今から252年前、人類は、それぞれが小さなカプセルに入り、海に浮かぶことで難を逃れた。

荒れ狂う波にもまれながらも、小型の丸いそのカプセルは、実に多くの人々の命を救った。

ディープインパクト。

巨大隕石の衝突に際し、人々はその中で2年の生存が可能な『ノアの箱舟』を量産し、生き延びることに成功した。

そこから再び地上に集結した人々は、残された大地に新たな世界を築き上げた。



3日間続いた激しい暴風雨もようやく過ぎ去り、避難命令が解除された。

枕元で飛び跳ねる球状の小型パーソナルロボット、キャンビーに起こされて、俺はベッドから立ち上がる。

産まれたらすぐに支給される、この初めてのキャンビーを、俺は機種変更することなくずっと使い続けている。

久しぶりに、よく晴れた日の朝だ。

「おはようヘラルド、学校へ行く時間だよ」

もぞもぞと起き上がって、服を着替える。

「車を手配しようか? それとも歩いて行く?」

「せっかくだから、今日は歩いて行くよ」

厚い雲の流れる切れ間から、差し込む朝日がまぶしい。

外に出ると、俺は目の前にあった屋外のジューススタンドに手を伸ばした。

いくつか並んでいるその中から、お気に入りの赤っぽい色のジュースを口にする。

俺好みに少しずつカスタマイズされていったこの赤い飲み物は、体調や気温変化にも対応して、毎日微妙な変化をつけてくれる。

栄養もカロリーも計算済み。

何で出来ているかは知らないが、これなしでは、一日が始まらない。

あれだけの嵐の後でも、街はすっかりきれいに片付けられていた。

当たり前だ。

災害に備えた街作り、どこもかしこも全て、白く均一なパーツで統一され、取り替作業も簡単、強度も十分、暴風雨による抵抗を極力なくしたデザインの、安全設計の街だ。

復旧も楽だし、そもそも簡単に雨風で壊されるような作りではない。

道にはスピードの違う動く歩道が設置されていて、俺はゆっくりと流れる方の歩道に足を乗せた。

今日は少し出る時間が遅くなったせいか、珍しく路上に人の姿が見える。

いつもなら、スクールに着くまで、自分以外の人間の姿を目にすることはめったにない。

252年前の自然災害による人類滅亡の危機を乗り越えた人類も、その後の地球環境の変化に対応しきれず、徐々に数を減らしていた。

手にしていたカップを飲み終えて脇に放り投げると、すぐに清掃ロボットが現れて、それを片付ける。

白を基調として統一された街は、とても静かで穏やかだった。

均等に植えられた街路樹は、定期的に管理され、ほぼ全ての木が同じ形にカットされている。

「キャンビー、あの枝のツバメはどうなった?」

「識別番号48379B248-637、無事に巣を作り終えて、今は卵を温めています」

「そっか、よかった」

俺の目のちょうどいい高さに浮かんだキャンビーの画面に、街の定点カメラから転送されたツバメの映像が映し出される。

ズームアップされたその画像には、たしかに親鳥の腹の下から、白に茶色いまだらの、卵の一部が見え隠れしている。

背後から、改造ハンドリングロボの近づく音が聞こえた。

故意に空気を振動させ、本来なら出ないはずの爆音をかき立てている。

地上から15㎝ほど浮かんだバイク型の、それにまたがっていたのは、同じチームのレオンだった。

「またそんな派手な改造ロボに乗って、保安ロボに捕まるよ。この間も、捕まったばかりじゃないか」

「平気だって、お前も乗っていくか?」

彼はバイクの後ろを、親指で指した。

白い肌、短いくせっ毛の金色の髪に、緑の目がよく似合う。

「いい、俺は歩いて行くよ。お前と一緒に乗ってたら、どうせルール違反で捕まるだろうからな」

「その前に、スクールに入っちまえばいいんだろ?」

彼はワザとエンジン音を吹かす。

それを無視して、俺は歩き出した。

「じゃあな、先行ってるぞ」

あっさりしすぎる性格で、こだわりの少ないレオンは走り去ってゆく。

どんなチートツールを使って、支給されたハンドリングロボを改造したところで、定点カメラの映像から逃れることなんて、出来ないのにな。

どうしてそんなことも分からないんだろうかと、いつも思う。

後先を全く考えないところが、よくも悪くも、レオンの性格のクセだ。

俺たちの仲間で、スクールのリーダー的存在であるジャンたちのグループが開発したプログラム。

バイクタイプ使用時のハンドリングロボに規定された、モーター回転数の上限値を勝手に変更して、使用している。

もちろんルール違反だ。

だけど結局は公道を走ることで、ロボットの自動運転補助システムを利用している以上、見つからないと思っている連中の方が不思議だ。

俺は動く歩道を、低速帯から高速帯に乗り換えた。

案の定、少し進んだ先の四つ角停止ラインで、速度超過により自動停止させられたハンドリングロボは、保安ロボによって取り囲まれていた。

「おい、ヘラルド! ちょっと助けろって!」

「イヤだね」

『人間に危害を加えてはならない』

その絶対条件の下で、今や人間の数より街にはびこるロボットたちは、ルールを犯したレオンを相手に、強化プラスチックの透明な防護壁を張り巡らせている。

「お前だって、颯爽と街を駆け抜けたい気分の時があるだろ?」

「ないね」

俺はワザとらしく、大げさなジェスチャーで、首を横に振る。

「それをしたかったら、専用のサーキットに行くか、バーチャルゲームで体験すればいい。車やハンドリングロボなんて、実際の目的地に体を運んでくれさえすりゃ、それでいいんだよ」

レオンがあの鉄壁の包囲網を解こうと思ったら、個人識別番号表に、違反内容を書き込むことに同意しなければならない。

遅刻や違反内容は、すでに保安ロボによって、スクールの個人管理システムに送信済みだ。

「じゃあな、ジャンに何か言われたら、報告しておくよ。さっさとあきらめて、書き込みに同意しないと、無駄に時間を消費するだけだぞ」

「おい、ちょっと待ってって!」

俺は高速歩道帯の上で、足を速めた。