ノートを読み進めて、零れ落ちて散らばっている記憶を拾い集める。 これが、いまの毎朝の日課だ。
僕は、事故以前の2年間の記憶がまばらで——事故以後の記憶の保持も、上手にできない。 状態は日によって違う。 酷い時は、1日で記憶が消える。
僕が覚えられない記憶は、自分が体験してきた出来事、見てきたもの、思い出そのもの。 忘れてしまったら、忘れてしまったことすら、忘れてしまう。 忘れてしまったことを思い出せるかは、自分自身でもよく分からない。
ノートに書かれていることは、僕が思い出せる事故以前の記憶と、事故以後の生活の記録だ。 書かれていることを読んでも、こんなこともあったなと思えることと、本当に僕が書いたのだろうかと疑問に思うほど忘れてしまっていることがある。 確かに僕の書く文字ではあるけれど、その出来事と僕がこれを書いたこと自体が、記憶にない。
何度読んでも思い出せないものは、思い出せないのだ。 だけど、でも、と思って、もう一期読み返す。 ただ、不安に駆られる。
胸の中がざわざわと音を立てるようで、思わず胸に手を当てた。
確かに思い出せることは、事故以前の、大体高校を卒業するまでの出来事。
僕は4歳のときに両親を事故で亡くして、それから父方の祖父に引き取られた。 祖父は、住まいを僕と両親が暮らしていたアパートに越してきて一緒に暮らしてくれた。 その祖父は、僕が高校を卒業した年の秋に脳梗塞で倒れてそのまま亡くなった。
机に置かれた卓上時計に表示された日付を見て、祖父が亡くなってから5年が経つのだと理解する。
そして、僕が事故に遭ってから2年。 僕がこの町に来て、1年。
その時、再びアラームが鳴った。 ベッドに戻って、スマートフォンを充電器から引き抜いてアラームを止める。 時刻は10:00。
平日なら、この時間から仕事を始めるが、今日は日曜日。 記憶障害者になってから在宅でデータ入力の仕事を始めた。
決まった時間に起きて、ノートを読んで、決まった時間になったら決まった仕事を初めて、決まった時間に仕事を終えて、ノートを書いて、決まった時間に眠る。
生活をルーティン化して、仕事内容も決まったもので必ず指示付のメールで送られてくるものなら、今の僕でも一人でできる。 はず。