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 なぜ自分が病院にいたのか、私は覚えていない。
 目を覚ますとそばにはなぜか水泳部の佐島がいて、窓の外には水色の澄んだ空が広がっていた。畝のような、白い層積雲。それでどうやら、冬のようだと思った。

 窓の桟に、蝶々がとまっている。しばらく私と目を合わせて、ゆっくりと冬の空に向かって、風と共に昇っていった。
 見えなくなってから、こんな季節に蝶なんかいるわけがないと思った。じゃあ今私が見たものは、なんだったのだろう。

 身を起こそうとすると、体の節々が痛んだ。ベッドの振動が伝わったのか、佐島が動く気配がした。起こしてしまったようだ。

 彼はのろのろと顔を起こし、しばらくぼんやりと私の顔を見ていた。
 やがて何度か瞬きした後、その目がゆっくりと、大きく見開かれた。
 みるみる涙が溜まったかと思うと、大きな筋になって頬をつたった。

 佐島が泣くのを初めて見た私は、声を発することもできずにその涙は見つめていた。こんなにも、感情を露わにする佐島を見ること自体が初めてだった。
 なぜ佐島が泣くのか、私にはわからなかった。私と佐島の関係は、思い出し得る限りとても淡泊で、希薄だったはずなのに。

「……おかえり、和佳」

 やがてそれだけ言って淡く笑った佐島の顔には、嬉しさと、寂しさが、半々で混在しているように見えた。
 目が覚めた日に見たせいか、その顔は妙に強く、瞼の裏に焼きついている。

 それから佐島は少しだけ、私が眠っていた間のことを話してくれた。
 私の記憶は、自分がトラックに轢かれる瞬間で途切れている。その事故が原因でずっと眠っていたのかと思いきや、私が寝たきりになったのはその数ヶ月後のことらしい。

 記憶にない夏から秋にかけての数ヶ月間、森宮和佳という人間は確かに学校に通い、文化祭に出て、それから十一月の三連休に佐島と沖縄へ出かけたそうだ。
 学校関係はいいとして、沖縄は意味不明だった。いったい、なんのために?

「覚えてないなら、いいんだ」
 佐島はそれだけ言って、あまり詳しいことを教えてくれなかった。ただ、「蝶を見にいったんだ」とだけ。

 与那国島で、日本最西端の崖から海に落ちた私は意識を失い、長いこと目を覚まさなかった。東京の病院に運ばれ、数ヶ月こんこんと眠り続けた。
 そして一月、新春の訪れとともに目を覚ました――看護婦さんに聞いた話だと、そういうことらしかった。

 よく、わからなかった。