「待った?」

「少しだけ」

 僕は笑んで、少し息を切らせているひなせの手から荷物をひとつ取った。

「軽いし、平気よ?」

「それは僕のセリフ」

「うーん、じゃあ任せる。ありがと」

 待ち合わせたのは、ひなせの会社のある所から二つほど手前の駅。
 商業施設も飲食店も充実していて、賑やかな繁華街だった。
 これからどこへ行きたいのかと訊ねると、ひなせはニコリと笑った。

「あのね」

 


 地上35階建てのタワービル。
 30階にある展望レストランは、夜景を見下ろしながら食事を愉しむ客のほとんどが恋人同士に見えた。

「一度来てみたかったから」

 手軽なフレンチのコース料理というのも人気のひとつらしい。
 二人はそれぞれ違うものを選び、お互いに取り分けながら、最後のデザートの頃には満足すぎるくらいになっていた。

「なんか会社やめた記念日、って感じ」

 ひなせが小さく笑う。
 8月には辞めるつもりで辞表を出していた彼女は、後任のめどがつくまでと結局2ヶ月も引き止められ、今日が最後の出社日だった。

 ぼんやりと光りが点在する眼下の景色を見つめる横顔。
 だが、すぐにおどける。

「明日からは好きなことが自由に出来るって、すっごい贅沢よね」

「短い時間ならアルバイトしても大丈夫だろうし・・・、別に何が変わるわけでもないよ、きっと」

 僕がそう言うと、少し安心したようにひなせは頷き返した。