「祖母の兄だ」
と佐島に紹介された裕作さんは、つまり清水さんの兄ということになる。
日に焼けた肌、季節外れのポロシャツ(沖縄とはいえ最低気温は二十度ちょっとなので、少し寒い気がする)、針金のようにとがった真っ白な髭と短髪……恐ろしく似ていない。
「ここに住んでいるんですか?」
「まさか。この時期だけだよ。車もレンタカーだしなァ」
がっはっは、と危なっかしい運転で最西端の島をかっ飛ばしていく裕作さん。一年の半分は蝶々のお尻を追っかけて全国各地飛び回っているという、パワフルなご老体である。
「裕一が友だち連れてくるっていうんでてっきり男の子かと思ったら、まさか女の子とはなァ」
とにかくよくしゃべる。齢八十近いというが、その実年齢が嘘のようにアクティブ、若々しいエネルギーたるや、現役高校生の私から見ても関心を通り越して呆れてしまうほどだ。
「しかも裕子と知り合いだって? 最期に話し相手になってくれたって。ありがとなァ。あいつすぐ変なこと言うから、親族の間でも不気味がられててよ、なんか変なこと言われただろ」
「いえ、そんな……」
まあ、言われた。言われたと思うけれど、私に言わせればこの運転の荒いおじさんの方がよっぽど変だ。
裕作さんに連れられて西へ十分ほど、私たちは久部良と呼ばれる島の西岸へたどり着いた。裕作さんが泊っているという民宿に私たちも部屋を取ってもらっていて、今日はそこに寝泊まりすることになった。
宿のおかみさんは気のいいひとで、夕飯に出された沖縄料理はどれも美味しかった。
与那国島は、カジキ漁が盛んらしい。十一月の今はちょうど旬らしく、刺身がとてもおいしい。あとは車エビや、チャンプルーなどの島料理も絶品だった。
もともとやかましい裕作さんはアルコールが入ってもやかましく、他にも裕作さんが「蝶仲間」と呼ぶおじさんたちも混じって、佐島にめんどくさそうな絡み方をしていた。
佐島にとって、裕作さんは本当の親族ではないはずだけれど、裕作さんに対しては特別な感情を抱いているように見えた。
この場所には前にも来たことがあるらしい。クラスではあまり見たことのない佐島の困った顔は、見ていて少しおもしろかった。
早々にお腹がいっぱいになって、私は一人、外へ出た。
さすがにもう真っ暗だ。電気が少ないせいか、闇の濃さが東京とは違う。
空に異様な数の星が瞬いている。こんなにもくっきりと見える天の川を、初めて見た。月の光が、島全土に万遍なく注いでいる。
澄んだ空気は呼吸をするまでもなく、肌から体の芯へと染みていくようだ。
宿の方からはにぎやかな喧噪が聞こえる。
でも、とても静かだと思う。
少し歩くと、日本最西端を記した石碑があるらしい。ここからだと、本州よりも台湾の方が近く、天気によってはその陸地が見えるという。
文字通り、最果ての孤島。
なんだか、ひどく自由な島だと思った。
窮屈さがない。物が少ないせいかもしれない。人が少ないせいかもしれない。
日本の最西端というだけあって、自衛隊の駐屯地があるらしいし、昼間の光景を見たらまた印象は変わるかもしれないけれど、少なくとも今、この場所はとても緩やかだ。
「いい場所だろう」
振り向くと佐島が立っていた。
服にしわが寄っていて、微妙に格闘の跡が見られる。裕作さんは潰れてしまったのだろうか。
「うん」
私はただうなずいた。
いい場所だ。
東京にだって、たくさんいい場所はあるけれど。でも、こんな場所はない。こんなにも静かで、穏やかで、心が静まる場所は、きっとない。
叶うのならば、和佳や秀と一緒に来たかった。由佳ちゃんや父と来たかった。なにより、家族と一緒に来たかった。
こんな偽りの姿で、悲しい目的のために、来たくはなかった。
「明日は早い。早く寝た方がいい」
佐島の声は淡々としている。その声音に感情らしきものを見いだすのは、いつだって難しい。
「……ねえ」
私はぽつりと訊いた。
「なんだ?」
「もし見つからなかったら、どうするの?」
体の真ん中が引っ張られるような感覚は、今も確かにあるけれど、私はそれに気づかないふりをする。
「見つかるさ」
「もしだよ。もし、私が佐島と同じように……」
先の言葉は見つけられなかった。佐島は私の方を見る。
宿の明りに照らされて、その不思議な色合いの目がきらきらと光って見えた。与那国の星空と、少し似ていた。
「選ぶのはおまえだ。その選択に、俺がどうこう言うつもりはない」
私は目を剥いた。
「なにそれ。ここまで連れてきておいて……」
「後悔しないでほしいだけだ。かつての俺が、」
「ユウイチィ!」
裕作さんの声だった。
佐島が苦笑いを浮かべて、宿の方を振り向いた。
「戻った方がよさそうだ」
私はため息をこぼして、空を見上げる。
満点の星空。もう少し、目に焼きつけておくのも悪くないか。
「……いいよ、先に戻ってて。私もすぐ戻る」
と佐島に紹介された裕作さんは、つまり清水さんの兄ということになる。
日に焼けた肌、季節外れのポロシャツ(沖縄とはいえ最低気温は二十度ちょっとなので、少し寒い気がする)、針金のようにとがった真っ白な髭と短髪……恐ろしく似ていない。
「ここに住んでいるんですか?」
「まさか。この時期だけだよ。車もレンタカーだしなァ」
がっはっは、と危なっかしい運転で最西端の島をかっ飛ばしていく裕作さん。一年の半分は蝶々のお尻を追っかけて全国各地飛び回っているという、パワフルなご老体である。
「裕一が友だち連れてくるっていうんでてっきり男の子かと思ったら、まさか女の子とはなァ」
とにかくよくしゃべる。齢八十近いというが、その実年齢が嘘のようにアクティブ、若々しいエネルギーたるや、現役高校生の私から見ても関心を通り越して呆れてしまうほどだ。
「しかも裕子と知り合いだって? 最期に話し相手になってくれたって。ありがとなァ。あいつすぐ変なこと言うから、親族の間でも不気味がられててよ、なんか変なこと言われただろ」
「いえ、そんな……」
まあ、言われた。言われたと思うけれど、私に言わせればこの運転の荒いおじさんの方がよっぽど変だ。
裕作さんに連れられて西へ十分ほど、私たちは久部良と呼ばれる島の西岸へたどり着いた。裕作さんが泊っているという民宿に私たちも部屋を取ってもらっていて、今日はそこに寝泊まりすることになった。
宿のおかみさんは気のいいひとで、夕飯に出された沖縄料理はどれも美味しかった。
与那国島は、カジキ漁が盛んらしい。十一月の今はちょうど旬らしく、刺身がとてもおいしい。あとは車エビや、チャンプルーなどの島料理も絶品だった。
もともとやかましい裕作さんはアルコールが入ってもやかましく、他にも裕作さんが「蝶仲間」と呼ぶおじさんたちも混じって、佐島にめんどくさそうな絡み方をしていた。
佐島にとって、裕作さんは本当の親族ではないはずだけれど、裕作さんに対しては特別な感情を抱いているように見えた。
この場所には前にも来たことがあるらしい。クラスではあまり見たことのない佐島の困った顔は、見ていて少しおもしろかった。
早々にお腹がいっぱいになって、私は一人、外へ出た。
さすがにもう真っ暗だ。電気が少ないせいか、闇の濃さが東京とは違う。
空に異様な数の星が瞬いている。こんなにもくっきりと見える天の川を、初めて見た。月の光が、島全土に万遍なく注いでいる。
澄んだ空気は呼吸をするまでもなく、肌から体の芯へと染みていくようだ。
宿の方からはにぎやかな喧噪が聞こえる。
でも、とても静かだと思う。
少し歩くと、日本最西端を記した石碑があるらしい。ここからだと、本州よりも台湾の方が近く、天気によってはその陸地が見えるという。
文字通り、最果ての孤島。
なんだか、ひどく自由な島だと思った。
窮屈さがない。物が少ないせいかもしれない。人が少ないせいかもしれない。
日本の最西端というだけあって、自衛隊の駐屯地があるらしいし、昼間の光景を見たらまた印象は変わるかもしれないけれど、少なくとも今、この場所はとても緩やかだ。
「いい場所だろう」
振り向くと佐島が立っていた。
服にしわが寄っていて、微妙に格闘の跡が見られる。裕作さんは潰れてしまったのだろうか。
「うん」
私はただうなずいた。
いい場所だ。
東京にだって、たくさんいい場所はあるけれど。でも、こんな場所はない。こんなにも静かで、穏やかで、心が静まる場所は、きっとない。
叶うのならば、和佳や秀と一緒に来たかった。由佳ちゃんや父と来たかった。なにより、家族と一緒に来たかった。
こんな偽りの姿で、悲しい目的のために、来たくはなかった。
「明日は早い。早く寝た方がいい」
佐島の声は淡々としている。その声音に感情らしきものを見いだすのは、いつだって難しい。
「……ねえ」
私はぽつりと訊いた。
「なんだ?」
「もし見つからなかったら、どうするの?」
体の真ん中が引っ張られるような感覚は、今も確かにあるけれど、私はそれに気づかないふりをする。
「見つかるさ」
「もしだよ。もし、私が佐島と同じように……」
先の言葉は見つけられなかった。佐島は私の方を見る。
宿の明りに照らされて、その不思議な色合いの目がきらきらと光って見えた。与那国の星空と、少し似ていた。
「選ぶのはおまえだ。その選択に、俺がどうこう言うつもりはない」
私は目を剥いた。
「なにそれ。ここまで連れてきておいて……」
「後悔しないでほしいだけだ。かつての俺が、」
「ユウイチィ!」
裕作さんの声だった。
佐島が苦笑いを浮かべて、宿の方を振り向いた。
「戻った方がよさそうだ」
私はため息をこぼして、空を見上げる。
満点の星空。もう少し、目に焼きつけておくのも悪くないか。
「……いいよ、先に戻ってて。私もすぐ戻る」