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 土曜日は天気予報通りの雨になった。今年の九月は雨が多い。

 約束の時間には少し早かったけれど、私はきちんと時間通りに家を出た。

 和佳になってから、寝坊をすることがなくなった。たぶん、体内時計が怠惰な私と違うのだ。休日でも自然と七時に目が覚める。

 和佳の持っている服はシンプルで飾らないものが多かったので、服装にも大して悩まなかった。

 もっとも、今日早くに目が覚めたのは、別の理由だったかもしれないけれど。

 伊織の墓参りに行こう、と秀に誘われていた。

 正直、私は二学期になってからずっと秀を避けていた。
 一番、誤魔化しがきかない相手だからだ。それに私は秀が好きだった。和佳だって恋人だったんだから、秀のことは好きだったはずだけど、その好きと、私の好きは、きっと別ものだ。すり替えてしまうのは、よくない気がする。

 すり替えない自信がなかったから、最初は断ろうかと思った。でも、それは私の都合だ。和佳ならきっと、断らない。私のお墓参りを嫌がったりは、たぶんしないだろう。

「――場所、知ってるの?」

 駅で合流して、電車に乗ってから訊ねると、秀がうなずいた。

「うちの親が伊織のお母さんから聞いて、俺も教えてもらった」

「ああ……」

 うちの親と秀の家の親は仲がいい。別に旧知の仲ってわけでもないらしいけれど、道で顔を合わせると、まるで昔から友だちだったみたいに楽しげにしゃべる。家でも、現役女子高生の私より、よっぽど口数は多い。

 だけどそんな母が、秀の母親に、私のお墓の場所をどんなふうに教えたのか、想像するのは難しかった。

 目的の駅にたどり着くまでの間、私は黙っていた。

 秀も秀で、彼にしては口数が少ない気がした。途中で乗ってきたおじいさんに席を譲って、座ったままの私の前に立ち、ぼんやりとスマホに目を落としている。目元が少し隈になっているのが、下からだとよくわかった。

 秀に直接会うのは、夏休み以来だった。つまり病院以来。制服を着た秀を、ひどく久しぶりに見た気がする。少し背が縮んだ? と思ったけれど、そうじゃなかった。和佳になって、私の背が伸びたのだ。座っていても、いつもより秀の顔が近い。

 三駅ほどで降りて、小雨降る中を私たちはかたつむりのように歩いた。お互いの傘が触れ合うぎりぎりの距離を空けて、雨に濡れた道をゆっくり、ゆっくり歩いた。雨でよかった、と少し思った。晴れていたら、秀は手を繋ぐのかもしれない。そのときに、冷静でいられる自信がない。

 こうしてそばを、偽りとはいえ「恋人」として歩いているだけで、胸がどきどきする。恋なのか、それとも罪悪感なのか、自分でも判然としなかった。

「つつじ霊園」というその墓所は、名前に反して真っ赤で繊細な花びらが外園を埋め尽くしていた。五月頃にくるとちゃんとつつじが咲いているらしいけれど、霊園っていう意味ではこっちの方が似つかわしい。

 雨に濡れた彼岸花は綺麗だけど妖しげな雰囲気で、風も少ないのに、黄泉の風に吹かれているみたいに、静かにゆらゆらと揺れている。

「変だよな」

 秀がかがみ込んで、真紅の花房を揺らしながら久しぶりに口をきいた。

「何が?」

「彼岸花ってさ、お墓に供えちゃいけないんだろ。そのわりに、霊園って彼岸花植えてあるじゃん」

 そもそも彼岸花を供えてはいけないことを知らなかったので、私は正直に訊いた。

「そうなの?」

 秀が私を見上げて、眉をひそめた。

「和佳が教えてくれたんだろ」

 ぎくりとする。

 そうなのか。……ああ、そうか。和佳はきっと、よく母親のお墓参りに行っているから、知っているんだ。

「そうだっけ。ごめん。あんまり覚えてない」

「いや、いいよ」

 秀は事故のショックとでも思ったのだろうか、深く追求はしなかった。

「あ、蝶々」

 クロアゲハだろうか、真っ黒な蝶々がちらほら、彼岸花の周りを飛んでいた。雨が降っているのに、それを感じさせない軽やかな動き。この季節でも蝶々っているものなのか。なんとなく、春先に多いイメージがあるから意外だった。

 ふっと佐島の言葉を思い出す。

 ――おまえ、蝶々を見なかったか?

 見たけど、だから何だって言うんだろう。

「黒い蝶々も、彼岸花も、不吉なイメージあるよな」

 秀がぽつりとつぶやいた。

「蝶々って、霊の乗り物なんだって」

 私は清水さんの言葉を思い出して言った。

「魂を乗せて運ぶんだって。だからあの蝶々たちも、誰かの魂を乗せてるのかも」

 秀がビニール傘の内側をのぞき込んできた。目が揺らいでいる。

「大丈夫か? しんどいなら今日じゃなくても……」

 心配されているのだと気がついて、私は慌てて作り笑いを浮かべる。