秀のクラスは劇をやるらしい。しかもオリジナル。

 なんでも脚本家志望だかライター志望だか、とにかくストーリーを考えるのがすごく上手い演劇部の子がいるらしくて、今年は満を持してのオリジナル脚本なんだとか。うちの学校は演劇部が気合い入ってて、毎年文化祭の公演は確かに人気がある。

「秀もなんかやるの?」
 と訊いたら、

「俺は照明」
 とつまらない答えが返ってきた

「主役やればいいのに」

 静かに笑って言うと、秀が顔をしかめる。

「主役ってガラじゃねえよ。知ってるだろ。主人公バスケ少年だし」

 中学のとき、文化祭で秀は主役をやったことがある。演技力がなくて、棒読みの台詞が動きと全然合っていなくて、基本的には何事もそつなくこなす秀にしては珍しく、醜態をさらしたのだ。確かに昔から、妙なところで恥ずかしがりなところはある。

「もう二年くらい前でしょ。今なら大丈夫なんじゃない?」

「大丈夫じゃねえよ」

「恥ずかしがりなキャラだったらちょうどいいんじゃない?」

「そんなのいねえって!」

 やけくそになって喚く秀を見ていると、ついついからかいの追撃をかけたくなるけれど、やめておいた。秀の前でだけは、私は未だに、かつての森宮和佳でいようとしている。

 私たちは文化祭用のアーチが飾られ始めた校門を並んで潜り抜けた。今年のアーチは蝶々をモチーフとしていて、U字型の土台に飛び立つ無数の蝶が散りばめられている。「飛翔」がテーマだそうだ。蝶は一様に、涼しくなり始めた初秋の空と同じ色をしている。

「なんだって今年はこんなに蝶に縁があるんだか……」

 私がぽつりとぼやくと、秀が首を傾げた。

「なんか言ったか?」

「ううん。文化祭、もうすぐだなって」

「ああ……和佳のクラスはお好み焼きだっけ?」

「たこ焼きだよ」

 秀が急に笑い出したので、私は眉をひそめた。

「なによ?」

「いや、和佳がたこ焼きって、なんか似合わないなって思って。でも当日は焼くんだろ?」

「まあね。私の華麗な包丁さばきと、転がしテクニックが……」

 言いかけて、黙る。和佳なら絶対言わない。
 秀は気にしたふうもなく、私の方を見て柔らかく微笑んだ。

「なんか最近、ちょっと明るくなったな、和佳」

 私はぎくりとした。
 やっぱりあまりうまく演じられていないだろうか。秀の前では結構、気をつけているはずなんだけど。

「そうかな」

「なんか印象変わった。うまく言えないけど……前より、」

「前より?」

「……生きるのが、楽しそうに見える」

 いったい秀の目には、和佳がどんなふうに映っていたのだろう。結構な言われようだと思う。私は苦笑いして、「なにそれ」と秀の脇腹を突いた。秀は少し目を見張って、それからふっと「なんだろうな」とつぶやく。

 私たちはしばらく、無言で道を歩いた。
 和佳として周囲を笑わせたり、誰かを助けたり、そういうことができたら、それは悪いことじゃない。今でも思う。だけど、秀に関してだけは、ちょっと別だ。

 私は秀が好きだった。そして、和佳だって秀が好きだったはずだ。二人は恋人だったのだから。だけどその「好き」は、同じ気持ちのはずだけど、別物なんだと思う。私が秀を好きである気持ちと、和佳が秀を好きである気持ちは、きっと違う。

 秀にとってはどちらも同じ、自分に向けられる好意でしかないのかもしれない。だけど、私が秀に対して何かをして、秀を喜ばせることで好意を向けられたとしても、それは自分に向けられたものじゃない。それは森宮和佳に向けられたものだ。

 受け取っていいのかどうか、わからない。それに、この体で秀に向ける好意を、和佳のものから私のそれに勝手にすり替えてしまうことは、なんだか卑怯な気もしてしまう。秀は知りようもないし、知る術も持たない。あまりにも、フェアじゃない。

「俺、文化祭二日目は時間あるんだ」

 いつもの別れ道で、秀が思い出したように言った。

「回れたら、一緒に回ろうぜ」

 私は迷った。
 秀の目を見られなかった。

 夏より短くなった日はすでに沈みかけている。薄く茜色に染まりつつある西日が、私たちの影を長くアスファルトの上に伸ばしている。

 私がうなずけば、秀は喜んでくれる。それはきっと、正しいことだと思う。

 だから私は、「……ウン」と小さくうなずいた。秀は顔をほころばせて、「じゃあまた明日な」と手を振った。