「これだから、人間相手の仕事はやっかいだ」

ヴォウェンは、俺の後ろに隠れたルーシーに声をかけた。

「ルーシー、戻ってこい。今戻ってくれば、こいつらもお前も、俺が何とかしてやる。この俺がそう言ってるんだ。分かるだろ?」

彼女は、俺の右腕のシャツをぎゅっと握った。泣きそうな顔で、頭を左右に振る。

「お前の名前は、ヘラルドとか言ったな、なんだこれは、法令違反ごっこか」

「違います。そんなつもりじゃなかったんです」

「じゃあなんだ」

その答えは、俺にだって分からない。

「……成り行き、かな」

「その割りには、ずいぶんと高い代償を払うことになったな」

「俺は、そうは思いません」

彼は手袋を締め直しながら、ゆっくりと近づいてくる。

このまま、距離を縮められたら、マズイ気がする。

「動くな」

後ろに下がろうとした俺を、彼は牽制する。

俺は必死で、頭を回転させ言い分けを考える。

「理由なんて、ありません。ただ、そうなっただけです。誰かが文句を言って、不満があって、それをどうにかしたくて、方法が分からなくて」

逃げようと反射的に背を向けた瞬間、俺の足がなぎ払われる。

地面に倒れこんだ背中に、ヴォウェンの片足が乗った。

「ルーシー、こっちに来なさい」

ヴォウェンの声に、彼女は固く握りしめた拳を、胸の前で振るわせている。

「ルーシー、君はとても賢くて勇敢な女の子だ。私は君のそういうところを高く買っている」

背にかかる足の重みが、ぐっと重力を増した。

「君がちゃんとカプセルに入ったら、他のみんなも入ってくれるかな?」

彼女は助けを求めるように、地面に伏せられた俺を見る。

「カプセルに入るのは、絶対にダメだ、ルーシー」

「そんな教育を、どこで受けた。お前たちに、そんな選択をする権利はない。俺もクローンだ。何度も再生をくり返している。記憶を見たければ見ればいい。人は個人の歴史からも学ぶことが出来る」

彼は一つ、息を吐いた。

「今や、オリジナルの人間といえるのは約2千人。そこから絶滅の危機を乗り越えるために、しなければならないことはなんだ。血統管理と手厚い保護。そこから生まれてくるはずの、新しい可能性を、潰さないこと」

もう一度、息を吐く。

「俺たちは、その希望であり、無限にあるはずの可能性なんだ。だから、俺たちは限りなく増殖し、再生をくり返す。新しい、この先の未来のために」

「そんなこと、ルーシーには関係ないだろ」

俺はなんとか立ち上がろうと、腕を突っ張る。

「あんたのそんな、もっともなご高説なんか、俺たちには関係ない」

ふいに背中の重みが取れたと思ったその瞬間、脇腹に激痛が走った。

痛みにうずくまる俺の体に、なんども固い靴底が打ち付ける。

口の中から血の味がして、俺はつばを吐き出した。

地面を駆けてくる足音が聞こえる。

頭上で何かが、激しくぶつかり合う音が響く。

ヴォウェンに殴りかかったジャンが、彼から返り討ちにされていた。

「ジャン!」

俺はそこから抜け出す。

「いいから、さっさと行け! どこまでいけるか知らねぇけど、どっかにはきっと行けるだろ」

ジャンの左頬に強烈な拳が入り、彼の体は、再び地面に投げ出される。

俺は、ルーシーを見上げた。

彼女の方が先に、俺の手を引く。

「ジャン!」

悲痛な叫びが、空に響く。

ヴォウェンの放った弾丸が、彼の体を貫通した。

「いいから、俺たちの分まで、いってくれ」

「止まれ、止まらないと、こいつは死ぬ」

俺は彼女を振り返る。

彼女も俺を振り返った。

走り出した俺たちを、止めるものはもうなにもなかった。

銃声が響く。

ジャンの体から拭きだした血液が、みるまに草地に赤い血だまりを作る。

追いかけようと動き出した蜘蛛を、制止したのはヴォウェンだった。

「放っておけ。追いかけたところで、どうせ止まらない」

彼は走り出した俺たちに向かって、そっとつぶやく。

「俺の判断に、間違いはあっても迷いはないからな」

彼が背を向ける。

俺たちは、走り出した。



走って走って、やがて息が切れてくる。

西に傾き始めた陽の光が、とてもまぶしい。

俺たちの目の前には、底の見えない断崖絶壁、その向こうは広大に広がる、荒れた海だ。

「ルーシー!」

「ヘラルド!」

迷いなんて、何一つない。

俺はそこに飛び込んだ。

彼女も同時に飛び上がる。

俺は笑っていて、彼女も笑っていた。



新しい物語が、はじまった。

【完】