「俺が過去を変えたら、榊が事故に遭うのか?」

「そうよ。時間は戻った。後はあなたの選択次第」

「そんな……なんでよりによって榊なんだよ! 卑怯だぞ!」

「バスケットボールができる体に戻りたいんじゃなかったの?」

 気合いの入った演技をしているのは、クラスが違っても名前くらいは知っている、イケメンと名高い飯塚くんだ。

 背が高くて、少し明るい茶髪に甘いマスク。普段はきっとよく笑って、その笑顔で人を惹きつけているのだろう。それが今は鬼気迫った表情で、車椅子の少年を演じている。

 なるほど、こりゃ秀が主役は無理だな、と私は内心苦笑いした。秀も人好きするし、似たタイプだとは思うけれど、あんなに華やかなじゃない。彼は生まれながらのスターだ。バレー部だっけな、確か。

 その、スターになり損ねた男はどうやら先ほどから大忙しだ。クライマックスの魔法シーンの演出、見えないけれど、照明が回っているので働いているのだろう。

「早くしないと、魔法が切れるわ」

「俺は……俺はそれでも……」

「あなたが選ばないと言うなら、私が選んでもいいのよ」

 魔法使いの猫役は小柄な少女が演じている。こっちは名前は知らないけれど、演技は上手い。ひょっとして演劇部だろうか。

 地味そうな内容故か、開演当初はどことなく上の空だった観客も、今やみんな息を詰めるようにして舞台に見入っている。脚本もさながら、演出もしっかりしている。文化祭のクラス劇としては、確かにかなりの気合いの入りようだ。

 主人公の林弥は、他人を犠牲にするかもしれないと知ってなお、一度は自分の事故の過去を変えたいと猫に望む。

 しかし、いざ時間を巻き戻してみると、犠牲になると知らされたのは、自分と同じチームでバスケットをずっと一緒にプレーしてきた、よき仲間でありライバルの榊だった。

 林弥は先だって榊と喧嘩をしており、チームは不協和音を奏でている。そんな折の林弥の事故はチームにさらに暗い影を落としており、チームは危機的状況にあった。

 自分がチームに戻れれば立て直せる……しかし、それは榊あってのことだと気づき、林弥は自分にとって榊がどれだけ大切な存在なのかに気づく。

 猫の申し出を断り、林弥は過去を変えることなく現在へと戻る。そして、車椅子で部活へ顔を出し、自分にできる形でこれからもチームを支えてきたいと榊に告げる――。


 劇が終わってから、しばらく教室の前で待っていたら、秀がクラスTシャツに汗を滲ませてやってきた。

「あっづ!」

 わかりやすい第一声に私は苦笑いする。照明器具は熱を発するので、きっと他の人より暑いのだろう。たこ焼き器の前に立つのといい勝負かもしれない。

「かっこよかったよ」

 とりあえずそうねぎらってみると、秀は思いのほか顔をほころばせた。

「飯塚くん」
 と、いたずら心で付け加えるとがっくりとうなだれる。

「そっちかい」

「照明なんか誰も見てないって」

「まあ怜央はかっこいいよ。あいつは反則だよ。勝てねえよ」

 秀にも嫉妬はあるらしい。でもたぶん、秀は飯塚くんとも仲が良いんだろうと思う。気が合いそうだ。二人が悪ふざけしながらもクラスを引っ張っていく姿は、容易に想像できる。

 私たちは並んで二日目の文化祭に繰り出しながら、劇の感想を語った。

「どうだった?」

「うーん、おもしろかった」

「おもしろかったのに『うーん』なのか?」

「なんかテーマ深いなあって思って……猫役の子は、演劇部?」

「いや、あの子は文学部」

「えー。見えない」

「すげえ練習したんだよ。脚本家兼監督がえらいスパルタでさ……」

 色とりどりの装飾。あちこちから響く呼び込みや、音楽、拍手、歓声。お祭りの雰囲気に気圧されて、踊らされて、私の心も高揚する。

 昨日からずっと、口数が多いのは自覚している。秀にもすでに言われしまっているし。なんだか明るくなった、と。

 でも、もう、いいんじゃないかと思う。
 そういうのを、気にするのは、もういいんじゃないかって。

 秀が、和佳の物静かで無口なところが好きだったというなら、フラれても文句は言えないけれど。だけど秀はきっと、和佳と楽しくおしゃべりしたかったんじゃないかと思う。自分の恋人と、会話が弾むことを喜ばない人なんて、きっといない。

 文化祭は楽しいけれど、文化祭でなくたって、今日はいい日だと思った。好きな人が、ずっと自分と喋ってくれること。それだけのことが、ただ嬉しかった。

 私たちは特にあてもなく文化祭を巡った。

 体育館で軽音楽部のライブを聴き、校庭で一年生が出している屋台のフランクフルトを食べ、生物室で生物部が展示している怪しげな水槽を眺め、校内を練り歩く奇抜な着ぐるみの一団に声を上げて笑った。

 ひとしきり歩いて少し疲れたな、と思ったところで、秀がつと言い出した。

「屋上行かないか」

 私は目を丸くした。
「開いてないでしょ。鍵かかってるよ」

 うちの学校の屋上は開放されていない。フェンスは高いけれど、屋上への鉄扉がいつも南京錠で固く閉ざされているのは有名な話だ。

 けれど秀はにやりとした。

「あんまり知られてないけどさ、文化祭の日だけは開いてるんだよ」