あやかし宿の幸せご飯~もふもふの旦那さまに嫁入りします~

黄金色の柔らかで温かな、そしてたまらなく心地のいいふかふかのクッションが、私を包み込む。

毛並みの整ったそれはたっぷり空気を含んでおり、優しく抱きしめられているかのようだ。

頬ずりすると整った毛並みの向きが崩れるが、すぐに元に戻る。


「彩葉(いろは)」


満たされた気持ちで顔をうずめていると、誰かが私の名を呼んでいる。
しかし、なぜか目を開けることができない。


「もう心配いらない。ゆっくりおやすみ」


そんな声とともに頭を撫でられ、私は深い眠りに落ちていった。



「おばあちゃん、おじいちゃんと会えた? お父さんとお母さんも元気かなぁ」


私、佐伯(さえき)彩葉はさびれた墓苑の古びた墓石の前でしゃがみ込んで話しかける。

四十九日前に亡くなった祖母の納骨を済ませたのだ。


祖父は私が生まれる前に他界していて、写真でしか知らない。
祖母は幼い頃に事故で亡くなった両親の代わりに私を育ててくれた。

しかし、突然の心臓発作で帰らぬ人となり、とうとうひとりになってしまった。

けれど、今日は泣くまいと決めている。
私が泣いては、祖母が祖父のところに旅立てない気がしたからだ。


「ね、お弁当持ってきたよ。肉じゃがでしょ。それと、だし巻きたまごは外せないよね。あとは、切り干し大根の煮物。まあ、全部私の好物だけど」


小料理屋を営んでいた祖母の手伝いをしながら料理を教わり、一応祖母の味に近いものは作れるようになったはずだ。

しかし、話しかけてももう祖母は答えてくれない。


祖母が大切に使っていた曲げわっぱの弁当箱の蓋を開ける。

ヒノキの白木でできているこの弁当箱は手入れが大変だが調湿効果があり、ご飯が冷めたあともおいしさを保つことができる。


「皆で仲良く食べてね。私のことは心配しないで。頑張るから」


笑顔を作りつぶやいたものの、本当は心が折れそうだった。

なんの覚悟もなくひとりになってしまい、どうしたらいいのかわからないのだ。


「また来るね」


このまま話していては涙がこぼれると立ち上がると、背後に気配がする。

お坊さん?

さっき、お経をあげてくれたお坊さんがまた来てくれたのかと思い振り向くと、そこには身長が百九十センチ近くあろうかという、とんでもなくスタイルのいい若い男性が立っていた。

白い長袖のシャツの胸元のボタンをふたつほど外し、下は黒のスラックス姿。


墓参りに来たのかな?

そう思った私は、小さく頭を下げて彼のほうに足を進めた。
そちらが出口だからだ。


「佐伯彩葉だな」
「えっ?」


しかしまったく見覚えのないその人に、低い声で名前を呼ばれて足が止まる。

誰? 店のお客さんだっけ?

瞬時に記憶をたどったが、心当たりがない。


彼と視線が合った瞬間、その目が赤く光った。

私が戸惑っていると、彼は右の口角を上げて不敵に微笑む。
すこぶる整った顔立ちなのに、狂気に満ちたようなその微笑みにゾクッと体が震える。

逃げなくちゃ。

無意識にそう感じ踵を返そうとしたが、金縛りにあったように足が動かない。

なにこれ……。

あとずさりすらできないことに気がつき、背中にツーッと冷たい汗が伝い始める。


張り詰めた空気の中、その男が一歩二歩と近づいてくるので心臓がバクバクと暴走を始めた。


「だ、誰ですか?」


なんとか声を振り絞ると、冷笑する彼は「さぁ?」とあいまいな返事をよこす。

殺される?

彼から殺気が漂い、恐怖で歯がカチカチと音を立て始めて自分では止められなくなる。


このままではまずいとわかっているのに、どうしても体が動かない。

先ほど赤い目を見てからだ。なにかされたんだ……。

それを今さら悟ったところで、現状は変わらない。


目を見るだけで動けなるなんてことが果たしてあるのかわからないが、あれこれ考えている時間はない。

とにかく逃げる方法を考えなくては。


「な、なに? 私になんの用ですか?」


私は時間稼ぎのつもりで質問をぶつける。
答えてもらえないと思ったのに、彼は口を開いた。


「お前に邪魔されては困るのだ。おとなしく逝け」


邪魔? なんの話?


「ど、どうして? 私、なにかしました?」


震える声で精いっぱいの抵抗をする。

どれだけ記憶をたどってもこの男のことを思い出せない。
大体、こんなにいい男なら普通は覚えているものでしょう?

人違いで殺されるなんてまっぴらだ。
でも私の名前をはっきり口にしたから、間違いではない?

混乱して考えがまとまらない。


「なにも覚えていないらしいな。安心しろ、ひと思いに殺してやる」


いい男の笑みに吐き気を催したのは初めてだ。

殺してやると高らかに宣言されて、安心するバカはいない。

頭が真っ白になり恐怖のあまり呼吸が浅くなってきたとき、突然突風が吹いてきて尻もちをついた。

指先ですら動かせなかった体が吹き飛んだのだ。
いや、あの赤い目の支配から解き放たれたのかもしれない。


突風はすぐに止んだが、目の前にわずかに青みがかった黒色――黒橡色(くろつるばみいろ)の着物をまとった、これまた長身の男性が私をかばうようにして立っている。


「チッ」


先ほどの目の赤い男は、彼が現れるとあからさまに顔をしかめ、舌打ちした。


「黒爛(こくらん)。彩葉に手を出すな」


どうして彼も私の名前を知っているの?


「誰がお前の言うことなんて聞くか。ここまとめて殺してやろうか?」


黒爛と呼ばれた男の声は、少し小さくなったような気もする。