翌朝は五時に起きた。というより、目が覚めた。そもそも、あまり眠れなかったのかもしれない。
 あくびを噛み殺して、昨日のうちに用意しておいた服に着替え、リュックサックを背負って抜き足差し足部屋を出る。

 休日の早朝だ。二人しかいない家族に出くわすこともないだろうと高を括っていたら、リビングに人影があって心臓が止まると思った。

 お父さんだった。母親の仏壇に手を合わせるその背中は、まっすぐ、綺麗に伸びている。いつも猫背気味の背中が、こんなにもピンと綺麗に伸びているのを、初めて見たかもしれない。

「どこか行くのか?」
 と、その背中が問うた。どんなに足音を殺しても、リビングのドアを開ける音は聞こえたのだろう。

「うん。友だちと旅行」
 やっとのことでそう答える。

 父親の早起きの理由は、訊き返すまでもない。スーツに身を包み、脇にはいつものくたびれた鞄が置いてある。今日もこの人は、和佳や由佳ちゃんのために、自らをすり減らして働いてくるのだろう。

「そうか」
 お父さんが振り返った。

 不思議な顔だと思った。
 いつも通りの、疲ればかりが目立つ能面のように見えたけれど、私は初めて、その目に感情のようなものを見つけた。それは見間違いでなければ、憂いだとも思った。
 心配されている、そう感じた。

「なら、母さんにちゃんと行ってきますを言いなさい」

 お父さんは言って、横に少しずれた。隣に座れということだろう。
 逡巡したが、断ることはできなかった。私はすでに、和佳の母の墓にお参りしているのだ。今さら仏壇から逃げても、何も誤魔化せはしない。

 私は父の隣に膝を突き、仏壇に手を合わせる。

 ごめんなさい。私は和佳ではありません。
 でもこの体は確かに和佳のものです。だからこの旅が終わるまで、この体を守ってください。お願いします。

「行ってきます」
 お父さんが小さく言ったので、私も「行ってきます」と復唱した。
 鞄を持ち、お父さんは無言でリビングを出ていく。私も無言でその背中を見送る。

 私が伊織だった頃、めんどくさがって父親にいちいち挨拶なんかしていなかった。今さらのように、そのことを後悔した。
 和佳とは少し違う後悔だ。

「行ってらっしゃい」
 とっさに口からこぼれた声は、靴を履くあの人の丸まった背中に、ぽんとぶつかった。

「行ってきます」

 父と娘の短いやりとりは、3LDKの部屋に妙に優しく響く。