも、一致団結して、めちゃくちゃ協力してくれる、心強い味方になるのかな。
もしかしたら、一切興味関心を示さず、報道も全くなかったりして。
それもありえない話しじゃない。
まあ、大抵の事実ってのは、マスコミに載る方が全体のごくごく一握りの出来事なんだけど。
この世には、自分の知らない出来事がたくさんありすぎるし、その全てを知ることも不可能だ。
衆議院議員選挙の当日、俺は、もし野党に一票を投じたら、世の中は一体どう変わっていくのだろうと思いつつも、翔大迎撃作戦のため、センターと防衛省の連携協定に関する法律を内閣府から法案として提出をお願いしている立場上、与党にしか投票しようがなかった。
本当は、気持ちとしては野党に投票したかった。
総理、自分の頭髪に自信を持て、総理がハゲだろうが、そうでなかろうが、国民は頭髪によってその人の能力を判断しているワケではない。
もっと堂々と、自由に生きて欲しい。
その辺の主張は、大いに野党に賛同している。
しかし、やっぱり俺は、与党に投票した。
その日の夜、俺は狭いアパートの自室で、一人ビールを飲みながら選挙速報を眺めていた。
今回の選挙だけは、どうしても与党に勝っていただかなくてはならない。
世論調査の予測はどこも五分五分。
ヅラ解散なんかで、本当に決定を遅らせている場合ではないのだ。
もし野党が勝ったら……、官僚も全員交代なんてことは資格任用制の日本じゃないだろうけど、法案の作り直しと、人脈をイチから立て直すのには、面倒くさすぎる。
翔大は待ってくれない。俺たちには、時間がないのだ。
深夜まで続いた混戦は、翌朝明朝にまでもつれ込み、結局、僅差で与党が勝利を収めた。
テレビの画面で、晴れやかな笑顔を見せる総理の頭髪に、俺の視線はくぎ付けにされる。
そうだよ総理、どっちだっていいんだよ、ちゃんとやること、やってくれてればね。
解散総選挙のあとは、内閣府の長である総理の続投が決定した。
防衛省の大臣は変わったけど、文科省の大臣の継続が発表され、俺はさらに、ほっと胸をなで下ろす。
そう、内閣府の長と、文科省の大臣さえ変わらなければ、翔大迎撃作戦の続行には支障がないはずだ。
報道に出される新内閣発足のニュースが、これほど気になった選挙も、いまだかつてなかった。
俺的にはね。
センターの隅っこで、手持ちぶさたの俺は、ぼんやりネットニュースを見ながら、そんなことばかりを追いかけていた。
そうか、新防衛省長官の好きな食べ物は、いちごかぁ~、趣味は園芸ね、なんて。
目の前の卓上白電話が鳴り、もはや電話番としか機能していない俺の手は、反射的に受話器を持ちあげた。
「はい、もしもし? こちら、アースガード研究センター、杉山ですけど」
「おぉ! 杉山くんか? 俺、俺! 俺なんだけど!」
「あ、オレオレ詐欺ですかぁ? 間に合ってま~す」
受話器を下ろそうとしたその奥から、聞き覚えのある声が響いた。
「俺だよ、内閣府の高橋だよ!」
ついに連絡が来た! 俺は慌てて、受話器にかぶりつく。
「どうなりましたか?」
「オッケー取れたよ。テレビカメラが入っての、大臣初仕事取材の時にさ、書類の順
番入れかえて、2番目に差し替えておいたんだ。ちらっとめくって、ポンって、ハ
ンコ押したよ」
握りしめた拳が細かく震えている。俺はそのまま飛び上がった。
「やったぁー!」
「宮下くんと、野村さんにも連絡しておくから、後は任せたよ。日本の、いや、世界
の運命が関わっているからね」
ここからは見えなくても、高橋さんの、得意げに親指を立てているポーズが目に浮かぶ。
「はい! ありがとうございました!」
なんだかんだ恥ずかしい理由をつけても、結局ちゃんと動いてくれている。
この人達って、やっぱり基本的には、誰かのために、何かのために、動ける人達なのだ。
それを、あえて正義とは言わない。
俺は受話器を置いた。センターのみんなが、俺を見守っている。
「防衛省との協定案、これから作り始めますよ!」
ここに入局した当時、俺はこんなにも、ここで受け入れられるとは思わなかった。
完全門外漢のはずだった俺にも、左遷先だったはずのここでも、やれば出来ることって、あるんだな。
香奈さんが誉めてくれている。栗原さんが泣いている。
センター長の大きな手が、俺の肩に乗っている。
再び電話がなった。相手は宮下さんだった。
「おめでとう、うまくいったみたいだね」
「ありがとうございました!」
「俺も、監督官庁として手伝うよ。お役所ルールの公文書、君にちゃんと書ける?」
「どういうことですか?」
「公文書というのはな、各官庁、各部局ごとに、使用される書体、文体、文字の用
法、空欄の入れ方から、ハイフンの位置、漢数字の使用方法、カタカナルールま
で、細かく規定されている」
「はい?」
「あくまで例えだ。『この文章の、この空欄は、全角ではなく半角で入れ直せ、英数
字はCenturyではなく、Helveticaだ』とかいう1ページ目、1カ所だけの理由で、
300ページにも及ぶ書類を、突き返されたくないだろう?」
「そういう経験、あるんですか?」
「まぁ、俺みたいな公文書のプロとなると、提出された文書を見ただけで、中央官庁
だけでなく、地方自治体どこの公文書かまで、全て言い当てることができるから
な」
お役所仕事って、そういうことか。
「『一人』は『ひとり』で、『払い戻す』ではなく『払いもどす』だ」
「あの、何を言ってるのか、ちょっと分からないんですけど」
「まぁいい。一般人にはなかなか理解の及ばないルールだからな。これは公文書偽造
防止のための措置だ。見る人間がちゃんとみれば、少なくとも、この書類は『受理
された書類ではない』というのは、一目でわかる」
「お役所仕事ですね」
「提出資料の作成は、俺がやった方が早いってことだ」
「よろしくお願いします!」
そして、ついに本丸御殿の大本命、防衛省野村氏からの連絡が入った。
「明後日、14時26分にそちらにうかがうつもりだが、実行は可能か?」
「はい、いつでもかまいません」
「いつでもではない。明後日の14時26分だ」
「了解です!」
それだけを確認して、野村氏からの電話は終わった。
「いよいよ、これからが君の本番だね」
センター長の鴨志田さんが、俺に声をかけた。
「はい! 全力で頑張ります!」
ミサイルのことは分からない、空を飛んでくる小惑星のことも、どの角度で、どれくらいの火薬量で、どのタイミングで発射すればいいのかも、俺には計算できない。
でも、俺にだって、翔大と戦うためにやれることは、たくさんあった。
待ってろよ、翔大!
その日、俺は種子島宇宙センター近くにある、公園に車を停めていた。
ライブ中継や実況放送のある、公式の見学場所ではなかったにも関わらず、普段は静かな公園が、人であふれかえっていた。
天気は上々、夏の天候も、この日ばかりは人類のために、余計な悪さをしなかったらしい。
いくつか設定された実行日のうちの、初日に作戦が展開されることになった。
ミサイル発射に協力を申し出た国の発射台上空は、どこも晴天だった。
本当は、静かな場所で、ゆっくり見学したかったんだけどな、やっぱり、現実はそうもいかない。
激混みの駐車場で、特別に徴収された駐車料金を払ってから、なんとか発射台方面の砂浜に向かって歩き出した。
とにかく、凄い数の見学者だ。
一方では、人類終末論がわき起こり、核シェルターがバカ売れなんて騒ぎもあったけど、まぁ、人類史上、初の出来事であるのには変わりない。
白い砂浜に敷き詰められた、カラフルな敷物の間を、縫うように歩いていると、俺を呼び止める声があった。
「おーい、こっちだよ!」
手を振っていたのは、アースガードセンターの仲間たち。3日前から場所とりしていたというその場所の隅っこに、俺は腰を下ろした。
「連携の影の立役者が、こんなところからの見学でよかったの?」
「俺、発射技術に関しては、全くの無知ですから」
ミサイル発射当日は、種子島宇宙センター全域と、射点を中心とした半径3kmが立ち入り禁止区域に指定される。
中にいるのは、本当の打ち上げ担当技術者たちだけだ。
ぎりぎりまで充電して、予備のバッテリーまで用意しておいたスマホを取り出す。
公式中継がなくったって、これでネット配信の動画を見ればいいんだから、世の中便利になったもんだ。
小さな画面の中の司令室には、栗原さんの姿が見える。
今回の功労者は、間違いなく彼だと、少なくとも俺はそう思っている。
技術者が、持てる知識を持って世界を守る。
彼はその頭脳で、人類を救った英雄だ。
総理官邸には、ヅラ騒動の総理が作業着姿で、ヅラリと各種大臣を並べた災害対策本部を設置している。
回りにも同じような、キレイな作業着姿の官僚たちが並んでいて、その中に、宮下さんと高橋さんの姿を探したけれども、見つからなかった。
どっか、別の実務連絡室とかの個室に、押し込められているのかな。
実質業務を担当するのは、結局そこだ。
野村さんは、防衛省本部詰めだって言ってた。
「ねぇ、センターを辞めるって聞いたけど、本当なの?」
「だって、俺にはもう、ここでの仕事はありませんからね」
「どうするのよ」
「俺、今回の出来事で、気づいたことがあるんです」
国内の準備が整いつつあるころ、同じように、他の国々でも、それぞれの国内事情が整いつつあった。
地球防衛会議の議長国、一人事務長だった俺は、国内体制は栗原さんや宮下さん、野村さんたちに任せて、国際連携の協定に奔走した。
外交官になるのが夢だった俺の夢が、こんな不思議な形で叶ったのが、本当に夢のようだった。
夢のような翔大の登場に、俺の夢がこんな風にリンクするなんて、3年前の俺には、想像も出来なかった。
協力を申し出てくれた、様々な国に出向き、色んな人達と会い、色んな話しをした。
見たことのない場所に行って、聞いたことのない話しをたくさん聞いて、会うはずのなかった人達とも、たくさん会った。
どんな時代にあっても、まだこの世には、未開の地が、人類未到の出来事が、山のように残っている。
現代の冒険は、地表の密林にあるのではなく、人の社会のなかに埋もれていたのだ。
やるべきこと、やりたいこと、やらなければならないことが、まだまだこの世界にたくさん溢れていることを、俺は知った。
センター長の鴨志田さんは、ある意味面倒な仕事を全部栗原さんに押しつけて、アフリカの沙漠で鼻息を荒くしながら、その時を今か今かと待ちわびている。
今回の翔大迎撃作戦は、様々な影響を考慮した結果、『アフリカの沙漠地帯に落とす』としか公表されていないが、実際には、ある程度の落下地点は計算されている。
その翔大の破片をめぐって、実は熾烈な回収戦線が勃発していた。
各国がそれぞれに大規模な回収隊を編成し、迎撃作戦終了の合図と共に、一斉に砂の海を走り出す。
翔大がもし、他の銀河系からワームホールを通過してやってきた隕石だったら、その価値は研究者にとっては、計り知れないものがある。
鴨志田センター長にいたっては、日本の爆弾にだけ、特殊塗料を紛れ込ませておいて、それを頼りに回収したいと熱心に持ちかけていたが、全くの未知数の翔大成分に対し、どんな化学反応を起こすかも分からないし、その塗料の配分が、火薬の爆発にどんな影響を及ぼすかも分からないので、あきらめろと散々説得されて、ついに折れた。
そして、それはそのまま国際条約となり、争奪戦が展開されることとなった。
実は、今一番アツイのが、その沙漠近辺に駐在している天文学者たちだ。
協力要請に応じた国々の、同時カウントダウンが始まった。
自然と周囲の見学者たちも声を上げ始め、それは大合唱となって世界を包み込む。
「Ten, Nine, ignition sequence start,
Six, Five, Four, Three, Two, One,
All engine running! Lift off! We have a lift off!」
光りの筋と共に、爆音が辺りに響く。
「なにこれ、アポロのカウントダウンと一緒じゃない」
香奈さんが笑った。
スマホの画面の中で、拡大されたロケットが一直線に飛んでいく。
特殊な望遠鏡で撮影されたライブ映像、その画面に写し出された翔大に、全くの同時に数本の大陸間弾道ミサイルが突き刺さった。
その瞬間、翔大はものの見事に、粉々に砕け散る。
歓声が上がった。
見上げた空からは、一斉に無数の小さな星が流れ落ちる。
光り輝く翔大の残骸が、夕暮れの空にたくさんの弧を描いて落ちてゆく。
その光景は、とても幻想的で、まるで自然現象で、緻密な計算と、たくさんの人間の努力によって作り出された、人工的な天体ショーだとは、到底思えないほど、美しかった。
「今ごろ、鴨志田さんはジープを走らせてますかね。イタ電してみましょうか」
「殺されるわよ」
スマホの画面では、司令室で抱き合って喜ぶ、栗原さんの姿が見えた。
俺はそっとその画面を閉じて立ち上がる。
「ねぇ、NGOの団体に誘われたって聞いたけど、本当なの?」
「ま、才能が埋もれることを許されないっていうんでしょうかね、
仕方ないですよね」
「あんたのその根性があれば、どこでもやっていけるわよ」
俺は最後に笑って、この場を後にした。
俺にはもうすでに、次のやりたいことが決まっている。
人生の冒険者たちよ、果敢であれ、恐れることなく、前に進め。
そう、俺みたいに、ね。