「お姉ちゃん」

 リビングでくつろいでいたら、台所でごそごそやっていた由佳ちゃんからふいにお呼びがかかった。

「これ、捨てちゃっていいかなあ」

 そう言って由佳ちゃんが指差す先には、個人的にタイムリーなたこ焼き器の箱が置いてあって、私は目を丸くする。一度に十六個焼ける、コンセントを差すだけのコンパクトなやつだ。学校で作ったときのやつより一回りほど小さい。

「こんなのどこにあったの」

「台所の片づけしてたら冷蔵庫の上から出てきた」

 冷蔵庫の上。少なくとも大神家では、滅多に使わないものを置いておく場所だ。森宮家ではどうだったのだろう。

 箱から取り出してみると、新品というわけではなさそうだった。使った痕跡がある。

「お父さんか、お母さんのやつかな」

 つぶやきながら電源をコンセントに差し込み、電源ボタンを押してみた。ランプがついたので、使えそうだ。付属のたこ焼きを転がすための金串も、二つ揃っている。

「もったいないね。捨てちゃうの?」

 私が訊ねると、由佳ちゃんは肩をすくめた。

「だって使わないじゃん」

 まあ確かに、この家でタコパというのは想像がつかなかった。お父さんは帰ってこないし、和佳はタコパってキャラじゃないし、由佳ちゃんはやれば楽しんでくれそうだけど、やる相手がいない。

 お母さんが生きていたら違ったんだろうけれど。あるいは、せめて和佳がやろうと言い出せば――と、そこまで考えて、私はふと言ってみた。

「今度やろっか、タコパ」
 それは、悪くないように思えた。

 ちゃんとお父さんが家にいるときに、私と、由佳ちゃんと、三人でたこ焼きを作るのだ。

 ちゃんとキャベツを切って、タコを切って、紅ショウガと揚げ玉を用意して、粉を混ぜて、マヨネーズをかけるかどうか、鰹節をかけるかどうかで揉めて、変わり種でベビーカステラを作ってもいい。たこ焼きにいくつかわさびを混ぜて、ロシアンルーレットをしてもいい。

 由佳ちゃんが私をまじまじと見た。

「まじで言ってんのお姉ちゃん……」

 私はニヤリとした。

「いいじゃん、お父さんにも焼かせよう。時間あるとき捕まえてさ。お父さんのやつだけこっそりわさび大量に入れてやんの」

「ええー……」

 と言いつつ、由佳ちゃんの目にそわそわとした光が宿るのを私は確かに見た。

「大丈夫、お姉ちゃん今度文化祭でたこ焼きやるから。練習しとく」

 私は腕をまくって見せた。

「えっ、お姉ちゃんたこ焼き売るの? 初耳」

「おまけしてあげるから食べにおいで」

 私が微笑んで言うと、由佳ちゃんは目を丸くして、でもその直後、私の前で初めて見せる顔をした。

「絶対いびつなたこ焼き作るでしょ。変なとこ不器用なんだから」
 そう言って、笑ったのだ。

 それはいつかの写真で見た、あのときの由佳ちゃんほどではないけれど、いい笑顔だと思った。

「そろそろお弁当もちゃんとしたの作るからね」

 ついでに付け加えてみた気遣いは、すげなく却下されたけど。

「いやそれはいい。なんか最近のお姉ちゃん、危なっかしくて嫌」

 クラスでも、部活でも、家でも、森宮和佳という人間は確実に以前と変わってきている。
 実際に言われもしたし、戸惑われもした。でもそうして得たきっかけは少しずつ、確かに繋がって、森宮和佳という人間を世界に結びつけていく。

 真っ白だった私というパズルのピースが、少しずつ色づいて、周囲の景色になじんでいくのは、なんだか安心感があった。

 ああ、私はここにいてもいいんだと、そう思えた。