翌日、チームの部屋に入ると、ニールが一人で作業をしていた。

誰かが来る前に、一番に来ようと思っていたのに。

ニールはあれからずっと、ミラープログラムのチェックを続けていたのだろうか。

ここには泊まろうと思えば、泊まれるだけの設備はある。

俺はそんな彼を横目に見ながら、結局なんの声もかけずに、自分の席についた。

やがてレオンやカズコもやって来て、いつも通りの朝が始まる。

俺の背中で、レオンの軽やかな笑い声が転げていた。

扉が開いて、ルーシーも現れる。

彼女は一番に、ニールのところへ向かった。

「お、お……、おは、おはよう!」

呆れた顔で見上げるニールに、彼女はにこっと微笑む。

彼の反応を待たずして、彼女はレオンの所へ向かった。

「おはよう!」

「おはよう」

レオンはそんな彼女に、にこやかに返事を返す。

俺のところにも来た。

「おはよう!」

「おはよう」

俺は、いつもの調子を出せるように、慎重に返事を返す。

落ち着いた、抑揚のない、普段通りの、平常な挨拶の仕方だ。

ニールはそれを見て、チッと舌をならして背を向けた。

彼女は気にせず、カズコのところに向かう。

二人は穏やかに挨拶を交わして、カズコはいつものように、今日一日の予定をルーシーに説明し始めた。

空気が、いつもより重たく感じた。

ニールがどうでもいいことでキレるのは、いつものことだし、レオンの楽天家は天性のものだ。

たかがクラッシュボールの勝ち負け程度で、俺はなにをこんなにも、こだわっているんだろう。

ニールの、コーヒーをすする音が聞こえる。

奴はきっと、自分のプログラムに不備があったと認め、誤作動の原因を探しているのだろう。

素直にそう認めればいいのに、俺はそんなことで怒ったり腹を立てたりしないって、そんな当たり前のことも、まだ分からないんだろうか。

俺は立ち上がった。

ダメだ、今日はもう、ここにずっといられる気分じゃない。

昨日のことを、まだ気にしているのは俺だけだって、分かっている。

だからこそ、俺が出て行くんだ。

立ち上がり、部屋を去ろうとした俺に、ニールが言った。

「お前のキャンビー、一瞬だけ貸して」

俺は黙って、ニールにキャンビーを投げる。

彼はそのコピーをとる。

「他のところは見ないから」

俺は自分のキャンビーをその場に残して、部屋を出た。

スクールには、実に様々なタイプの人間が在籍している。

アスリート、リジェネレイティブ、スタンダード、性別、年齢、人種を問わず、未成人とされる人間を集めて、成人と呼ばれるにふさわしい人間になることが、ここの目的だ。

俺たちはずっと、産まれた時からここにいる。

早く抜け出してしまいたい気持ちと、成人すればなにが待っているのか、不安な気持ちとが入り交じる。

俺たちは成人したら、キャンプベースの役員になるのか、それとも、この島の住人たちのように、何も考えずただ素直に生き、人生を謳歌していればいいのか、その選択肢は自由だった。

何となく歩いて、スクールの出入り口まで来ていた。

俺はこのまま自宅と呼ばれる場所に帰りたいのか、それともどこかに行きたいのか、それすら分からない。

だけど、ここままここに留まりたくない気持ちの方が勝って、結局外に出た。

ゆっくりと歩き出す。

チームの仲間、スクールの人間とは、ほぼ全員が幼なじみで、ずっと同じ地域でずっと同じ環境でずっと一緒に過ごしている。

俺がこうやって一人でイラついて、すぐ外に飛び出すのも、彼らにしたらいつものことだ。

俺がこの先どこに向かおうとしているのかも、ある程度パターン化されていて、それすらも周知の事実なのが、よけいに腹が立つ。

どこにも逃げられない。

だけど、誰もが分かってくれる。

ここは、そんなところだった。

俺は、いつもの川岸にたどり着いた。

この辺りは、全くの手つかずの自然がそのまま残っている。

残っていると言うよりは、手のつけようがなくて、放置された場所だ。

かつてこのあたりは、標高の高い山岳部だった。

そこが海面の上昇によって土地が狭まり、島のようになってしまった。

山と山の稜線の間、谷底を大きな川が流れている。

くり返される暴風雨の影響で、背の高い木は一本も成育出来ない、草地が広がる原野に、巨大な排水溝としての、川だ。

嵐によって溢れ出た水は、すべてここに集められ海へと流される。

ハイテク環境で守られた街も、一歩外に出れば、全てがこんな風景だった。

結局人間は、圧倒的な力を持つ自然の一部として、その運命から逃れることは出来ないのかもしれない。

機械の街と荒れ果てた土地、俺たちは、どこまでいってもこの荒れた側の一部でしかないんだ。

「立ち入り禁止区域です。すぐに退去して下さい」

監視ロボが俺を見つけて、つきまとう。

「ここは、大災害に巻き込まれるおそれがあるため、立ち入り禁止区域に指定されています。すぐに退去してください」

カメラで、俺の姿形をスキャンしている。

顔も撮影したから、間もなく生体認証で身元が割れる。

キャンビーを連れていないから、少し時間がかかっているのだろう。

避難用の小型車両が、がたがたと坂道を登ってきた。

俺の目の前で止まると、扉が開く。

どこに行っても、どこまで行っても、いつまでも何かがついて回るのは、生きている限り仕方がないのかもしれないな。

この車に乗ってスクールに戻されるまでが、俺に与えられた一人でいられる唯一の時間になる。

中に乗り込んだら、すぐにモニター画面が光った。

「ルーシーが心配してるわよ」

カズコからのそっけないメッセージに、俺はつい笑ってしまう。

このまま帰れば、いつものように皆が俺に気を使って、レオンが無邪気に話しかけて来て、しぶしぶ俺がその相手をして、それで何となくまた皆と話すようになって、お終いだ。

そんなもんだと分かっているし、それしか解決策がないものなんだろうと、自分では思っている。

何かを変えるには、大きなパワーが必要だ。

車窓の風景が、荒涼とした原野から、統一された規格でデザインされた街並みに変わっていく。

この小さな世界の中で、俺はどうやって生きていくのだろう。

車はようやく、舗装された道路に乗っかったようだ。

滑らかにスピードを上げて走り出す。

スクールに戻ったら、ニールと話し合おう。

対立するんじゃない、もっと前向きに、ちゃんと話し合えば、俺たちはわかり合えるはずだ。

今までもずっとそうしてきた。

これからも、それは可能なんだ。

スクールに戻った俺は、まっすぐにチームの部屋へ向かった。

部屋に戻ると、ルーシーが搭乗していた機体と、壊れたニールの機体とが、運び込まれていた。

ニールは一心不乱に、パソコン画面にかじりついている。

「ただいま」

物々しい部屋の雰囲気に、俺はカズコに声をかけた。

「どうしたんだ?」

カズコは腕と足を組み、イライラしながらニールを見ている。

「思うように、ならないんですって」

いつもなら、こういう場面で機嫌を取りに行くレオンですら、背を向けて見て見ぬふりだ。

「ニール」

彼の所へ、一歩踏み出した時だった。

強い警告音が流れる。

「くっそ、なんだよこれ!」

彼は立ち上がると、ふいに自分の座っていた椅子を持ちあげた。

「どうした?」

「管理システムに、俺のアカウントがロックされた!」

それを、自分のパソコンに向かって思いっきり投げつける。

 ガシャン!

大きな音がして、警告音がさらにボルテージをあげた。

「ニール、何をやってる! そんなことをしたって、意味ないだろ!」

俺は駆け寄り、その肩に手を置いた。

その瞬間、ニールの拳が、左頬を強打する。

カズコの悲鳴があがり、レオンが俺とニールの間に立ちふさがった。

「やめろって!」

ニールは、そんなレオンを押しのける。

転がった椅子を持ちあげ、何度もパソコン本体に打ち付けた。

「何をやってんだ!」

「俺の、俺のデータが消去されてる! 今ここで止めないと、全データ削除だ!」

砕けたモニター画面の破片が、周囲に飛び散る。

「後でメモリーをとりだして復旧させれば、何とかなるかもしれない!」

「そのデータ復旧のためにパソコンに繋いだら、そこでまた削除されるんじゃないのか?」

「なんでキャンプベースの管理システムが、俺のアカウント削除だなんて措置を……」

ぐにゃりと曲がった椅子が、俺の脇腹に投げつけられた。

「ニール!」

止めに入ったレオンを殴りつけ、足で蹴り暴行を加える。

無抵抗なレオンは、ぐったりとしてその場に倒れた。

「やめろ! リジェネだからって、レオンは殴っていい相手じゃない!」

俺がニールの背中を引くと、彼の暴走した感情が、再び俺に向けられた。

腹を強打され、意識が遠のく。

警報を聞きつけた警備ロボが、部屋に駆けつけた。

「ニール、中央管理システムへの不正アクセス回数、警告累積にて、スクール内規23条の5によって、反省を求める」

機械から発せられる、機械的な音声が部屋に響いた。

数体の警備ロボが、俺たち3人を取り囲む。

一体のロボットカメラが、現在の状況をデータ解析する。

「『暴行現場』を確認しました。当事者全員の確保を行います」