あやかし宿の幸せご飯~もふもふの旦那さまに嫁入りします~


「それは気のせいだろう」


そんなことまで思い出さなくていいから。


「あはは。でも、すごく温かかった。あの尻尾がなければ私は今頃、両親のところにいたかもしれません。ありがとうございました」


まったく、ばあさんも彩葉も、お礼を言わなければならないのは俺のほうだというのに。


「俺のせいでつらい思いをさせた」
「そうですよ」


彼女は唇を噛みしめて眉間にシワを寄せたがそれも一瞬で、すぐに笑顔を作る。


「幽世で目覚めて話を聞いたときは、なんで殺されそうにならなきゃいけないの?って白蓮さんのことを恨みました」
「はっきり言うなぁ」
「ふふふっ。でも、私のせいでもあるなぁって」
「彩葉の?」


どういうことだ? 
彼女は完全に被害者だ。前世でも現世でも。


「そうです。だって前世で白蓮さんを好きになったのも私ですし、来世で会うことを約束したのも私なんでしょ? 私って悪い女ですね。白蓮さんに三百年も期待させたまま待たせるなんて」


こんな言葉が飛び出すとは想定外すぎて、すぐに返せない。

どう考えても幽世のしがらみに巻き込んだのは俺。
それなのに、ばあさんも彩葉も寛容すぎる。


「そうだな。この悪女め。彩葉、もう嫁になれ」
「それとこれとは話が別です」


なんだ。そういう流れじゃないのか?

ガックリきたが、焦るつもりはない。

たとえ娶れなかったとしても俺には彼女を守り続ける責任がある。
ばあさんと約束したし。


「お酒、どうぞ」
「ありがとう」


彩葉に酌をされるのも悪くない。


「あぁ、これだ。ねぎがいい仕事をしているチキン南蛮。懐かしいなぁ」
「でしょ? 何度も食べて覚えたんですよ」
「あぁ、最高にうまい」


俺が口に運ぶと、実にうれしそうな顔をして彼女も食べ始めた。


「月もしばらく見納めかなぁ」
「また来ればいいだろ」
「そっか。幽世やーめたもアリだった」
「そうはさせるか」


絶対に居心地のいい場所を作ってやる。

いや、違うか。幽世の居心地がよくなるのは、彼女のおかげかもしれない。
俺も宿の皆も。


「彩葉も飲むか?」
「こっちの世界では二十歳まで飲んではいけないんですよ。悪の道に引きずり込もうとする不良妖狐ですね」
「なんだそれ」


酔ってもいないのに今日の彩葉は饒舌だ。
白い歯を見せて、笑顔を弾けさせている。

こちらでの生活に一区切りつけて新しい生活に心を弾ませているのなら、うれしいのだが。

この笑顔を守るために、生きていかねば。


彩葉がふと月に視線を移すので、俺も同じように夜空を見上げた。

月のある夜もなかなかおつなものだ。酒が進む。

彩葉の両親を救えなかったという後悔はずっと背負っていくつもりだ。
しかしそれだけでなく、新しい未来を切り開いていこう。

彼女と一緒にいると、そんな気持ちが沸き上がってきた。
幽世で生きていくと決意したら、ふと力が抜けた。

宿の外の世界をほとんど知らないので、もしかしたら黒爛のような恐ろしいあやかしが潜んでいるかもしれない。
けれども、私には白蓮さんがいてくれる。


それに鬼童丸さんや勘介くん、そして和花さんとの生活が楽しくて笑顔でいられることが増えた。

雪那さんににらまれるのは少々理不尽だけど……。
彼女は鬼童丸さんが好きすぎるだけで、決して悪いあやかしではないことはわかっている。


私と料理を担当している和花さんは、みるみるその腕を上げていく。

しかし、あっちもこっちもという並行作業が苦手なようで、お湯が沸くのをじっと待っているだけだったりして面白い。

「彩葉は器用なんだ」と白蓮さんが盛んに言うが、きっと和花さんのこういうところを知っているからだろう。



今日の夕飯は枝豆ご飯にしてみた。
あとから豆を混ぜるのではなく一緒に炊き込むのがコツだ。


ほんの少し塩味を効かせると枝豆のうまみが引き立ち、おかずがなくても食べ過ぎてしまう。

ほかには、さば味噌、大根とさつまあげの煮物、キャベツと塩昆布の和え物などを作った。


「キャベツがうまいと思ったのは初めてです」


また皆で食卓を囲むと、鬼童丸さんが目を丸くしている。


「止まりません」


勘介くんが続くと、和花さんが「勘介は彩葉さまの料理ならなんでも止まらないじゃない」と冷静に突っ込みを入れている。


「気にいっていただけてよかったです」
「飯はまだあるのか?」


あっという間に枝豆ご飯を食べてしまった白蓮さんが尋ねてくる。


「はい。いつもより多めに炊きましたのでありますよ」


彼から空の茶碗を受け取り、おひつからおかわりをよそおうとすると、いち早くしゃもじを手にしたのは勘介くんだ。


「白蓮さまの茶碗は大きくてずるいです」
「お前は体が小さいだろ」
「勘介、食い意地を張りすぎだ」


鬼童丸さんが笑みを浮かべながら口を挟む。


「勘介くん、たくさんあるから大丈夫。それじゃあ先にあげるね」


頬にご飯粒をいっぱいつけた彼の茶碗に盛り始めると、鬼童丸さんが「あはは」と声をあげて笑いだした。


「幽世で白蓮さまをあと回しにできるのは彩葉さまくらいですね」
「まったくだ。勘介に負けるとは」


白蓮さんも呆れ声を出している。

白蓮さんは幽世では絶対君主で、彼に敵うあやかしはいないと言う。
あの黒爛ですらひとりでは太刀打ちできないのだから、相当なのだろう。

でも、神社で黒爛と戦ったとき以外は強いと感じる姿を見ていないのだから、ピンとこない。

それどころか、時々いじられることはあるものの、彼は優しいし。


「勘介くんは子供なんですから、大人は我慢してください」
「子供って、勘介は彩葉より何百歳も年上だぞ」
「あ……」


見た目が小さくて子供のようだし、行動も白蓮さんたちと比べると幼いので、完全に子ども扱いしていた。

けれども、どうやら前世の私を知っているようなので、最低でも三百歳は超えているということになる。


「まあ三百五十歳なんてまだまだ子供だが」


三百五十歳で子供って。
いろいろ衝撃だ。


「あやかしの寿命っていくつなんですか?」
「いくつなんだ?」
「さぁ?」


白蓮さん鬼童丸さんが口々に言い合う。なんて適当な世界なのだろう。
でも、気が遠くなるほど長いから気にならないのかもしれない。


「それじゃあ白蓮さんはおいくつですか?」
「俺は多分……七百は超えたと思うが、数えていないから知らん」


人間なら歳を気にするものだが、いろいろ価値観が違うと思わされる。

でも、それでは私は彼らよりずっと先に寿命が尽きるのか。
人間なら百歳生きたら長いほうだ。

なんだかそれは寂しい。
まだまだずっと先の話なのに気が滅入る。

私が黙り込んだからか、隣に座っている白蓮さんが顔を覗き込んでくる。


「どうした?」
「私、先に死んじゃうんだなと思って」
「欲が出てきたな」


頬を緩める彼は、私の頭をポンと叩く。


「欲って?」
「もっと生きていたいという欲だ」


それを聞き、ハッとした。
祖母を亡くしてしばらく無気力だったことを知られている?


「心配いらない。もし彩葉が先に逝っても、また生まれ変わるのを待っている。何度でも、何度でも」
「あまりしつこいと嫌われますよ、白蓮さま」


鬼童丸さんが茶々を入れるが、私は胸が熱くなるのを感じていた。

もしかしたら……死んでしまう側より待っているほうがずっとつらいのかもしれない。
私には前世の記憶はなく、白蓮さんに会った日からがスタートだったが、彼は違うのだから。

しかも、何度でもそのつらい期間を乗り越えてくれるなんて、ありがたい言葉だ。


「この前、現世に行ったあやかしが、そういうしつこい者をストーカーと言うと教えてくれました」
「ストーカーって……」


和花さんの発言に噴きそうになった。


「なんだ、それ」


白蓮さんが真面目な顔で首を傾げているのがまたおかしい。


「一方的に好きなことを押しつけて付きまとう人のことでしょうか。相手は好きじゃないのに……」


私が答えると白蓮さんは一瞬ギョッとした表情を見せたが、すぐに口元を緩めた。


「それじゃあ俺は違うだろ。彩葉も俺が好きだからな」
「はいっ? いつそんなこと言ったんですか?」


余裕しゃくしゃくの返事にムキになる。


「口に出してはいないが伝わってくるぞ」


ニヤッと笑う白蓮さんは、絶対に私をからかっている。


「断じて違います! もう、お替わりあげないんだから!」


どれだけ反論しても勝てそうにないと感じた私は、照れ隠しのために適当なことを口走る。


「それはないだろ、彩葉」


幽世の頂点に立つあやかしが、枝豆ご飯のことで肩を落としているのが少しおかしかった。


私たちのやり取りを見ている鬼童丸さんが、また「あははは」と盛大に笑っている。

ここにいる誰ひとりとして血のつながりはないけれど、まるで家族のようだった。