自分が、自分じゃないみたいだ。
トイレから戻ったあとも、手鏡をのぞいて、いちいち確認せずにはいられない。どうにも落ち着かなくて、すべてを拭き取ってしまいたい衝動にかられる。
「大丈夫だって、かわいいから」
亜美は私の肩を叩くと、足取りも軽やかに、自分の席に戻っていった。
うっすらとファンデを塗られた肌はいつもより滑らかで、くちびるはほんのり色づき、まつ毛もくるんと上を向いている。
チャイムが鳴って、担任が教室へ入ってきた。出欠をとるとき、私の顔をちらりと見たけど、別に何も言われなかった。気づかれなかったのかもしれない。
亜美は、ごく軽いメイクを施したらしい。経験から、ここまではオッケーというラインを心得ているみたいだ。
亜美だけじゃない、女子のほとんどが、日々、こういう技を磨いているらしかった。通っているのはまじめな生徒ばかりとまわりに思われている、半端な進学校で。それでも、少しでも綺麗であろうとして、だけど決して浮かないように、眉をひそめられないように、微妙なさじ加減を探っている。
私はそういうものとは無縁でいたかった。なのに。
――本当に、かわいいんだろうか。
薄づきのファンデの乗った肌を、指先でなぞる。ほんの少しのメイクで高揚してしまう自分も、確かにいて。だから落ち着かない。
「……今日までだから、まだのひとは、今、提出すること」
担任の声で我に返る。となりの席の子に聞くと、「進路希望調査」と、小声でこっそり教えてくれた。
進路希望調査票。私の希望進路は去年から変更なし。配られたその日のうちに書いて出していたから関係ない。進学希望か、就職希望か。進学なら、国公立大か、私大か、短大か。専門学校か。志望校はどこか。最終的にどういう職を目指すのかを書く欄も設けられていた。具体的に決まっていない者は、ざっくりした希望だけでもいいから書くようにと念を押されていた。
あと二年もしないうちに、私は卒業して、この町を出る。きっと、ハルも。
そっと、目を伏せた。ハルの進路なんて知らないし、聞くつもりもない。だけど、きっと。
慌ただしくホームルームが終わり、私はすぐさま、次の授業のノートを開く。予習した箇所のチェックをするためだ。もともと理数科目が苦手だったくせに理系に進んでしまったから、ついていくのがやっとだ。
――教えるけど? 数学。
何度か。ハルは私にそう言った。
最初は、中学のころ。赤点ばかりだった私を見かねて。私は、塾の先生に聞くからいい、とつっぱねた。誘われていた部活を始めることはせず、かわりに、二年の夏休みから塾に通い出していた。家にも学校にもいたくなかったのだ。
高校生になってからは、全教科、ぐんと難易度が上がり、毎日の予習復習は必須で、とくに数学と化学は、授業内容がなかなか理解できずに、振り落とされてしまわないようについていくのが精一杯だった。だけど、ハルにだけは、頼るわけにはいかないと思った。
ハルは教室の、窓側、一番後ろの席にいる。背が高いから、席替えのくじを引いても、結局は後ろの席へと追いやられてしまうのだ。
私は大体いつも、前から二番目あたりの席になる。だからもう、ハルが私の視界に入ってくることはない。
二年七組は、男子が多い。男女比は、七対三くらいだ。
一緒に行動する女子の友達は、亜美をはじめ、違う中学出身者ばかり。いろんな事情を知らない子と過ごす方が楽だった。
中学時代。あのころ苑子の悪口を言いまくっていた真紀たちとは、お互いやんわりと距離を置くようになった。真紀たちだって気まずいのだ。いくら嫌っていたとはいえ、まさか亡くなってしまうなんて、ショックだったと思う。他の友だちも――、あれ以来、私に対して、一枚、うすい膜を隔てたような接し方をするようになってしまった。
優しさの、膜。
苑子と姉妹のように育って、いつも一緒にいた私の。まだかさぶたのできていない傷に、うっかり触れてはいけないと、気遣ってくれていた。
勉強も通学距離もきつくはなったけれど、高校に入学して、少しだけ呼吸が楽になった。
楽になりたいと無意識に願っていた自分を、私は、嫌悪している。