彼女は、この世界に生まれた時に、誰もがキャンプベースから最初に支給される、初めてのキャンビーを抱いて現れた。
肩先まで伸びたまっすぐな黒い髪に黒い瞳、白い肌にその黒い髪と目は、とても優秀なデザイナーによって設計された、ホログラム人形のようだった。
「あなた、どうしたの? みかけない顔ね」
突然の彼女の登場に、カズコが声をかける。
「こんにちは」
カズコにそう言われた彼女は、明らかに戸惑った様子で、それでもようやく、にこりと笑った。
「どこから来たの?」
彼女の抱えるキャンビーの目が、青く光る。
「キャンプベースから来ました。名前はルーシーです。よろしくね!」
その声は、彼女の声帯から発せられるであろう音声を真似て作られたのか、初期設定の、一律なキャンビーの声とは、わずかに違っている。
「ルーシー、ルーシーっていうのね?」
彼女は何度も小さくうなずく。
カズコは立ち上がり、彼女にその手を差し出した。
彼女はすぐに、その手を握りしめる。
「キャンプベースから来たのね、分かったわ、よろしく」
カズコがそう言ってにっこりと笑うと、彼女はようやく、ほっとしたような表情になった。
「ルーシー! かわいい名前だね、スクールに来るのは今日が初めて? このクラスのチームに配属されたの? 俺はレオン、よろしくね!」
レオンはすぐに彼女の手をとると、引きずり回すようにして、このフロアの説明を始めた。
キッチンの場所、共用スペース、個人ブースの使い方……、
彼に連れられて歩く、彼女のはにかんだ微笑みと、レオンの透き通る明るい笑い声が、空気中に響く。
「アイツ、例のカプセルの中身だろ」
ニールは、ぼそりとつぶやいた。
「だろうね、カプセルは今後の研究対象として保存され、人物には人権と保護を与えると、資料の中に書いてある」
「いいじゃない別に。キャンプの人工知能が、ここを最適と判断したのであれば、私たちはそれに従うだけの話よ」
カズコはにこりともせず、俺たちにふり向いた。
「本当は、未来がどうなるかなんて、誰にも予測不可能なのよ。そんなの、当たり前だわ」
彼女が時を越えてやってきた存在なのならば、彼女というその因子が、現代にどう影響するのかなんて、シミュレーションのしようがない。
そんな過去の例など、今までにないのだから。
レオンに、やや強引に連れ回されていたルーシーが、俺たちの前に戻ってきた。
「この黒髪がヘラルドで、赤いのがニールね」
ニールが黙ったまま小さく頭を下げたので、俺も同じように挨拶をする。
ルーシーは俺の横にあった、自分と同型のキャンビーに気がついた。
「あ、あ……」
一生懸命それを指で指し、両手をバタバタさせて、声にならない声を発している。
「そうだね、同じだね」
俺は、彼女が胸の前で自分のキャンビーを抱きかかえるのと同じポーズで、俺のキャンビーを抱えた。
その姿に、彼女はにっこりと微笑む。
「言葉が話せないのね」
「私は今、言葉の勉強をしています」
ルーシーの代わりに、彼女のキャンビーが答える。
彼女はそれを、ぎゅっと抱きしめた。
「よろしくね」
差し出した俺の右手を、彼女はそっと握り返した。
在留資格を与えられた彼女は、どうやらこのスクールの中に住むことを決めたらしい。
確かに外から通ってくることを考えれば、この中で全てを済ませてしまうのは、注目を集める彼女にとって、正解なのかもしれない。
252年前のカプセルに乗ってやってきたルーシーは、現代の生活になじみがなく、時折彼女が発する言葉は、少なくとも俺には何を言っているのか、さっぱり分からなかった。
彼女の話す古語と思われる言葉は、キャンプのデータベースにも情報が残っていないらしい。
つまり、隕石衝突の前に、どこかの地方でわずかな少数民族によって使われていた、今は失われてしまった言語だということだ。
彼女に与えられたキャンビーが、彼女の発する言葉からその意味を推測し学習することによって、翻訳機としての機能を辛うじて果たしている。
どうりで彼女の情報放出まで、半年もの時間がかかったわけだ。
複雑で未学習な応答に関しては、答えられない彼女に代わって、キャンビーにあらかじめ設定された、無理のない返事が返ってくる。
「分かりません」とか、「すみません。理解出来ません」とかだ。
「ねぇ、今の時代のしくみとか、生活の話とかは、キャンプベースで習ったの?」
カズコはすっかり、そんな彼女のお姉さん役だ。
カズコの説明に、ルーシーは首を横に振る。
「そう。人類は、今3種類に分かれているのね、一番人数の多いスタンダードと、アスリート種、私みたいなリジェネレイティブね」
カズコは、にこっと小さく笑う。
「外見からじゃ、あんまり分からないわよね、種族が分かれるっていっても、元は同じホモ・サピエンスで、遺伝子の差異は有意に認められるけど、交配が不可能なほどかけ離れているわけではないわ」
カズコは、俺を見上げた。
「ヘラルドはスタンダードで、私はリジェネレイティブ、レオンはスタンダードだけど、リジェネレイティブっぽいところもあるわね。もしかしたら、半分スタンダードで、半分はリジェネレイティブかもね。ニールもそう、半分はアスリート種の血が混ざってるかも」
カズコは、くすくす笑う。
「ルーシーは、スタンダードなのよね」
彼女はうなずいた。ニールがこちらを振り返る。
「スタンダードと判定されるのは仕方ないかもしれないけど、分類としては今の時代の、進化したスタンダードと、同列にすべきではないな」
ニールは、頼み込んで彼女からもらった髪の毛から、自分で分析をかけたDNA情報を見ている。
「今の一般的なスタンダード種と、遺伝情報にも有意な違いが見られる。コイツは本当に、人類が3種に分かれる前に存在してた、太古の遺伝子を持つ古代人だ」
「そんなことを言ったって、その違いは今の私達と0.1%以下の違いよ、人の顔がそれぞれ個人で違うように、それくらいのレベルでの差異でしかないわ」
「根本が違うんだよ、顔形、髪や目の色なんてレベルの話じゃない」
レオンがルーシーに駆け寄る。
「だってさぁ、1%の遺伝子の変化に、500万年かかるんでしょー? よかったよ、ルーシーがそんなすっごい昔からタイムスリップしてきた人じゃなくって!」
レオンはすっかり、彼女を気に入ったようだ。
「そんな話はどうだっていいよ、それより、早くここの生活に慣れて、一緒にたくさんお出かけしよう、キャンプやスクールの中じゃ見られないような、外の世界を見せてあげる」
強引に手を引かれて、ルーシーが連れていかれたのは、レオンの個人ブースだった。
彼は出来上がった粘土の造形を、彼女に見せながら得意げに何かを語っている。
「あれは放っといていいのか?」
「別に彼女自身が嫌がってないんだったら、それでいいんじゃない?」
俺の言葉にも、カズコはそっけない。
「そんなことより、ヘラルドも自分の課題をこなした方がいいわよ。レオンはなんだかんだで、賢く進めてるわよ」
「なんで俺たちがあんな骨董品の相手をしなくちゃならないんだ、これだからキャンプのAIなんて、あてにならねぇんだよ」
ニールは吐き出すように言う。
「仕方ないわよ、キャンプの指定したプログラムをクリアしないことには、結局どうにもならないんだもの、私たちは、協力するより仕方ないのよ」
レオンは今度は、自分で彫った木彫りのお面をかぶり、ルーシーにおどけて見せた。
ルーシーはそんな彼に戸惑いながらも、はにかみながら打ち解けようとしている。
レオンに連れ回されるルーシーを見ながら、俺は俺自身に言い聞かせるよう、つぶやく。
「俺たちが彼女にとって、最善の選択だとAIが判断したんだ、俺たちは上手くやれるさ」
「そういうこと」
カズコの言葉に、ニールは小さく舌打ちしてから、それでも自分の課題を始めた。
肩先まで伸びたまっすぐな黒い髪に黒い瞳、白い肌にその黒い髪と目は、とても優秀なデザイナーによって設計された、ホログラム人形のようだった。
「あなた、どうしたの? みかけない顔ね」
突然の彼女の登場に、カズコが声をかける。
「こんにちは」
カズコにそう言われた彼女は、明らかに戸惑った様子で、それでもようやく、にこりと笑った。
「どこから来たの?」
彼女の抱えるキャンビーの目が、青く光る。
「キャンプベースから来ました。名前はルーシーです。よろしくね!」
その声は、彼女の声帯から発せられるであろう音声を真似て作られたのか、初期設定の、一律なキャンビーの声とは、わずかに違っている。
「ルーシー、ルーシーっていうのね?」
彼女は何度も小さくうなずく。
カズコは立ち上がり、彼女にその手を差し出した。
彼女はすぐに、その手を握りしめる。
「キャンプベースから来たのね、分かったわ、よろしく」
カズコがそう言ってにっこりと笑うと、彼女はようやく、ほっとしたような表情になった。
「ルーシー! かわいい名前だね、スクールに来るのは今日が初めて? このクラスのチームに配属されたの? 俺はレオン、よろしくね!」
レオンはすぐに彼女の手をとると、引きずり回すようにして、このフロアの説明を始めた。
キッチンの場所、共用スペース、個人ブースの使い方……、
彼に連れられて歩く、彼女のはにかんだ微笑みと、レオンの透き通る明るい笑い声が、空気中に響く。
「アイツ、例のカプセルの中身だろ」
ニールは、ぼそりとつぶやいた。
「だろうね、カプセルは今後の研究対象として保存され、人物には人権と保護を与えると、資料の中に書いてある」
「いいじゃない別に。キャンプの人工知能が、ここを最適と判断したのであれば、私たちはそれに従うだけの話よ」
カズコはにこりともせず、俺たちにふり向いた。
「本当は、未来がどうなるかなんて、誰にも予測不可能なのよ。そんなの、当たり前だわ」
彼女が時を越えてやってきた存在なのならば、彼女というその因子が、現代にどう影響するのかなんて、シミュレーションのしようがない。
そんな過去の例など、今までにないのだから。
レオンに、やや強引に連れ回されていたルーシーが、俺たちの前に戻ってきた。
「この黒髪がヘラルドで、赤いのがニールね」
ニールが黙ったまま小さく頭を下げたので、俺も同じように挨拶をする。
ルーシーは俺の横にあった、自分と同型のキャンビーに気がついた。
「あ、あ……」
一生懸命それを指で指し、両手をバタバタさせて、声にならない声を発している。
「そうだね、同じだね」
俺は、彼女が胸の前で自分のキャンビーを抱きかかえるのと同じポーズで、俺のキャンビーを抱えた。
その姿に、彼女はにっこりと微笑む。
「言葉が話せないのね」
「私は今、言葉の勉強をしています」
ルーシーの代わりに、彼女のキャンビーが答える。
彼女はそれを、ぎゅっと抱きしめた。
「よろしくね」
差し出した俺の右手を、彼女はそっと握り返した。
在留資格を与えられた彼女は、どうやらこのスクールの中に住むことを決めたらしい。
確かに外から通ってくることを考えれば、この中で全てを済ませてしまうのは、注目を集める彼女にとって、正解なのかもしれない。
252年前のカプセルに乗ってやってきたルーシーは、現代の生活になじみがなく、時折彼女が発する言葉は、少なくとも俺には何を言っているのか、さっぱり分からなかった。
彼女の話す古語と思われる言葉は、キャンプのデータベースにも情報が残っていないらしい。
つまり、隕石衝突の前に、どこかの地方でわずかな少数民族によって使われていた、今は失われてしまった言語だということだ。
彼女に与えられたキャンビーが、彼女の発する言葉からその意味を推測し学習することによって、翻訳機としての機能を辛うじて果たしている。
どうりで彼女の情報放出まで、半年もの時間がかかったわけだ。
複雑で未学習な応答に関しては、答えられない彼女に代わって、キャンビーにあらかじめ設定された、無理のない返事が返ってくる。
「分かりません」とか、「すみません。理解出来ません」とかだ。
「ねぇ、今の時代のしくみとか、生活の話とかは、キャンプベースで習ったの?」
カズコはすっかり、そんな彼女のお姉さん役だ。
カズコの説明に、ルーシーは首を横に振る。
「そう。人類は、今3種類に分かれているのね、一番人数の多いスタンダードと、アスリート種、私みたいなリジェネレイティブね」
カズコは、にこっと小さく笑う。
「外見からじゃ、あんまり分からないわよね、種族が分かれるっていっても、元は同じホモ・サピエンスで、遺伝子の差異は有意に認められるけど、交配が不可能なほどかけ離れているわけではないわ」
カズコは、俺を見上げた。
「ヘラルドはスタンダードで、私はリジェネレイティブ、レオンはスタンダードだけど、リジェネレイティブっぽいところもあるわね。もしかしたら、半分スタンダードで、半分はリジェネレイティブかもね。ニールもそう、半分はアスリート種の血が混ざってるかも」
カズコは、くすくす笑う。
「ルーシーは、スタンダードなのよね」
彼女はうなずいた。ニールがこちらを振り返る。
「スタンダードと判定されるのは仕方ないかもしれないけど、分類としては今の時代の、進化したスタンダードと、同列にすべきではないな」
ニールは、頼み込んで彼女からもらった髪の毛から、自分で分析をかけたDNA情報を見ている。
「今の一般的なスタンダード種と、遺伝情報にも有意な違いが見られる。コイツは本当に、人類が3種に分かれる前に存在してた、太古の遺伝子を持つ古代人だ」
「そんなことを言ったって、その違いは今の私達と0.1%以下の違いよ、人の顔がそれぞれ個人で違うように、それくらいのレベルでの差異でしかないわ」
「根本が違うんだよ、顔形、髪や目の色なんてレベルの話じゃない」
レオンがルーシーに駆け寄る。
「だってさぁ、1%の遺伝子の変化に、500万年かかるんでしょー? よかったよ、ルーシーがそんなすっごい昔からタイムスリップしてきた人じゃなくって!」
レオンはすっかり、彼女を気に入ったようだ。
「そんな話はどうだっていいよ、それより、早くここの生活に慣れて、一緒にたくさんお出かけしよう、キャンプやスクールの中じゃ見られないような、外の世界を見せてあげる」
強引に手を引かれて、ルーシーが連れていかれたのは、レオンの個人ブースだった。
彼は出来上がった粘土の造形を、彼女に見せながら得意げに何かを語っている。
「あれは放っといていいのか?」
「別に彼女自身が嫌がってないんだったら、それでいいんじゃない?」
俺の言葉にも、カズコはそっけない。
「そんなことより、ヘラルドも自分の課題をこなした方がいいわよ。レオンはなんだかんだで、賢く進めてるわよ」
「なんで俺たちがあんな骨董品の相手をしなくちゃならないんだ、これだからキャンプのAIなんて、あてにならねぇんだよ」
ニールは吐き出すように言う。
「仕方ないわよ、キャンプの指定したプログラムをクリアしないことには、結局どうにもならないんだもの、私たちは、協力するより仕方ないのよ」
レオンは今度は、自分で彫った木彫りのお面をかぶり、ルーシーにおどけて見せた。
ルーシーはそんな彼に戸惑いながらも、はにかみながら打ち解けようとしている。
レオンに連れ回されるルーシーを見ながら、俺は俺自身に言い聞かせるよう、つぶやく。
「俺たちが彼女にとって、最善の選択だとAIが判断したんだ、俺たちは上手くやれるさ」
「そういうこと」
カズコの言葉に、ニールは小さく舌打ちしてから、それでも自分の課題を始めた。